短編
□Sweet
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午後15時。
クラスメイトがいないハイツアライアンスは、酷く静かだった。いつもは21人が共同生活を送る建物に、今は2人しかいない。
「アッくそ、ちょっと!メテオやめろ!」
「は、一生上がってくんなザコ」
「こーんーにゃーろーっ」
…の、割には騒がしいか。
共同スペースのテレビの前に並んでゲームに勤しむ。もこもこしたパステルカラーのパーカーが、赤茶けた髪と一緒に揺れる。ゲームすると身体ごと動くタイプか、こいつ。
現実世界の方がいくらかいい動きをする猫堂のアバターをもう一度吹っ飛ばしてやりつつ、爆豪は今朝のやりとりを思い返していた。
−−−、っ!
至近距離で見た、ガラス玉のような大きな瞳に自分が写って、それがぐらりと揺れた。動揺したのは明らかだった。その反応に気持ちが高揚したのは一瞬で、すぐに戸惑いが勝った。
2人きりだから早速手を出してやろうとかクソみたいな思考はしていなかったが、あぁも動揺されると、出す手も引っ込む。意識はされても、警戒されるのは本意では無い。
だから爆豪は普段通り自室に戻ろうとした、のに。
「あー!また負けたー!」
「俺に勝とうなんざ一億光年早ェわ」
「一億光年て何年…?」
能天気にゲームしようぜ!などと宣った猫堂に毒気を抜かれ、昼間から健全極まりないゲームをしている。
まっことに腹立たしいのだが、小さな事をいちいち気にする割に切り替えが早くマイペースなところが、コイツはデクと似ている。さっきの殊勝な態度はどこ行きやがった。
「もー、スマブラやめ!なんでそんな強いの爆豪」
コントローラーを放り出してぐでんとソファに横たわった猫堂が、恨みがましげにこちらを見上げた。
「テメェが弱いんだろが。しかもキャラ固定かよ」
「だってカービィしか使えないんだもん」
「クソビギナーか、修行して出直してこい」
「スマブラ1人でやるの超寂しいじゃんか…ねぇ、次何する?あ、桃鉄100年やらん?」
「年あけるわ」
ぶーぶー言う猫堂を放って、テレビをゲーム画面から地上波に切り替えた。
バラエティの特番、ドラマの再放送とつまらなさそうなチャンネルをいくつか経由し、午後のニュース番組に落ち着く。各地の初詣に向けてヒーローが警備体制を強化するとかなんとかで、今年の初詣で酔っ払いが暴れてとっ捕まるまでの映像が流れていた。
窓の外は真っ白、無音の世界にキャスターの声と秒針の音だけが響く。そんな沈黙が、なんとなく心地よい。
「あ、シンリンカムイだ…初詣の警備大変そうだなぁ」
「いい大人が年明けただけでアホみてーに騒ぐなや」
「そお?騒ぎたい気持ちも分かるよ」
寝返りを打って、猫堂がソファの肘掛けに顎を乗せて爆豪を見上げる。緩みきった顔がふにゃりと笑った。
「皆、社会人になったら休みとかも合わなくてさ、お正月くらいしか会えなくなるじゃん。普段会えない人に久しぶりに会えたら、そりゃテンションも上がるさ」
緩い笑顔の上の目がすっと細められて、テレビに視線が戻っていった。
(……クソが)
コイツはたまに、世界中に自分1人みたいな顔をする。
立ち上がって、ソファに寝転ぶ猫堂の足を押しのけて隣に勢いよく座る。スプリングが跳ねて、目論見通り肘置きに顔をぶつけた猫堂が「ふぎゃっ」と情けない悲鳴をあげた。
「ちょ、なにすんのさ」
「次、その顔したら殺す」
「へ」
ぱっと顔を手で覆って、猫堂が目を丸くした。その頭を鷲掴んで、真正面から睨みつける。
「不満かよ、オラ」
言外に込められた意味に気づいたらしく、猫堂がぴょんと飛び起きてなぜか正座した。
「不満じゃないです、全然」
「そーかよ」
爆豪もそれだけ返して、再びテレビに視線を戻した。さっきとは違う、少し気まずい沈黙が下りる。
別に慰めるとかサムいことをするつもりは無い。ただ、そばにいるのにあんな顔をされると、ムカつくというだけで。
「……ばくごー」
静かな声が沈黙を破って、振り返る。
まだソファに正座したままの猫堂の視線が、テーブルに固定されていた。その視線を辿ると、自分のスマホが通知を告げていて、画面にメッセージが浮かび上がっている。
「勝己いつ帰ってくんの、今日の大掃除2人で大変だっ、」
「ダァッ!」
テーブルを叩き割らん勢いでスマホを取り上げたが、無駄に目がいいコイツは既にメッセージの大半を読み取っていた。
ギギギ、と自分の首から音がしそうなほどゆっくりとそちらを見る。猫堂が、ぐりぐりした目をさらに丸くして爆豪を見上げていた。
「お父さんとお母さん、今日まで旅行じゃなかったの」
「………」
「今日、お家の大掃除の予定だったの」
「………」
「爆豪、なんで寮にいるの」
「………うるせェ」
最悪のタイミングでババアからのメッセージさえ来なければ、バレることはなかった。
巻き戻し個性のガキが年末まで病院にいること、殆どのクラスメイトが29日に帰省すること、去年の年末にコイツが1人で全員の帰りを待っていたこと。
「私が1人になるの知ってて、残ってくれたの?」
「……」
突き刺さる視線から逃れるように目を逸らす。
いつの間にかテレビはイルミネーションの特集なんぞに移っていて、カップルにお勧めとかいうクソみたいな煽りをキャスターが読み上げている。
やけに長い沈黙が続いたあと−−−ものすごい速さで何かが突っ込んできた。
「っぐお、てめ!」
何かといってもコイツしかいない。バランスを崩しかけて、なんとかソファから落ちないように猫堂を抱きとめた。
もこもこしたパーカーの腕が、絞め殺そうとしているのではないかという力で爆豪の首にしがみついている。
「爆豪」
「あぁ!?」
「不満どころの騒ぎじゃないよ、もう」
鎖骨のあたりで、もごもごと声がする。辟易したような、弱りきった声。
「ありがと、嬉しい」
「……」
「めちゃくちゃ嬉しい」
「…そりゃよかったな」
どうするか少し迷ってから、背中に腕を回して抱え直した。
いつもチョロチョロと動き回る体は、上に乗られても大して重くない。背骨が浮き出た細い背中が手のひらに触れる。
「私、去年は年越しだけエリちゃんとか先生といたんだけど、それ以外ずっと1人だったよ」
「…黒目に聞いたわ」
「今までも1人だったけど、去年はなんか、いつも賑やかだからかな、なんかキツくて」
「……」
「でも今年はなー、ふへへ、無敵だなぁ」
首元から僅かに顔を上げた猫堂が、こちらを見上げてへにゃりと笑った。
「爆豪がいたら、無敵だーって気分になる」
ぶわりと、シャンプーの甘い匂いが流れ込んできた、気がした。
2人きりだから早速手を出してやろうとかクソみたいな思考は、していない。
ただ、今のこの状況は、話が別だ。
背中に回していた手で柔らかい髪を掴んで、くんっと引っ張る。うわ、と驚いた顔がすぐ目の前に現れて、間抜けに開いた口に噛みつこうとした、ところで、
−−−ポトリ、と自分のジャージのポケットから何かが落ちた。
思わずそちらに目をやって、つられて猫堂もソファの下を見る。フローリングの上に、キラキラと光る薄いピンクの包装紙が落ちている。
それが何かを把握した瞬間に、爆豪は渾身の力で自身に乗っかる恋人を投げ飛ばした。
Sweet