Coco2

□クラスメイト
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もともと睡眠時間が短くても平気なタイプなのと、学校に来れば話し相手がたくさんいて楽しいという理由が同居して、ユキは入会以来ずっと、クラスメイトが引くほどに登校するのが早かった。たいていユキが教室に一番乗り、次に来るのはいつも飯田で、たまに爆豪も早い。空っぽだった教室に徐々に人が増えていって、なんでもない会話をしながら登校してきたクラスメイトを迎える時間は結構好きだった。寮制が始まってからは話し相手に困る事が無かったから、一番乗り登校なんてする必要もなくなっていたのだが。

朝の白い光が満たす、どこか冷たいがらんどうの教室にて。そんな数ヶ月前までの記憶を思い浮かべながら、自分の机に突っ伏して目を閉じる。

「……しにたい…」

もう二度と言わないと誓ったはずの台詞が、投げやり気味に漏れる。今は爆豪にどんな罵詈雑言を浴びせられようが甘んじて受け入れられる気がした。

どんな顔で皆に会えばいいのか分からなくて、ユキは朝食にも出ず誰にも会わないように教室に来てしまったのだ。無駄な足掻きだ。どうせ始業時間になれば皆ここに来るのに。さっき透ちゃんから「もう学校?」というメッセージと、泣いているウサギのスタンプが届いていた。口田のウサギに似ているという理由で、お揃いでダウンロードしたスタンプ。既読だけつけて返信できないまま、それきりラインは開いてない。

文化祭まで2週間。今さらやりたくないなんて喚いても皆の気持ちをざらつかせるだけだと分かっていたのに、気付いたら頭のどこかがぷつんと切れてしまっていた。友達を守りたかったはずなのに結局は傷つけて、これでは何をしたかったのか分からない。最低だ。後悔も思考も億劫になってきて、パーカーのフードを被って腕に目を押し付ける。こうしてれば周りの音を全部シャットダウンできるような気がした。…のに、ガラリと教室の扉が開く音が聞こえた。

靴が床を踏み締める音が近づいてきて、隣の席で止まる。

「そんなんなるなら言わなきゃいいのによぉ」
「……っさいな」

うわ機嫌悪、と瀬呂はいつも通り笑って、隣の席に腰を下ろす。いつもこんなに早くない癖に。なんで、なんて愚問だろう、きっとユキに何か言いたいことがあるのだ。昨夜無表情にこちらを見つめていた視線を思い出して、なんとなく身構える。

しかし、待てど暮らせど瀬呂は何も言わなかった。静かな空間に、瀬呂のイヤホンから漏れる音楽が控えめに響いている。

「……ねぇ、なに」
「あ?なにが」
「…いつもこんな早くないじゃん」

先に沈黙に耐えきれなくなったのはユキだった。突っ伏した腕の隙間から隣を睨むと、瀬呂は「別に?」と嘯いてスマホに視線を落とす。親指がするすると画面を滑ったあと、スマホを机に伏せて瀬呂はこちらに向き直った。

「なに、励ましたりしてほしい?」
「うわウゼー、どこに落として来たのデリカシー」
「ははは!なんだ、結構元気じゃんよ」

ケラケラと声を上げて笑った瀬呂が、答えを待つようにまた口を噤んだ。励ましてほしいと言えば励ましてくれるのだろうか。残念ながらそんなのユキは求めてないのだが。

「励ましも慰めもいらないよ」

傷つけておいて励ましてもらおうなんて、どんな面の皮だ。それにここで助けを求めてしまったら、自分の弱さをまた証明してしまうように思えた。自分の意固地っぷりが嫌になる。瀬呂はきっとまた「頼れよ」って、言ってくれようとしてるのに。

「あ、そ?」
「……」
「じゃあ俺勝手に喋るけど」
「喋んなくていい」
「いーや喋るね。お前も昨日好き放題言ったでしょ」

そう言われると何も言えないじゃないか。せめてもの抵抗で再び顔を伏せるが、瀬呂の視線は身体の右側に突き刺さったまま声は続く。

「お前がなんか色々抱えてんだろうなってことは、まぁ俺達も判ってんのよ。言いたくないんだろうってことも含めてな。だからわざわざ聞かねーし、言いたくなったら言えばいんじゃねって思う」
「……ん」
「ただ、それが原因で1人でネガってんのに、腹の底隠したまま嫌だやりたくないじゃ誰も納得しねぇよ。耳郎とか芦戸とか、率先して頑張ってる奴がいる場であんな風に言うべきじゃなかった」
「………」
「お前は気持ちをぶつけただけだろうけど、あいつらはそれを受け止めてどうにかしようとしちまうだろ。そこまで考えてたか?」

真っ暗な視界の中で、瀬呂の声だけがストレートに鼓膜を震わせる。静かなトーンで続いた言葉がじわじわと、隠した目と耳に熱を集めていくのが分かった。

(ほんっと、馬鹿だな私…!)

恥ずかしい。瀬呂に言われるまで、「傷つけた」の先がある事に思い至らなかった。そうだ、きっと皆はユキが無責任にぶつけた感情を、どうにかしようとしてくれる。傷つけて終わりじゃない、そう言ったリカバリーガールの顔が脳裏を過った。瀬呂ならまた「頼れよ」って手を差し伸べてくれるんじゃないかと、一瞬でも思った自分の子供っぽさが、とてつもなく恥ずかしい。

何も言えないユキの頭に、コツンと何かが当たる。

「ここまでは理性の話ね。で、こっからは俺の感情の話だけど」
「……」
「俺も似たようなこと考えてはいた。…お前だけじゃねーのよ」

それだけ言って言葉は途切れ、椅子を引く音がした。気配が遠のいて教室の扉が開き、再び教室から人の気配が消える。そろりと顔を上げると、机の端に紙パックのジュースが置かれていた。青いパッケージに間抜けな牛のイラストが描かれた、ユキがいつも飲んでいる豆乳。

「…結局励ましてくれてんじゃんか」

そういえば瀬呂は文化祭ライブに最後まで否定的な意見を出していた気がする。デリカシーは無い方だしお調子者だけど、流れを読むのが上手くて、だからこそ瀬呂のスタンスはいつも一定している。誰かが出れば身を引くし、誰も出なければ自分が出る。期末試験の時も林間合宿の時も、無茶をしたユキを真っ先に叱ってくれるのは、いつも瀬呂だった。その役割が変わらなかったことにちょっとだけ安心して、やっぱり情けなくなった。



◇ ◇ ◇



「女子大丈夫かな…」

ヒーロー基礎学終わりの更衣室で、隣からそんな声が聞こえてきた。輪っかのままにしていたネクタイを頭から被って顔を上げると、尾白が神妙な顔でぱたんとロッカーを閉めるところだった。

「あー、やっぱなんか変だよな?空気重いっつか」
「喧嘩でもしてるのか」
「みたいだよ。葉隠さんにちょっと聞いた」
「うへぇ、マジかこのタイミングで」
「まぁ…イベント事の前ってあるあるだよな…」

他のメンツの指摘に砂藤が肩をすくめてそう言い、皆があぁと曖昧に頷く。それきり話題が明日の授業に移るなか、口をもごもごさせた峰田と視線がぶつかった。

昨夜の共有スペースでの一件、居合わせた男子連中は峰田と瀬呂と青山と自分だけ。青山はいつも通りだし、今朝やけに早く出た瀬呂も素知らぬ顔で着替えている。そりゃあ大袈裟に騒ぎ立てるべきでは無いんだろうが、それにしたってそんなしれっとしてて良いのだろうか。

−−−分かってないんだよ、皆はさぁ!!

(……あるあるかなぁ、アレ…)

中学3年間を振り返ってみれば確かに、イベント事でクラス全員が1つの事に取り組むと必ずと言っていい程どこかで諍いが起きた。自分がその渦中にいたことも無くはない。それでも昨夜の猫堂にはよくある喧嘩≠ナ片付けてはいけないような必死さが滲んでいたように思う。文化祭ライブについては一度かっちゃんに苦言を呈されていて、それでも音で殺る(これはイマイチ意味わかんないけど)と言ってくれた事でクラスの士気は高まったし、一致団結できたのだと思っていた。

21人全員が気持ちをひとつにするのは、当たり前だがすごく難しい。猫堂だけがたぶん、どこかに取り残されていた。

「上鳴よぉ」
「んあー」

皆から少し遅れて更衣室を出て、廊下をだらだら歩きながら峰田がこちらを見上げる。

「昨日の猫堂のやつ聞いてどう思ったよ」
「…お前は?」
「今さら言うなよなーって思った」
「……俺もぉ〜」

峰田と揃ってがっくりと肩を落とす。

猫堂を責めたいわけじゃない。寧ろ責められるわけがない。滑るんじゃないかとか、叩かれちゃうんじゃないかとか、誰も見に来ないんじゃないかとか、想像しなかったわけじゃないのだ。突然の寮制導入でヒーロー科が、特にこのクラスが一部から責められているのはなんとなく理解していて、でも深く考えてしまうと動けなくなってしまうから、暗い想像を瓶に詰め込んでポジティブなイメージで無理やり蓋をした。昨夜の猫堂はその蓋を引っ剥がして瓶を逆さにして中身をぶち撒けて、丁寧に並べて見せたわけだ。

「なんか、改めて現実突きつけられちまったっつーか…猫堂の気持ちも分かっちゃうじゃん…」

自分や峰田や皆が見ないようにしてきたものから、猫堂だけは目を逸らせなかったのだろう。それを弱さだと、一概に責める気にはなれなかった。

峰田が数歩先まで走って、鬼気迫る顔で「ばっきゃろー!」とこちらを振り返る。

「不安とかコエーとかそんなん全部置いといて、それでもやったろーぜっつー話だろ!?今さら尻込みしてられっかよ!」
「わぁかってるって!俺に言うなよ!」

峰田の言う通りで、昨日の芦戸の言う通りだ。心配事ばかり懸念して日和ってたら何もできないし、そもそも未来の事なんか誰にも分からない。ライブは大成功で全員ハッピーの超大喝采、なんて可能性も大いにあるのだ。腕を組んだ峰田が、小柄な体躯に目一杯空気を吸い込んで鼻を鳴らす。

「みんな、大なり小なり不安はあんだよ。そんな今こそプルスウルトラ!乗り越えてこそのヒーローよ!」
「だよな…そうなんだよなぁ」
「なのになぁ、あーもぉちくしょー…!オイラちょっと猫堂にバシッと言ってくっかな!?」
「それはやめときな?マジで」

女子の喧嘩に首を突っ込んで、いい事なんかひとつも無い。それにこの状況が単純な喧嘩≠ニも言い難いことは、馬鹿な自分にも分かる。

昨夜から一変して猫堂は怒るでも拗ねるでもなく、ずっと無表情で窓の外を眺めていた。昼休みもとっとと1人で教室を出ていき、授業が始まる直前に戻ってきた。麗日やヤオモモがなんとか猫堂を捕まえて声をかけるのだが、二言三言交わしたかと思えば、しょんぼりと退散していく。たぶん何を言ってもやんわり遠ざけられるのだろう。逆に分かりやすく落ち込んでいるのは芦戸の方で、ちらちらと猫堂を盗み見ては頭を抱えるという動作を一日中繰り返していた。

(…どうしたらいいのか、分かんねぇよなぁ)

芦戸の言っていたことは決して間違いではなくて、でも猫堂の言うことも理解できる。納得するまで話し合えばいいなんて小学校の道徳の教科書みたいな結論で解決できるならとっくにやっているわけで、子供でも大人でもない自分達は、仲良しこよしで全部見せ合おうと言えるほどガキじゃないけど、お互いを「お前はそういう奴だよな」とすっぱり切り捨てられるほど達観もできない。距離を測って顔を見て、…でもやっぱり、笑う時は一緒がいいと思うじゃないか。

勝ち気で不遜で口が達者で、騒がしくて割とアホ。可愛らしい容姿に反したそんな性格が、純粋に友達として好きだと思う。いい奴なのだ。同じヒーロー志望生としてカッコいいとも思う。その猫堂が、泣きそうになりながら、見えない悪意の形を叫んでいた。まるで自分を斬りつけるような言葉の真意を、自分たちは知らない。

「…らしくねーよ、水くせー」

拗ねたように言った峰田も、同じことを考えているのだと思った。いつもみたいにケラケラ笑いながら話してくれればいいのに。そしたらこっちも笑って聞いて、それからちゃんと力になるつもりでいるのに。

知り合って半年と少し。
クラスメイトとの距離は近いようで案外遠くて、ちょっぴり寂しくなったりした。



act.148_クラスメイト


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