Coco


□暗雲
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「パンサー、お前保須に行っとけ」

ホークスの突然の訪問の翌朝。

ここ数日ですっかり慣れてしまった屋外での朝食中(別に優雅でもなんでもなく、屋上のへりに座ってサブウェイを齧っている)、ミルコが突然そう言った。

エビとアボカドのサンドイッチを飲み込んで、ユキが首を傾げる。

「保須…ってどこでしたっけ?てゆーかなんで?」
「次もそこだからに決まってんだろ」
「いや当然だろみたいに言われても」

アイスコーヒーを吸いながら、ミルコが肩を竦める。

「ステインだよ、分かれよ」
「あ…」

聞き覚えがあると思ったら、ネットニュースの記事だ。そう、飯田の兄インゲニウムが襲われた街。職場体験の毎日が怒涛すぎて忘れていたが、ステインは未だ捕まっていない。

「奴はひとつの街で最低でも4人のヒーローを襲ってから拠点を移動してる。保須はまだインゲニウムだけ、あと3人はやられる筈だ。私も後から追うから、先に向かっとけ」
「向かっとけって…ミルコはどうすんですか」
「別件で警察から出動要請かかってんだよ。そっちはお前いても足手纏いだからな」
「っかぁー、ほんといつも一言余計…」

ムッとするユキに、ミルコがニヤリと笑って、頭の上に空のアイスコーヒーのカップを置いてきた。

「寂しくてまたピーピー泣くなよ」
「泣っっっかねーし!すぐ向かったるし!」

ユキがシャウトと共に頭のカップを投げ返した。が、難なく避けられた。

結局昨晩、ユキのあまりの涙腺崩壊具合にキレたミルコに「ウゼェから寝ろ!!」と同じベッドに引っ張り込まれ、なぜか2人で寝た。行動理論が謎すぎる。

ただ、誰かと並んで眠るなんて久しぶりすぎて、隣の体温が心地よかった。なんて、死んでも言わないけど。

「既にエンデヴァーの奴が現地にいるから、話つけといてやる。とりあえずそこと合流しとけ」
「エンデヴァー!?まじか…!」
「なんだよ。息子、クラスメイトだろ」
「や、それは、そうだけど」

轟がエンデヴァーの事務所を職場体験先に選んだことは、本人から聞いて知っていた。しかし、轟がいてくれるとしても、急にナンバー2ヒーローの元へ行くのはちょっと尻込みする。なによりも、ユキは轟の生い立ちを聞かされている。

とはいえ、ナンバー2直々の出動という事実が、ヒーロー殺しの一連の事件の大きさを物語っていた。

「もう1人雄英生が現地にいるって聞いてるし、流石のお前も寂しくないだろ」
「だっから、別に寂しくは……もう1人?」

そんなことも知らないのかとでも言いたげな顔で、ミルコが振り返った。

「名前なんだっけな。あれだよ、インゲニウムの弟」
「…は?」
「保須のマニュアル事務所に行ってる。お前よりかは頭の中が分かりやすいな」

頭の中が分かりやすい、というミルコの言葉の意味を理解して、ゾッとした。自分の拳を見つめる生真面目なクラスメイトが脳裏を過ぎる。

どうしてあの時、何も気付かなかったのだろう。飯田はユキの職場体験先を尋ねてきたが、自分がどこへ行くかは言わなかった。

(まさかね…いや、無い無い、飯田に、限って…)

嫌な想像は、一度浮かぶと離れなくなる。飯田がそんな無茶をする訳がない、でも、自慢の兄で憧れのヒーローを再起不能にした犯人に、もし手が届くとしたら、どうする?

−−−飯田は、インゲニウムの仇を取る気だ。そのために、職場体験先に保須を選んだのだ。








ポケットでスマホが振動していることに気付いて、画面を見下ろすと見慣れないアイコンが着信を告げていた。

ピンクのよく分からないキャラクター(たぶん虎かヒョウ)がウィンクしている丸いアイコンと、その下の猫堂ユキという文字。父親やサイドキック達が遠くで何やら話していることを確認して、通話ボタンをスライドする。

「もしもし、」
『あーごめんね轟!私!猫堂!』
「名前出てたから分かる。どうした?」

ここ最近よく話すようになったクラスメイトだ。とはいえお互い職場体験中、用もなくかけてくるような奴ではないし、電話口の声がやけに焦っているように聞こえて、轟が怪訝な声で尋ねる。

『あのさ、もしかして今保須にいる!?』
「あぁ。なんで知ってんだ」
『飯田!!』
「は?」

会話が噛み合わない。なぜ突然飯田の名前が出るのか。

『会ってない!?飯田に!』
「会ってない…なんでだ?飯田の体験先って、」
『保須なんだよ!轟知ってた!?』
「……知らねぇ」

猫堂の焦りよう、保須と飯田、ピースが組み合わされていくと、猫堂の考えている事はなんとなく察しがついた。なんともいえない嫌な予感に、轟も眉を顰める。

『私、ミルコの指示でエンデヴァーのとこに合流することになったんだけどさ!』

電話の向こうで風がゴウゴウと鳴っていて、猫堂がどこかを走ってることが分かった。

『飯田探してから行くから、ちょっと遅くなるってエンデヴァーに伝えてもらっていいかな!』
「探してって…探してどうすんだ」
『いや分かんない!分かんないけど、なんか、』

嫌な感じがする、と言ったきり、通話は一方的に切られた。

(嫌な感じ…)

静かになったスマホを見下ろして、轟も逡巡する。猫堂が飯田の行動を深読みしているだけかもしれない。学級委員長、品行方正、いつも正しい道を選ぼうとする飯田のような奴が−−−まさか、ヒーロー殺しへの復讐でも考えている、なんて。

「焦凍」

考え込んでいると、頭上から声がかかった。顔を上げると、父親、いや今はNo.2ヒーローの顔をしたエンデヴァーがいた。炎に包まれたその表情が、気難しげに歪んでいる。

「ミルコから面倒を押し付けられた。お前のクラスの、」
「…面倒かはそっちの都合だろうが、猫堂なら今電話してきた」
「そいつが合流してくるが、バーニンに指示させる。お前は気にするな、関わらなくていい」
「………」

余計なお世話だ、と言いたいところだが、今は飯田が気になる。黙っていると、エンデヴァーが踵を返したのと入れ替わりに、サイドキックのバーニンがやって来た。

「焦凍くん!猫堂ユキって子がさァ!」
「今連絡ありました。私用で少し合流が遅れるそうです」
「……私用、ね!」

バーニンが少し考え込むような素振りを見せたあと、轟の顔を覗き込んでくる。

「焦凍くん、その子と仲良いかい?」
「は?」

脈絡の無い問いかけに、轟が眉を寄せる。バーニンはいたって真剣な顔で、訳もわからず首を横に振った。

「別に…特別親しいわけじゃ無いですけど」
「そう、ならいいんだけど」
「どういうことですか」

バーニンが無表情に轟を見る。いつもどちらかというと溌剌としていて表情豊かな彼女にしては、不思議な反応だった。

「できれば関わらないで欲しいけど、同じクラスならそうも行かないか。うん、気にしないで!焦凍くんはエンデヴァーさんについてればいいからさッ!」
「は…?」

それきりとっととどこかに行ってしまったバーニンの背中を、訳もわからず見送る。

−−−関わらなくていい
−−−できれば関わらないで欲しいけど

エンデヴァーはともかく、バーニンの言葉には違和感がある。ただ雄英生が1人増えるだけで、妙に警戒を促すような言い草だ。

(…なんだ……?)

特別親しいわけじゃないのは事実だが、いつも輪の中で笑っている、明るくてお喋りな、普通の女子だと思う。面倒と表される様な奴じゃない、とひとりごちたところで、病院に1人佇む姿を不意に思い出した。

死んだ彼女の両親、5年前の事件、心が死んだという患者。何かがあったのは明らかだが、それに踏み込めるほど、自分は猫堂というクラスメイトを知らない。

しかし彼女は、飯田の計画を懸念し、止めようと走っている。

「……猫堂、」

一度ポケットにしまったスマホを、再び取り出す。メッセージアプリを起動し、通話マークで終わっている履歴に新たなメッセージを打ち込む。

『飯田の居場所、分かったら教えてくれ』

『俺も向かう』

頭の片隅に浮かんでいたのは、そばかす顔のクラスメイトだった。彼ならこんな時どうするか、そう思うと、自分の行動も自ずと見えてくる気がする。

どんよりとした薄曇りの空から、ぽつりと雨粒が降ってきた。




act.47_暗雲


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