Coco


□兎と月
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ユキがミルコと合流したのは、空も暮れかけた夕暮れ時、吉祥寺のデパートの屋上だった。

「おーう、遅かったな」

屋上、というより建物の縁に腰掛けたミルコが、ユキを振り返ってニヤリと笑った。フェンスの向こうで、ヘルシーに焼けた肌に白い歯が浮かぶ。

疲労感やら怒りやらなんやらで、自分の喉から聞いたことも無いくらい低い声が出た。

「…アンタは、なに、全国でヒーローは自分しかいないとでも思ってんですか」
「ハァ?んなわけねーだろ」
「じゃあそこの管轄のヒーローに任せりゃいいでしょーよ!なに!?大宮から厚木川崎吉祥寺て!今日一日で何キロ移動したと思ってんの!?」

持っていたコスチュームケースをフェンスに投げつける。ミルコはと言えば、ユキの怒りなど気にした風もなく肩を竦めた。

「そこらのへっぽこヒーローより私が捕まえた方が早い」
「世の中には!領分ってもんがあんの!みんな上手いこと見極めてやってんの!つーかまず私が来るって分かってる日に限ってそんな長距離ヴィラン逮捕リレーするかよ普通!!」
「なんだよ、結構元気じゃん」
「元気じゃねーーーわ!!」

シャウトと共にユキが地面に崩れ落ちた。

事件があればすぐに動くであろうことも、待ってくれないと言っていたことも理解していた。

していたにしても、特急を下りてタクシーを捕まえたところで再びウサギのアイコンがものすごいスピードで動き始め、追いかけている最中に渋滞に捕まり、車を諦めて駅まで猛ダッシュし、在来線に乗ろうとしたところで再びアイコンが別方向に移動し始め、再びタクシーで環状線をひた走り、ただの移動で貴重な職場体験を1日潰すなんて思うわけがない。タクシーの領収書、切ったはいいが、ミルコも雄英も受け取ってくれなかったら本当に帰りたい。

それ以上言葉が出ず項垂れるユキの前に、カサリとクラフト袋が差し出される。

「食う?」
「えっ」
「もっと早く追いついてくるかと思ってたから買ったの昼だけどな!買ったあと敵2、3人とっ捕まえてちょい潰れた」
「………………ドウモ」

中を覗くと、確かに少しひしゃげたハンバーガーが入っていた。色々言いたいことはあったが、黙って袋を受け取る。

(なんだ、この言葉の通じない感じ…何かとデジャヴる…)

でも、意外に敵意らしき敵意は感じない。出会い頭に尋問されて蹴っ飛ばされることも少し想定していただけに拍子抜けだ。

怒ることにも疲れてきて、ユキは素直にハンバーガーを齧ることにした。

フェンスに背中を預けて腕を組むミルコは、特に何も言わずに吉祥寺の繁華街を見下ろしている。

「…今日は、ずっとパトロール?…ですか?」
「基本はな。敵見つけりゃ蹴っ飛ばして、また探す」
「パトロールだけであんな大移動するー…?」
「そこらのヤツとはスピードが違うんだよ」

視線だけこちらに寄越したミルコが、不適に口の端を持ち上げた。

「ついて来れなきゃ帰っていいんだぜ、猫堂ユキ」

前言撤回、意地でも帰らないことにした。

ハンバーガーを咀嚼しながらミルコを睨んだが、そんなのどこ吹く風といった様子だ。やっぱりムカつく。

「…ミルコ、なんで私のこと、」
「シッ」

ユキの言葉は途中で遮られた。その視線の鋭さに、思わずユキも手と口を止める。

ぴくぴく、とミルコの耳が動いた。何か聞こえるのだろうか。ユキも耳をすませるが、屋上のゴウゴウという風の音、頭上のヘリコプターの音しか聞こえない。

ミルコが好戦的にニヤリと笑う。

「細かい話はあとだ、先に蹴っ飛ばす」
「へ!?なにが、」
「ついて来てみろ!」

そう言うや否や、再び屋上のフェンスを乗り越えたミルコは、−−−デパートの屋上から飛び降りた。

「はい!!!??」

慌ててフェンスに駆け寄ると、ミルコは隣のビルの非常階段に飛び移り、さらに信号機に飛び移って降りていく。ウサギの個性といえど高所から落ちれば死ぬはすだ、それを、10階建の建物の屋上から躊躇いもなく飛び降りる?

「ついてって…アホか…!」

ケースもハンバーガーも放り出して、ユキも駆け出す。

呑気にエレベーターなんて待ってられない。殆ど手すりを滑り降りるようにデパートの非常階段を駆け下り、息を切らしてデパートを出る。

一見、なんの異変も起きていないように見える。しかし、繁華街方面から何人かの学生が走って来て、その中の一人と目が合う。

「あ!?雄英の…!」
「敵ですか!?現場は!」
「あ、あっち、公園の方…!デカい男が女の人を捕まえて、なんか訳わかんねーこと言って!」
「ども!通報も頼みます!」

学生が言い終わる前に駆け出す。何事かと人々が振り返る飲み屋街を抜け、信号が変わるのも待たずに道路を突っ切る。

雑貨屋やバルと低層住宅が混在するエリアの奥に、ほとんど観光地化した大きな公園がある。鬱蒼とした緑が遠くに見えるあたりまで来ると確かに悲鳴が聞こえ、通行人達が不安げにそちらを向いて立ち止まっている。

(ほんとに事件だ、避難するように呼びかけるべき…!?でも敵の規模も分かんない、それほどの脅威じゃないかも…いや、轟みたいな広範囲攻撃持ってるヤツだとしたら…!)

人波を縫って走る最中、頭の中でぐるぐると思考が巡る。ここにはイレイザーヘッドもいない、クラスのみんなもいない。どうしたら、だれか指示を。

そう思っていた時、クソが付くほど真面目なクラスメイトの顔が浮かんだ。

助走をつけて、目の前の家の塀に飛び乗り、さらに高い街灯にぶら下がる。

「−−−みなさん!!!」

声を張り上げると、騒然としていた通行人達がこちらを見上げる。突き刺さる視線に、喉が絞られるような感覚。それをこじ開けて、再び叫ぶ。

不安を与えてはいけない、でも、端的に状況を伝えられるように。−−−飯田のように。

「公園で敵が出たとの通報がありました!!既にミルコが向かっているので心配は無い、です!けど!念のため駅の向こう、北口まで避難して下さい!」

敵が出た、のワードに顔を青くした人々が、徐々に状況を理解したらしく、慌てて北方面に走り始めた。さっきの学生が通報してくれていれば、あとはヒーローか警察が誘導してくれるだろう。

逃げる人々とは逆行して、家々の屋根や塀を伝ってユキは公園の方へ駆ける。

公園の入り口を抜けてすぐ、階段を数段飛ばしで飛び下りると、状況は手に取るように分かった。

「ミルコ!!」
「おせーぞ!!」

全身から刺を生やした巨大な男が、若い女を一人はがいじめにしていた。女の頬が血と涙に濡れている。ミルコがユキに叫ぶと同時に男を蹴り飛ばしたが、刺が数本折れただけで刺男は女を離さない。

「なんで…愛してたのに…愛してたのに…!!」
「や、助け、たすけて…!」

男は完全に我を忘れているようで、女が必死に助けを求める声もなにも聞こえていない。それどころか、刺男はボロボロと涙を零しながら女を抱きしめている。女の腕が刺に触れて血が滲むのが見えた。

「人質が邪魔で蹴れねぇ!そいつ解放させろ!」
「んなこと言ったって…!」

ミルコが繰り出した蹴りで、男の身体の刺はどんどん折られていく。しかし、その刺がいつ人質の心臓を貫くか分からない状況。

ミルコならこんな一般人敵、瞬殺でぶっ飛ばせる筈だ。人質を解放しなければ。しかしどうやって?

辺りを見渡すと、すぐ側で別の男が腰を抜かしているのを見つけた。

「何してんすか!危ないから早く逃げて!」
「あ、だ、だって…!!」

駆け寄ると、顔面蒼白の男が暴れる刺男を指す。

「か、彼女が…!」
「え、なにアンタの彼女なの!?」
「アイツと別れて俺と付き合うって、1人で別れ話するの不安だからついて来てって言われて、別れ話したらアイツが逆上して…!!」
「痴情のもつれかい…!」

なんて分かりやすい構図だ。女が違う男に乗り換えるにあたって、別れ話を切り出したら逆上されたという、サスペンスドラマでも今どき使わない話らしい。

人質の女を解放することが急務。
どうする、どうする?

「−−−アンタ!!」

ユキが声を張り上げる。

「まずはこの男殺すのが先じゃないの!?」
「エッ」
「彼女奪られたんでしょ!?彼女抱きしめて泣いてるより恋敵殺した方が建設的じゃなあいー!?」
「エエエー!!?」

刺男の視線が、ゆっくりとこちらを向く。数秒の沈黙の後−−−刺男が女を離した。

そして、まあ当然だが、こちらに猛進してくる。

「ギャー!!」
「捕まって!!」

悲鳴をあげる男を担ぎ、ユキが駆け出す。男の巨体では一歩が大きい、人一人担いでいては普通に追いつかれる。

しかし、刺男が女を解放してからものの2秒後。

「おらァ!!!!」

白い閃光のようなものが、とんでもないスピードで刺男を弾き飛ばした。

身体に生えた刺も粉砕し、3メートル近くある巨体が吹き飛ばされ、轟音とともに雑木林に沈む。土煙が晴れたときには、刺男はぴくりとも動かなかった。

ユキも、担がれた男も、地面に崩れ落ちた女も、呆気にとられてその場に立ち尽くす。

「お前、性格悪いなぁ」

先ほどまで刺男の巨体がいた場所で、仁王立ちしたミルコが、愉快そうにユキを見る、

シンプルなパワー、強さがそこにあった。

夕闇に浮かぶ白いコスチューム、不敵な笑みの上で、丸い月が煌々と光る。その光景が、とてつもなく−−−カッコ良いと思ってしまった。

「………私は、アンタみたいになれますか」

ほとんど無意識に、呟くように溢れた言葉はミルコに届いたようで、彼女はニヤリと笑った。



act.43_兎と月


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