さきくさ

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ずるり、
破れた衣服の隙間から、黒く変色して乾いた血が覗く。無惨な傷口からは異臭が漂い眉をひそめた。
ずるり、
新しい傷からはまだ真っ赤な雫が滴り落ちる。ポタポタとそのたび足元にシミをつくる赤。その音を聞くたびに体に錘が架せられたような気がした。
ずるり、
血液の不足と疲労、傷、痛み。遠のく意識に体を引きずりながら歩を進める。
ずるり、
ずるり、
ずるり、

あの子はどこだろうか。


***


「なに、一体どうしたの」

突然派手な音をたてて開いた玄関のドア。その音の大きさに特に驚くわけでもなく、少年は家の奥から姿を現した。相変わらず不機嫌そうな表情は顕在で。でもその変わらない様子に無意識に安堵の吐息を深くついた。

「いえ…、小鳥さん、ただいまです…」
「な…、あ……っお、おか…え、り…」
「!」
「ちょっ何笑ってんのさ!」
「顔真っ赤、」
「うるさい!」

たぶん、すごく頑張って言ったんだろうな。目をそらして頬を染めながら言う姿に思わず吹き出してしまった。すると当然彼のかんに障るわけで。怒りやら羞恥やらで不機嫌さを露骨に表す彼に「すみません」と謝罪しながら玄関から上がった。同時に彼がさらにこちらへと寄ってきて、下からじっと訝しげな表情を見つめてくる。一瞬意味が分からず首を傾げるが、特に深く考えずに笑みを貼り付けて言葉を紡いだ。

「いい子にお留守番できましたか?」
「あんた俺をバカにし過ぎじゃない?」
「あはは、小学生には妥当の扱いだと思いますよ」
「…殴るよ?」

ワシワシと彼の頭を撫でればいとも簡単にその手は振り払われ威嚇の一言。それに苦笑しながら夕飯にしましょうとひとまずそのやり取りに終止符を打った。そしてリビングに向かえば、私のあとをついてくる感じで彼がワンテンポ遅れて廊下からやってくる。彼がソファーに腰を下ろしたのを見て、私は台所に立った。

「何か食べたいものあります?」
「ない」
「ああ…やっぱり…」
「……何さ」
「いいえ、貴方らしいですよー」
「………」

クスクス笑いながらフライパンを手に取る。カチャカチャと静かな音だけを響かせて私は調理を始めた。…昨日挽き肉が三割引で買っておいたから、今日はハンバーグにしよう。一人で頷きながら冷蔵庫から必要な材料を取り出した。

「…あんたさ」
「はい?」

不意に、声をかけられハッとしたように彼を振り返る。視線を向けた先にいる彼はソファーの上で、ギュッと自身を抱き締めるように膝を抱えていた。心なしか表情が暗く見えたのは、気のせいだろうか。

「似て、る…」
「え?」
「あんた…あの人に…」
「……!」

ギュッと、ギュッと。自分自身を強く抱き締めるように。外界から切り離すように。彼はひたすら身を小さくしていた。その姿があまりに小さく脆いものに見えて、思わず一瞬だけ呼吸を止める。手に持った調理器具をそっと調理台の上に置いて、彼のそばまで歩いた。

「あの人…って?」
「…俺の兄弟みたいな…親みたいな人…」
「優しい?」
「知らないよ」
「何ですかそれ」
「すごく変なヤツだった」
「私、変ってことですか」

そう問えば「違うの?」と彼はニッと笑う。それに苦笑を返せば、そういうところが似てると、話しかけると言うより呟くように彼は言った。僅かな沈黙が訪れて時計の針の音が嫌に耳につく。それでもただ彼が口を開くのを待った。俯いていた彼がゆっくり顔を上げる。そしてひどく疲れたような瞳で、私を捉えた。

「あんたは…いなくならない?」
「!」
「白緑みたいに…俺を置いていかないの?」

びゃくろく。ザワリと背筋に嫌なものが這い上がる。その疲れきった瞳に心臓がギュッと締め付けられた気がした。それを振り払うようにソファーに座る彼の目の前に行く。そして視線を合わせるようにしゃがみこんで、そっとその両頬を包んだ。手のひらに感じる柔らかい感触と温かさに小さく笑みを零して言葉を紡ぐ。

「ここにいていいですよ…」
「!」
「私はずっとここにいますから」
「………」
「貴方がここにいる限り、置いていくことも置いて行かれることもなく、私はここにいます」
「ここ…」
「だから万が一貴方がここから出て行くことがあっても、私はここにいますよ」
「………」
「だから心配しないでください。私と会うことも一緒にいることも簡単ですよ。とても単純明快。ここにいればいいんですから。」

大きく開いた瞳が私を映す。この子が抱えているものこそ私は知らないけれど、それでも多少の力になれたらと思う。「ね?」と首を傾けて彼を見詰めれば、一瞬にして赤くなった顔。手を払われて顔をそらされてしまった。それに再び苦笑すれば、彼はそっぽを向いたままバカじゃないのと小さく呟いた。

「じゃあ夕飯作っちゃいますね」

ゆっくりと立ち上がって台所に向かう。すると驚いたことに彼も私のあとをついてきて。

「…何すればいい?」

不器用ながらに呟いた言葉に、思わず笑みを零した。そうして二人で作った夕飯は、私がいつも作っているのと何の変わりもないのに、何故がとても美味しく感じられた。


********
鶸を懐けたお話(笑)

20091012

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