Coco


□フライハイ
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「無理無理無理」
「うだうだうるせぇな、はよ来い」
「死ぬから!!!」

ゴウゴウと風が吹く中、半泣きで叫ぶユキに、ミルコがため息をついた。

「私みたいになるんじゃないのかよ」
「言ったけどさぁ…!!」

場所は渋谷、道玄坂。

細長い雑居ビルがひしめくエリアの、とあるビルの屋上で、ユキは半ベソをかいていた。

職場体験2日目。
パトロールに行くミルコに当然ながらついて行こうとしたら、ミルコはまず屋上に上った。何をしているのかと尋ねれば、ビルとビルを飛び越えて移動するからまず上る、とこともなげに言われて今だ。

ビル同士の隙間はおよそ15メートル、ちなみに地上からは20メートル以上。要するに、落ちたら死ぬ。

「こんなとこ跳べないって!」
「お前個性ヒョウだろうが」
「昨日も言ったじゃん筋力は普通にヒト科の女子なの!この距離は無理!死ぬ!」

既に隣のビルに飛び移っているミルコが、ものすごくものすごーく面倒くさそうな顔をして、数秒黙ったあと踵を返した。

「あっ置いてく気だ!置いてったら普通に飛び降りてやるミルコにパワハラ受けたから自殺しますって遺書書いて関係各所に送りつけてやる!!」
「だーもーうるっせぇ」

隠す気配など全く無く舌打ちされた。昨日のデジャヴの正体が分かった、この、相手とコミュニケーションを取る気がない感じはあれだ、爆豪だ。だからなんかイラッとくるんだ。

下から吹き上げてくるビル風を受けながら、ユキは昨夜のことを思い出していた。









刺敵を警察に引き渡したあと、ミルコはユキを見下ろして鼻を鳴らした。

『私みたいにっつーのはあれだな、100万年早いが』
『万…』
『真似事ならできなくねぇ。つーか既にやってんだろ』
『へっ?』

キョトンとするユキの肩を、ミルコはがしりと掴んだ。

『体育祭で鳥の奴と戦ったとき、お前何考えてた』

常闇戦のことだ。何を、と問われると難しいが、あの時はとにかくダークシャドウに攻撃を仕掛けたくて、必死に技を思い出していた。

『次、どんな技で攻撃しようかなとか…』
『違ぇ、もっと感覚的なヤツだ』
『感覚…?』

観客の歓声、プレゼント・マイクの実況、スタジアムの日差し。耳に響く心臓の鼓動、スローモーションに見える世界。

『楽しかったろ』

ミルコがニヤリと笑う。図星を突かれて、ユキが黙り込む。

『お前は戦いとか極限状態を楽しむタイプだな。あとあれだ、1位の爆発小僧も同じだ』
『あそこまで人間性イカれてないけど…!』
『別にディスってんじゃねぇよ。むしろそういうタイプこそ生き残るし、私らみたいな個性の奴にゃ良い傾向だ』
『え?う、痛っ』

肩を掴んでいたミルコの腕がするりと滑って、肘の辺りを強く握りしめられた。指が肌に食い込む。赤い目が、自分の顔が映るほど近くに寄せられる。

『鳥の奴に最後の攻撃仕掛けたとき』
『あ、いや、首は別に、折ろうとは、咄嗟に』
『違うその前だ』

ミルコのあまりの気迫に頭が上手く動かない。

その前、常闇の首を掴む前。神経が研ぎ澄まされていて、ダークシャドウの位置が気配で分かっていて、ダークシャドウを躱して攻撃して、反撃される前に離れた場所にいた常闇に、

−−−1つの跳躍で一気に距離が詰まった。

あの時、自分は、何メートル跳んでいた?

『あの瞬間だけじゃねぇ。気配で攻撃を躱すこともできてた。私がやってんのはそういうことだ』
『そう、言われてみれば…』
『お前は自分の個性を全くモノにできてない。だがあの試合、極限状態の中で無意識に、私と同じことをやってた。動物系個性の奴は本来、その動物の能力をそのまま持ってるんだよ』

不意に、梅雨ちゃんの顔が浮かんだ。そういえば彼女は、蛙の個性をユキよりも幅広く使えている。

『野生動物と同じように、自分の身体を完璧に飼い慣らす≠だ。神経の1本、筋繊維の1本、全部支配しろ。そうすりゃお前は、ヒョウっぽいことがヒョウ以上にできる≠謔、になる』

まぁ私にゃ100万歩及ばんけどな、と、一言余計なミルコはぱっとユキの腕を離した。月の光が白い髪に反射して、ギラギラと輝いていた。










「自分の身体を、支配…」

ミルコの言いたいことは、なんとなく分かった。ユキは、個性によって引き上げられる自分の身体能力に、どうしたって筋力という限界値を設定している。

ミルコ曰く、それはただ個性を使いこなせていないから。ヒョウの能力は、既にユキの中にある。使いこなしさえすれば、ユキにもミルコのようなことができる。…らしい。

「……あああもう、女は度胸!」

肺いっぱいに空気を吸って、両頬をばしんと叩く。

できる限り助走できる位置まで下がり、クラウチングスタートのような態勢を取る。

(支配…神経、筋繊維の1本まで…)

目を閉じて、つま先から頭のてっぺんまで、全ての感覚に集中してみる。しばらくそうしていると、自分の鼓動が耳に響いてきた。肺に吸い込んだ酸素が血液に送られ、手足の末端まで血が巡り、筋肉が温まる。

(−−−いま!)

駆け出して、トップスピードのまま、ビルのへりを蹴った。

「っっっわ…!!」

自分でも異常だと分かるくらい、跳んだ。塀や信号機に跳び乗る程度は今までもやっていたが、比じゃない。踏み切った脚のふくらはぎが熱い。

しかし、感動したのは一瞬だった。滞空していたものの数秒の間に、突然何かに引っ張られた。

「っうえ…!?」

引っ張られたのではない、風だ。風に煽られて、まっすぐ弧を描いていた自分の軌道から弾き出される。次の瞬間には自分の頭が下を向いていた。

地上20メートル以上、下はコンクリート。

死んだ、と思った直後、何かに羽交い絞めにされた。それがミルコの腕だと気付いたときには、さながら某配管工ゲームの壁上りのように壁を蹴り付けて、屋上に担ぎ戻されていた。

「し、死ぬかと思った…!」
「はは、だっせ」

ぺいっと屋上のコンクリートの床に落とされた。人が三途の川を渡りかけたというのに、ミルコはニヤニヤ笑っている。

助けてくれていなかったら確実に死んでいた。でも、風さえ吹かなければ、たぶん届いていた。

「どうだったよ、自分の身体を飼い慣らす感覚は」
「……あと何回かやれば、たぶん」
「ハッ、生意気。親父どのの個性の賜物だな」
「基本的に一言余計ですよねアンタ…」

ふらつきながらも立ち上がり、ミルコの半歩後ろに立つ。目の前には女性にしてはたくましい背中と、高い景色と青空。

職場体験前に感じていた漠然とした希望は、今確信に変わった。ミルコについて行けば、この人の真似をしていれば、強くなれる。


「チンタラしてんな、行くぞ」
「…はいっ」




act.44_フライハイ


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