Coco
□暗夜の灯
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−−−ヒーローネットワークで連絡するから待ってろ!言っとくけど、待ってやる気はないからな!
「…先生、これ指名?」
「…まぁ、そうなるな」
ミルコからの突然の電話が一方的に切れて、なんとも微妙な空気の職員室からユキは連れ出された。
廊下で隣の相澤先生を見上げると、先生も微妙な顔をしている。
「とりあえず、時間も遅いし家まで送る」
「え!?いいっすよ近いし!変質者くらい撃退できるし!」
「15そこらの女の子が生意気言うんじゃない」
先般のマイク先生に比べるとだいぶ刺があるが、女の子扱いされたことが気恥ずかしくて、黙って着いていくことにした。こういう時は頼るのが吉、らしいし。
窓の外は真っ暗で、廊下の蛍光灯の光が心許ない。相澤先生の真っ黒なコスチュームが闇に溶けて消えそうで、なんとなく捕縛布の端を掴んで歩く。
「そういえば、俺に用事あったんだったか」
「あ、そうだ」
すっかり忘れていた。立ち止まって振り返った相澤先生に、はいと手を差し出す。
「新しいリスト、ください」
「…あ?」
「そろそろ減ってる頃かと思って」
そう言うと、苦虫を噛み潰したような顔で相澤先生が頷いた。
「車で話す。お前分かってたのか…」
「アリスプロでしたっけ?あそこから指名来てる時点で薄々」
職員室裏手の駐車場に出ると、夜にしては暖かいじめっとした空気が腕に纏わり付く。関東地域は今週梅雨入りしたばかりだ。
辿り着いた区画には、洒落っ気のないこれまた真っ黒なセダンが鎮座している。
「うっわ先生っぽい…無骨…」
「はよ乗れ、助手席」
促されて、助手席に座ってスクールバッグを膝の上に置く。勝手にカーナビを操作して住所を入力している間に、相澤先生は静かに車を発進させた。
「今リスト持ってるか」
「はい」
「キャンセルしてきた事務所、挙げてくからリストから消せ」
「どーぞ、準備万端です」
予め準備していたリストとペンを片手に右を見上げると、ハンドルを握ったまま先生がため息をつく。そのまま、いくつかの事務所の名前を挙げていった。
いくつか、どころではなかったが。アリスプロから始まり、総勢38社。以上だ、と相澤先生が告げたのでリストを見返すと、半分以上が黒く塗りつぶされている。
「指名するなら予めちゃんと経歴調べとけって伝えてください。ザルですやん、プロヒーローの諜報能力」
「もう伝えたよ」
相澤先生が素っ気なく答えた。が、さっきの苦虫を噛み潰したような表情を見る限り、この人が怒ってくれているのはなんとなく分かった。
−−−先ほどのミルコの言葉は、どう足掻いても真実なのだ。
5年前の事件で、ユキは家族を失った。ヒーローはユキの家族を救えなかった。ヒーローへの復讐を考えていてもおかしくない立場に、ユキはいる。
そんな危険分子をおいそれと事務所に招こうなんて、聡いヒーローは考えない筈なのだ。ユキの経歴を知らずに体育祭のリザルトだけ見て指名してきた事務所が大半であろうことは、リストを見てすぐに分かった。アイドルヒーローなんて、ホワイトさが売りのヒーローは特にそうだろう。
そういう目で見られることには慣れているし、雄英に入学した頃は監視≠ウれることも予測していたぐらいで、今更どうってことないけれど。
「先生、私大丈夫ですよ」
「……」
「慣れてますよ」
先生は前を向いたまま、ハンドルから左手を離してユキの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。骨張った手が髪をさらう。
昨日の轟を思い出す。ユキは頭を撫でられるのにもなんだか慣れてきた。
「…ふへへ。前向いてけ、です。むしろ分かってて指名してくれてるヒーローが見極められますから」
「変わったな、猫堂」
「へ?」
赤信号で車が止まる。先生が横目でユキを見下ろした。
「入学した頃は、そういう考えに至らなかったろ」
「……」
確かに、さっきのミルコの言葉に、以前のユキならどう返していただろうか。
たぶん、反論するどころか、反応すらしなかっただろう。向けられる敵意や疑心に、目も耳も塞いでいた。
そんな以前の自分が、ほんの2ヶ月前だ。
「教わってます、教わろうとしてこなかった分」
「そうか」
「マイク先生とか三奈ちゃんとか尾白とか常闇とかリカバリーガールとか、緑谷とか、あと爆豪に喧嘩のしかたも教えてもらったな」
「…最後のは限度があるぞ、上手くやれよ」
「あっ喧嘩すんなとは言わないんだ」
お前の場合は時と場合による、と付け足された。体育祭の最中、爆豪の猿真似を思い出す。たぶん、あれは時と場合に該当するパターン。
「で、どうする?随分一方的なオファーだったが、一応指名は指名だ。受けるも断るもの猫堂が選んでいい」
「受けます」
アッサリと頷いたユキに、相澤先生が片側の眉を上げた。その顔をわざと覗き込んで、にんまりと笑う。
「ミルコがどういうつもりで私を指名してきたの知りませんけど、下種の勘繰りどうもありがとって鼻っ柱へし折ってきてやろうと思います」
「……こういう時だけ小難しい単語使いこなすねお前」
「てへぺろ」
「教師にてへぺろはやめろ」
やめさせるのはてへぺろ以前の部分だと思うが、相澤先生はそこには触れなかった。
ミルコが猫堂を指名してきた意図は分からない。
本当にユキの事を『犯罪者予備軍』として疑っているのなら、出会い頭に星の彼方に蹴っ飛ばされるかもしれない。
だとしても、ヒーローを目指す以上、逃げてはいられないのだ。むしろ近しい個性のヒーローからの指名なんて願ったり叶ったりである。
「どんな意図であれ指名は指名、せいぜい利用させてもらいますよフフフ…」
「ふ、お前それ、完全に敵のセリフ…」
夜の光を不健康そうに反射する横顔が、クツクツと笑った。珍しいリアクションに、視線が捕われる。
クラスメイトに救われたことはたくさんあったが、やっぱり一番はこの人だ。相澤先生が、ユキをいいヒーローにすると言った。USJでの事件の後、病院で告げられた言葉が、本当に嬉しかったのだ。
(なるんだ、いいヒーローに)
ひとひごちて、窓の外に視線をやる。いつもは憂鬱な一人の夜が、今日は随分と心地が良かった。
act.41_暗夜の灯