さきくさ

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ずいぶんと長い夢を見ていた。
それもひどい悪夢だ。
目を覚ましたら何か悪いことが起きてしまいそう。
目覚めるのさえ億劫に感じてしまって、もういっそのこと、このままでいいかな、なんて。
フワフワと宙に浮いてるような感覚に、まだまだ自分が夢の中だと認識する。
この感覚も悪いものではない。

静かに浮いてる状態から沈もうとしていると、あの子≠フ、声が。



「…っ白緑…!」
「――…、」

ひ、わ。
唇はそう動いたのに、それは音にならずに体内に沈んだ。今にも泣きそうな顔で少年は息を吐き出す。
ああ、なんだ、夢じゃなかったのか。
視界には白い天井が広がっている。一瞬病院かと訝しんでみるが、どうやら違うらしい。鼻孔につくシチューの匂いと、どこか懐かしさを覚える不思議な匂いに思わず息を吐き出した。

「……っ」

同時に体のあちこちに鈍痛に走り呻く。のろのろと持ち上げて目の前に持ってきた腕には、幾つものくすんだ痣が浮かんでいた。


「ねえ!ボケ女!白緑起きた!」
「うわあ…ボケ女って…鶸さんそれは…」


誰か、いる?
鶸が自分から視線をそらし、声を張り上げて誰かを呼んだ。するとそれに答えるように苦笑混じりに女性のものらしい声が聞こえる。ゆっくりと何かが近付いてくる足音。
今だ頭は状況を整理しきれてない。ただ、鶸を見る限り助かったのだと。漠然とそう認識することができた。

では彼が呼ぶのは助けてくれた人物だろう。
寝たままではと体を起こそうとして、しかし目眩と頭痛に襲われてそれは叶わなかった。


「ああ、無理をなさらないでください」
「!」

こちらの様子に気付いたのか、その人は慌ててこちらにやってくる。その両手にはお盆が抱えられていた。


「君は…」
「あ、はじめまして。えっと白緑さん?でしたっけ。一応ここ数日間鶸さんの保護者代理をしていた、しがない大学生です。」
「あんたみたいな情けないヤツ、保護者だなんて認めた覚えはないよ」
「………」

ほんの少し、眉を下げて彼女は笑う。人懐っこい笑顔だ。隣にいる鶸は不機嫌そうな顔を浮かべているけど、内心まんざらでもないのだろう。何となく嬉しそうに見えた。

いろいろと考えることもどうにかしなければならないこともあるが、今はこの人にお礼を述べるのが第一だ。起き上がってそうしようとするが、やはりあちこち痛くてうまくできない。
するとそれにいち早く気付いたのか。彼女は背中を支えて起きあがるのを手伝ってくれた。


「すまないね…」
「いえ、大丈夫…じゃあないですよね。とりあえずこの家、私しかいないのでゆっくり療養してください。」
「!」
「私も学校がある日は家にいないので。あ、もし何かあった場合はいつでも連絡くださいね。携帯の番号は電話の近くにメモ書いて置いておきます。」
「…いいのかい?」
「え?」
「私も鶸も、どこの誰ともわからない。何か事件に巻き込まれてしまうかもしれないよ。」
「!ああ、それなら心配いりませんよ。私、こう見えても図太いので。」
「!」


笑みを絶やさずに言った彼女に、思わず目が丸くなる。それに黙っていた鶸がため息混じりに口を開いた。


「何言ったって無駄だよ。だってコイツ偽善者だし。」
「そう、偽善者ですから」
「………」


偽善で、果たしてここまで人に尽くせるものなのだろうか。呆然と二人を見ていれば、彼女は思い出したように先ほど持っていたお盆をテーブルに置く。そして皿を差し出した。
中身はやっぱりシチューだった。


「作ったので食べてください。しっかり食べて早く良くなってくださいね」


再び台所に向かった彼女に、そのあとを追っていく鶸。二人は食器を持ちながら戻ってくる。夕飯がこれからなんだろう。ぼんやりと、二人が席に着いた姿を眺めた。ちょうど私がいるソファーの向かい側に座っている。

口に運んだシチューはまだ暖かくて、何故だかひどく泣きたくなってしまった。

何だか夢を見ているようだ。







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20100308
 

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