さきくさ

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「肉じゃが…」
「はい?」
「食べたいな」
「任せてください」

ソファーに座りぼんやりとしていた白緑さんが、不意に呟いた言葉に頷く。
それは数分前に尋ねた「夕飯は何が食べたいですか」という問の答えだろう。
キッチンで冷蔵庫の中身を調べていた私は、肉じゃがの材料があることを確認して取り出した。

彼が来てもう一週間は経つのか。
体の調子もほとんど回復した様子で、今ではすっかり元気だ。
鶸さんも前より幾分明るくなったように見える。

相変わらず二人の事情や詳しいことは聞くことができないけれど、辛そうに毎日を送られるよりはずっと良い。
それを幸せと呼ぶかどうかは、決めつけられないけれど。
でもここが笑って過ごすことができる場所なら、私はそれだけで満足だ。

「お手伝い、しようか」
「ちょっ白緑!あんたがやったら悲惨なことになるのは目に見えてるんだから!」
「え?」
「え≠カゃない!俺がやるから引っ込んでてよ!」
「そう、かい」

ソファーから立ち上がった白緑さんを押しのけ、鶸さんが怒鳴りながらキッチンにやって来る。
ここ最近ではお馴染みの光景だ。
つい笑ってしまうと、「笑うな」と鋭い睨みが飛んでくる。

時計の針は夕方の5時40分を指している。
支度するにはちょうど良い時間だ。

(…ご近所さんにもおすそ分けしましょうか…)

お隣に住んでいるのは、父子家庭のご家族だ。
朝のゴミ出しや回覧板を回すときによく話したりする。
それにその家のご長男は、私が高校の時のクラスメートでもあった。
とはいっても、その人はクラスでも一際人目を引くような中心的人物だった。
私が一構成員程度の存在だったのに対して、彼はほぼ真逆に近い位置だ。

(…それに、)

彼は他県の有名大学に進学したらしい。
それっきり会ってないし、次男の男の子も今年大学受験で忙しいようだ。
そこのお父さんも大きな企業に勤めていて、最近はほとんど会っていない。
前にも一度こんな風におすそ分けを届けたことがあったし、良い機会かもしれない。


「ねえボケ女」
「はい?」

隣に立ち、ジャガイモを手にした鶸さんが不意に口を開く。
ニンジンを切っていた手を止めてそちらを見ると、何だか暗い顔をして彼は言葉を続けた。

「あんたさ、迷惑とか考えないの?」
「!」
「…戸籍とか、そういう法律に関わるかどうかもわからないような人間といて…」
「……」
「迷惑とか、思わないの」

迷惑≠ニ頭の中で反芻して、今の暮らしが如何に不安定なのかを思い知る。
警察に知られれば、きっとこの生活は簡単に終わってしまうのだろう。
どこの誰とも知れない人間。
本来は警察に保護してもらうべき存在だ。

私が今やっていることは、ひどく閉塞している。
でも。


「…そうですね、まずその呼び方を変えてくださったら幸いですね」
「あんたね…」

私は今≠手放したくはない。

彼らを、追い出したくはない。
彼らが思うままに、ここにいていいのだ。


「玉ねぎは目にしみるので半分ずつ切りましょう」
「普通は大人が気を使って率先して切るだろうが」
「鶸さんは子供扱いを嫌うじゃありませんか」
「な…っ」
「はい、半分お願いします」
「……」

何か言いたそうにしながら、しかしぐっと押し黙る様子に苦笑する。
年相応の少年らしい顔だ。


「…やっぱり私も手伝おうか?」
「白緑はあっち行ってて!」
「急いで作りますから、待っててください」
「…うん」


お腹を空かして待ってる人がいる。
一緒に夕飯を作る人がいる。
夕飯の匂いが、今までよりずっと温かく美味しそうなのは、一人ではないからだろうか。



「あ、鶸さんニンジンちゃんと食べないといけませんよ」
「た、食べてるって」
「鶸…大きくなれないよ」
「だから食べてるよ」

ずっと続けばいいだなんて、おこがましいことを願ってしまう。


***

「!」

不意に、インターホンが鳴った。
反射的に箸が止まる。
誰だろう。
もしかしたら菖蒲だろうか。
でも特に何があるわけでもない。
忘れ物も欠席もしていないから、自宅に行く用事はないはずだ。
心当たりが思い付かず、首を傾げながら、二人に一言告げて玄関に向かった。

適当にサンダルを履いてドアを開ける。
ドアの開けるなり、自分より高い影が視界に映った。

「!半さん!」
「悪いな、突然」

苦笑と共に現れた男性に、少しだけ驚いてしまった。
しかし先週会ったばかりだ。
白緑さんをここに運んでくれたのはこの人でもある。
考えればあまり不思議ではないはずだ。

「お久しぶりです。先日はありがとうございました。」
「…いや、それより夕飯食ってたか?」
「はい。肉じゃがです。」
「そうか」
「あ、ちょうど余ってるんですよ。よろしかったら食べていきますか?」
「いや、それより大事な話がな…」

伏せられたその人の瞳に、頭の奥深くで警鐘がなった。
不安が黒いシミのようにじんわりと広がる。
ひどく言い難そうに、半さんは間を置いた後に口を開いた。




「あの白緑という男、警察に引き渡せ」




今≠ヘ、簡単に終わってしまった。






***********

別の連載「Re:Call」とちょっとリンクしてたり。


20100711

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