Coco
□洸汰くん
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「やーっと来たにゃん」
午後17時20分。
施設の前には、へろへろになったA組の面々が揃っていた。
「うぅ…きもぢわるいぃ…」
「ねむい…だるい…」
「いてぇ…」
「腹へった…死ぬ…!」
吐き気を訴えるお茶子ちゃん、殆ど白目を剥いている砂藤他、全員が満身創痍だ。ユキも体力の限界で、轟の隣に崩れ落ちた。
「も、無理…歩けないぃ…」
「大丈夫か、おぶるか」
「それはいい…」
轟の気遣いのポイントが、ありがたいが若干ズレている。どうやら3時間というのはプッシーキャッツ基準だったらしく、A組21人がかりでここに辿り着くまで半日かかった。
実力差自慢かよと文句を垂れる面々を、プッシーキャッツの2人が快活に笑って諫める。
「私の土魔獣が思ったより簡単に攻略されちゃった。いいよ君ら…特に、そこ5人!」
ピクシーボブが、先頭きって土魔獣を破壊していた緑谷、爆豪、飯田、轟、そして轟に引っ張り起こされているユキをぴっと指さした。
「躊躇の無さは経験値によるものかしらん?3年後が楽しみ!ツバつけとこー!」
「うわ」
「わ、私も…!?」
適齢期的なアレで焦っているらしい。同性にツバをつけられても困るので轟の影に隠れていると、緑谷がふとマンダレイの背後を指さした。その先にいたのは、トゲのキャップを被った少年だ。
全員からの視線を集めた少年が、ぎろりと緑谷を見返した。
…目つきの悪さにデジャヴを感じる。
洸汰と呼ばれた少年は、どうやらマンダレイの従甥らしい。洸汰くんは、歩み寄った緑谷の言葉を無視し、股間に正拳突きを繰り出した。周囲にいた男子全員の顔がサァッと青くなる。
「緑谷くん!おのれ従甥!何故緑谷くんの陰嚢を!」
すたすた歩き去ろうとした洸汰くんが、こちらを睨みつける。
「ヒーローになりたいなんて連中とつるむ気はねえよ」
「つるむ!?いくつだ君!!」
「はっ、マセガキ」
「おまえに似てねえか?」
「いやプチ爆豪じゃん、将来が心配」
轟とユキが思わず溢すと、爆豪が憤怒の形相で振り返った。
「あ?似てねえよつーかてめェ喋ってんじゃねぇぞ舐めプ野郎!!」
「悪い」
かけらも悪いと思ってなさそうな轟に吼えたあと、爆豪がぐりんとユキを見る。いつもならそのまま「テメェも黙っとけやクソネコ」云々と噛み付いてくるはずなのだが、
「……チッ」
何も言わず、舌打ちだけしてそっぽを向いた。
相澤先生に促されて、クラスメイト達が施設に向かう。その後ろをすたすたと歩いて行った背中を、なんともいえない気持ちで見送る。
「…猫堂、爆豪と喧嘩でもしてんのか?」
「うーん…喧嘩かなぁコレ…」
轟に曖昧に笑い返して、「ほら、うちらも行こう」と肩を叩いた。轟もそれ以上は追求してこず、連れ立ってクラスメイト達のあとを追う。
合宿前の一件から、ユキは爆豪とまともに口をきいていなかった。
その夜、半日ぶりのご飯(土鍋で炊いたご飯初めて食べた)と露天風呂を堪能した後。ユキは半乾きのままの髪を手早くお団子にまとめて、タオルやら脱いだ制服やらを片手に慌ただしく立ち上がった。
「お願いね、ユキちゃん!」
「うん!」
お茶子ちゃんの声に返事をして、脱衣所の暖簾を潜る。すると、すぐ隣の男風呂の暖簾からも男子達がぞろぞろと出てくるところだった。
「猫堂くん!済まない峰田くんが不貞を働こうとした!」
律儀に頭を下げる飯田と、ちょっと気まずそうに目を逸らすその他男子。タオルで簀巻きにされた峰田がまだ「ヒョー湯上がり!」とか言っているので、容赦なく鳩尾に手刀を叩き込んだ。
「グフォ」
「次やったらその状態で学校の屋上から吊るす」
「発想が物騒だなお前…」
「それより、洸汰くんは?」
切島のツッコミはスルーして尋ねると「緑谷がプッシーキャッツの事務所に運んでったぞ」と教えてくれた。お礼を伝え、伸びている峰田をわざと蹴飛ばしつつ廊下を駆け出す。
相澤先生とプッシーキャッツが、露天風呂を仕切る塀に見張りをつけてくれたのだ。言わずもがな、峰田対策である。しかし、見張りの洸汰くん自身が塀から落ちるというトラブルが発生し、女子を代表してユキが彼の様子を見に行くことになった。
人気のない廊下を進むと、オフィスと書かれたプレートが目に入った。ドアの磨りガラスから灯りと声が漏れている。
ここだ、とドアノブに手をかけたところで、
「洸汰の両親ね、ヒーローだったけど…殉職しちゃったんだよ」
そんな静かな声が聞こえてきて、手が止まった。
「え…」
「2年前…敵から市民を守ってね。ヒーローとしてはこれ以上ない程に立派な最期だし…名誉ある死だった」
緑谷とマンダレイの声だ。思わず身を翻して、ドアの脇の壁に背をつけて身を隠した。
「でも物心ついたばかりの子どもにはそんなこと分からない。親が世界の全てだもんね。『自分を置いて行ってしまった』のに、世間はそれを良い事・素晴らしい事と、褒めたたえ続けたのさ…」
「………!」
−−−ヒーローになりたいなんて連中とつるむ気はねえよ。
あの言葉は、単なる反抗期の少年の台詞ではなかったのだ。胸がギリギリと締め付けられた気がした。
見ず知らずの他人のために、自分を残して死んだ両親。何が良くて、何が素晴らしいのだろうか。唐突に両親を亡くした少年の心が、それで埋まると思っているのだろうか。
「私らのことも良く思ってないみたい…けれど、他に身寄りもないから従ってる…って感じ。洸汰にとってヒーローは、」
「気持ち悪い」
ドアを開けるや否やそう言い放つ。突然入ってきたユキに、緑谷、マンダレイ、ピクシーボブの3人の視線が突き刺さった。
「猫堂さん…!」
「!あなた、」
緑谷の隣にいたマンダレイが、ユキを見て目を見開いた。緑谷の視線が困惑していたが、構わず続ける。
「見ず知らずの他人のために両親が死んだのに、それが立派で素晴らしい?はは、そりゃ気持ち悪いでしょうよ。ヒーローも、そんな事言う奴らも」
「……あなたね」
「洸汰くん大丈夫ですか?」
少し責めるようなピクシーボブの言葉を無視して、ソファの側に歩み寄ると、洸汰くんは安らかに寝息をたてていた。特に外傷も無さそうだ。マンダレイが苦笑してユキを見る。
「大した事ないよ。心配させたね」
「や、見張りお願いしたの私たちなんで。ありがとうって伝えといてください。緑谷、行こう」
「え、あ、うん…」
緑谷の腕を引いて事務所を出る。背中でパタンと扉が閉まって、なんとなく緑谷と並んで立ち止まった。
窓の外の森は真っ暗で、蛍光灯の灯りは心許ない。薄暗い廊下で、緑谷とユキの間に沈黙が下りる。隣で彼が言葉を探しているのが、空気から伝わってきた。
「……僕は、昔からヒーローに憧れてて、かっちゃんとか、周りもみんな…」
「……」
「だから、理屈は分かっても、本当の意味では分かっててあげられないと思うんだ。洸汰くんの気持ち…」
緑谷が何を言いたいのかは、なんとなく分かる気がした。保須の病院で緑谷は、不自然な程に警察に反目するユキを見ている。何らかの違和感を感じていても、おかしくはない。
緑谷の目が、真っ直ぐユキに突き刺さる。
「病院でも、プールでも思ったんだけど…もしかして、猫堂さんも、過去に何か…もしそうなら、洸汰くんのこと、」
「緑谷」
緑谷の言葉を遮って、その大きな瞳を見返す。
「ごめん。私に、洸汰くんの気持ちは分かんない。だから私に洸汰くんは救えない」
緑谷がギクリと肩を強張らせた。
「他人の気持ちを完全に理解するなんて、家族でも無理な話だよ。洸汰くんが自分でどうにかするしかない」
「…僕らに出来ることは、無いのかな」
価値観の違いも、自分には理解できないことも分かった上で、それでもどうにかしたいのだろう。緑谷は相変わらず、おせっかいでお人好しで、根っからのヒーローだ。
思い詰めた様子の緑谷の肩を叩く。顔を上げた緑谷に、ユキは明るく笑ってみせた。
「こう言うと冷たいようだけどさ、時間が解決してくれるのを待つのがいいと思うよ」
「そう、かな…」
「少なくとも、他人にどうこうできる話じゃない」
そう言って、立ち尽くす緑谷を置いて歩き出す。
心からの言葉だった。ヒーローを拒む洸汰くんに、ヒーローを目指す人間の言葉なんて、何を言っても刺さらないだろう。今彼はきっと、全ての言葉に耳を塞いでいる。その手を無理矢理引き剥がすことが、解決策だとは思えなかった。
「猫堂さんは…」
「……」
「猫堂さんは、解決できたの…?」
とても遠慮がちな、控えめな声がした。振り返ると、緑谷が立ち止まったままユキを見つめていた。
相変わらず、自信が無さそうなわりには、真っ直ぐにこちらを射抜く視線。
「…どうだろう」
「なにか、僕に…できることは」
「うーん」
保須総合病院での轟と重なった。おせっかいめ、私のことなんて気にしなくていいのに。
「とりあえず…服着て欲しいかな」
「……!!!」
今さら気づいたらしい緑谷の、声にならない悲鳴が、静かに夜の宿舎に響いた。
act.72_洸汰くん