Coco


□敗北
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「返せよ!!」

緑谷の激昂が響き渡る。

「爆豪だけじゃない…常闇と猫堂もいないぞ!」
「わざわざ話しかけてくるたァ…舐めてんな」

麗日達に気が向いていたとはいえ、3人も攫われて全く気づかなかった。敵は勿論だが、自分のこともぶん殴りたくなる。

突如現れた仮面の男は、常闇を攫ったことを「アドリブ」と称して不敵に笑う。個性が読めない。どうやった?どんな個性だ?いやそれより、

「猫堂は…!」

野良猫のようにするりといなくなるのでは、なんて、馬鹿みたいな想像だと思っていた。それが今、にわかに現実味を帯びている。

「猫堂…あぁ、今はそう名乗ってるのか」

妙な事を言い、仮面敵が木の上でくるりとターンする。

「価値観に道を選ばされる…彼女なんてその最たる時代の被害者≠セ!血に縛られて、自分の首を絞めながら生きてる…俺たちは猫堂ユキを救いに来たのさ」
「救いに…?何のことだ!」
「目的は、爆豪と猫堂の2人だったってことか…!」
「ユキちゃんも…!?」

マンダレイのテレパスから察するに、相澤先生もこの可能性を察知していたのだろう。戦闘ではなく退避を指示したのは、彼女も連合の狙いの1つだったからだ。

ついさっきの、何かが抜け落ちたような猫堂の笑顔が蘇る。

(猫堂、お前、自分が狙われてんの知ってて、黙ってたのか…!?)

疑念はほとんど確信だった。あいつは、自分も狙われているのを知った上で、爆豪を守ることしか考えていなかったのだ。どうして、という疑問より、焦りのような感情が湧き上がる。

保須で、自分を蔑ろにするなと言っただろうが。それを理解して、もう言わないって、あの時お前は笑ったんじゃねぇのか。

「開闢行動隊!目標回収達成だ!」
「!!」

仮面敵が高らかに声を上げる。

「短い間だったがこれにて幕引き!予定通りこの通信後5分以内に回収地点≠ノ向かえ!」

達成、回収地点。
まずい、このままじゃ3人、本当に連れていかれる。

「させねぇ!!絶対逃すな!!」

怒鳴り声は、自分の腹の底に一番響き渡った。










ぐらぐら、ゆらゆら。

三半規管がめちゃくちゃにされる感覚に、冷たい汗が流れる。さっき胃を空っぽにしたのが不幸中の幸いだった。

(くっそ…!!)

最初に常闇、次の一瞬には爆豪が、ビー玉のような小さな球体に変わった。それを認識した直後にはユキの視界も真っ暗になっていた。

恐らくあのビー玉に閉じ込められて、そのまま移動しているのだ。しかも、ユキと爆豪だけではなく、常闇までも捕まった。

分厚いガラスを隔てたように僅かな音は聞こえるが、何も見えない上に身体が全く動かせない。内側からどうこうすることは難しい。

状況は最悪。
ユキには何もできない。

(やめてよ…なんなんだよ…!!)

口の中で血の味がした。

ユキが狙いなら、それはそれでいい。なんで常闇と爆豪まで連れて行く?2人が一体何をしたというんだ。

爆豪のお母さんの笑顔が、想像の中で泣き顔に変わった。それがぐにゃりと歪んで、傷だらけの緑谷の顔に変わる。

「…っざけんなよ!!」

声になっているかどうかは分からない。何の感覚もないまま、ユキは腹の底から叫んだ。

「爆豪も常闇も、待ってる人が…家族がいるんだよ!こっち側にいるべきなんだよ!私とか、アンタらとか、そういうっ、どうしようもない人間じゃないんだよ!!」

常闇は不器用で口下手で、でも優しい人だ。爆豪はあんなんだけど、誰よりも真っ直ぐで、その姿勢がカッコよくて、ああなりたいと思わせてくれる人だ。

「私はいいから…2人を返してよ…!!」

明るい世界に、いるべき人達だ。
死柄木が誰かを道連れにしたいなら、ユキだけでいい。

「−−−もう、誰からも何も、奪わないでよ!!」

そう叫んだ瞬間、身体に一斉に情報がなだれ込んできた。

「……!!」
「、え?」

真っ暗だった視界が、瞬く間に明るくなった。目と鼻の先に、カッと見開かれた赤い双眸がある。

「ば、」

くごう、と続ける前に、腹部に衝撃。

息が止まると同時に後ろに吹っ飛ばされた。片足を上げた妙な体勢の爆豪が遠くなる。

その首を、荼毘が掴んでいた。荼毘と爆豪が、黒い靄の中に沈んでいく。

「猫堂っ!!」
「う…っ!?」

誰かに抱き止められて、そのまま縺れ合って地面に転がる。視界の端を、緑谷が駆け抜けて行ったのが見えた。

「かっちゃん!!」

必死な声。緑谷が靄に向かって行く光景が、コマ送りのようにやけにゆっくり見えた。

「来んな、デク」

絞り出すように爆豪が言って、緑谷が飛び込んだ先には、もう何もなかった。

青い炎が爆ぜるパチパチという音。森が燃える匂い。酷く静かな空間だけが、そこに残っていた。

「……くそ」

顔を上げると、すぐそばに轟の顔があった。固く両目を閉じて、抱き止めたままのユキの肩をギュッと掴んでいる。

向こうで、障子と常闇が呆然と立ち尽くしている。遠くからお茶子ちゃんと梅雨ちゃんが走ってくるのが見える。

爆豪だけがいない。
どこにもいない。

蹴られた腹がジンジンと痛む。

「…うそ」

爆豪に助けられた。咄嗟にユキを蹴飛ばして、黒霧のワープゲートから弾き出したのだ。その事実が飲み込めた途端、頭の中が真っ白になる。

長期作戦のつもりだった。夏休みが終われば嫌でも毎日会えるんだから、ごめんねって謝って、もういいわって怒鳴られて、また今まで通り喧嘩したり勉強したりしながら学校に通う日常が来るのだと、漠然と思っていたのに。

−−−何が私はいいから≠セ。

左腕が熱い。右手から血が止まらない。
呼吸ができない。

「…猫堂、」
「は、あ…っ」
「おい、しっかりしろ。おい!」

轟の声がどんどん遠くなっていく。

最後に見えたのは、地面に伏せたまま断末魔のような悲鳴を上げる、緑谷の姿だった。





act.86_敗北


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