何故人間の始まりは『アダムとイブ』などという罪人の話なのだろうか。
蛇にそそのかされて、
禁断の果実を口にして、
知性を得て、
そして楽園を追放された。
嗚呼、なんて愚かな人達。
神にだけ愛されていれば良かったのに。
それだけで充分なはずだったのに。
お互いを、愛し合ったりたりするから―――
――――
「……なんでアダムとイブは禁断の果実を食べたんだと思う?」
「はあ?」
テレビの音声のみが音だったリビングの空間に響いた声。
不意にふられた話題に、ソファーに寝そべっている弟は眉をひそめた。
そして眠たげな琥珀色の瞳をこちらに向け、彼はため息をつく。
「いきなり何だよ姉貴…」
「いや…
さっき買い物にいった時、変な宗教宣伝の人に冊子もらったから…」
そんなことを言いながら、ソファーに寝転がり訝しげな表情をする弟のもとまで歩を進める。
そしてパサッと彼の目の前のテーブルに、冊子を無造作に置いた。
すると彼は起き上がりながら冊子を手に取り、「いちいち受け取ってくんなよ」と再び大きくため息をつく。
「オマケにちゃっかり捨てずに読んでるしな」
「……もらった以上読まずに捨てるのもちょっとアレだし…」
「…にしても“アダムとイブ”…ねぇ…」
「…………」
テーブルの上にある冊子を取りながら、彼は苦笑混じりに呟く。
そして何ページか適当に捲った後、チラリと私に視線を向けては、口を開いた。
「そういや…姉貴って神話だとか宗教みたいなもん好きだったか?」
「………アンタ何年私の弟やってんの?」
「16」
「じゃあ興味ないの知ってるでしょう」
「…………」
突然の質問に今度は私がため息をついた。
そして彼の向かいに座りながら言えば、ふと、私を見て細められる琥珀色の瞳。
それに思わず首を傾げる。
「何?」
「いや…。
けど姉貴はたまにこういうのにハマるよな。」
「…………」
「少し前もギリシャ神話のナルシスがどうだとかエコーがどうだとか言ってただろ?」
「あれは偶然聞いただけ」
「それで今回はアダムとイブか…」
「…………
……、でもさ…」
「あ?」
「なんで禁断と知りながら食べたのか、気にならない?」
「別に…。
つーかそんなことよりテスト近いんだから勉強の真似事くらいしとかねぇと母さんに怒られるぜ?」
「…………」
「…何だよ」
「君は連れない弟だ、サソリよ。」
「……その言葉そっくり返すぜ。
オレが数学教えて欲しいって言ったら今日の気分は古典だって断ったのどこのどいつだ?
冷たいお姉様よ。」
「うわ…
今ので君のお姉様の心に20針分の傷が…」
「自分で言うか?」
そんなことを笑って言いながら、サソリは手に持っていた冊子を私に差し出した。
…私はそれを受け取りながら、もう一度問いを口にする。
「でも、アダムにしろイブにしろ食べなければいつまでも幸せに楽園で暮らせていたと思わない?」
「知らねーよ。
それにどうせ林檎喰ったのだって腹減ってたからじゃねぇの?」
「なにそれ…
でも、そう考えるとアダムとイブはすでにただの人間だった…
…ってことでしょう?」
「………?」
「欲に負けて、寿命を与えられた。」
「人間は欲の塊ってか?」
「…そんな感じ…」
クスリと笑って頬杖をつけば、彼は鼻で笑う。
そんな彼を見て、私は更に続けて言葉を紡いだ。
「欲のない人間なんてもの、いないからね。」
「そりゃそうだろ。
けどそういう人間っつーのもつまんねぇよな。」
「…………」
「クク…
…なら食ってみたくもなるな…禁断の果実って…」
「……へえ、」
「何だよ姉貴?
自分から話振っといて…」
「別に…。」
「…………」
「でもさ…」
「あ?」
「そんなに言うなら、食べてみる?」
「は?」
「禁断の果実」
「―――!?」
言葉と同時に、琥珀色の瞳は大きく見開いた。
―――唇に伝わる熱と、柔らかい感触。
ほんの数秒の間、自分から彼に重ねた唇。
それを離し静かに立ち上がった。
そして呆然とソファーの上で目を見開き、宙を凝視している弟を一人残してリビングを出る。
「………失楽園…か…」
貴方へと禁じられた感情を抱いた私が
ここから追放される日が近いように
この家での幸せが壊れる日も近い==========
後書き
連載化しようとして挫折した作品(汗)
とりあえず姉(ヒロイン)→弟(サソリ)な関係です。
20090118