Coco2

□指先に刃
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きっかけは些細な事だったように思う。
何かの拍子に指が触れた、本当にそれだけ。

「ここで青山が上に飛ぶ!」
「いやどうやってだよ」
「あんま大掛かりな装置は今から作れないよねぇ」
「うーん…」

いつしか夕食と就寝の間の自由時間は、文化祭ライブの打ち合わせに充てられるようになっていた。まばらにクラスメイトが駄弁る共有スペース、ホワイトボード上でクラスメイトに見立てたマグネットをくるくる転がしていた三奈ちゃんが「下りてこい名案〜」と天を仰ぐ。青山がミラーボールになるという突飛なアイデアを、なんとか実現させたいらしい。

ソファからぼけっとそれを覗き込んでいると、不意に三奈ちゃんがこちらを振り返った。

「そだ、衣装も考えなきゃだね」
「え?あー、そだね」

文化祭に使う衣類はヒーローコスチュームと同じく被服控除が使えるらしく、期限までにデザインやサイズを提出すればかなり安く衣装が作れるのだ。流石に型紙から本格的にはやれないだろうし、既製品から良さげなものを見繕うことになるだろうけど。

「猫堂、服好きじゃん。なんか案ないー?」
「んぬえー」
「なにそれ、鳴き声?」
「はは、うん鳴き声」
「ユキちゃん」

適当に打ったユキの相槌を遮るように、ひたりと額に手が添えられた。同年代の女の子よりちょっと大きくて冷たい手。すぐに持ち主である梅雨ちゃんがユキの顔を覗き込んでくる。

「え、なに、」
「無理してない?」

視線も口調も優しいそれに、どくんと心臓が鳴った。しかし緊張を知覚するより先に、条件反射で口が滑り出す。

「あは、ばれた?」
「なに猫堂、また熱出してんの?」
「違うよ補講の課題が多いだけ。でも召喚するから平気だよ」
「は?なに?召喚?」
「轟と爆豪をね。轟はノーリスクで召喚できるけど爆豪は一回召喚するごとにライフ減るからやばい、だから轟をヘルプで召喚する」
「ぶ、あいつら召喚獣だったのかよ」
「そりゃつえーっつーの」

耳郎にはあっけらかんと笑って見せて、ふざけた事を言えば上鳴あたりが乗ってくれる。そうすれば馬鹿だなぁと空気がふやけて、話題はすぐに次に移る。その筈だったのに、皆の笑い声を遮って「ユキちゃん」と再び梅雨ちゃんが声を上げる。柔らかいのに有無を言わせぬその語気に、共有スペースはゆっくりと静まり返っていった。

「………え?」

きょとんとしているのはユキ自身と、上鳴と峰田だけだった。共有スペースにいるのは女子全員と男子が数人。その場にいる面子を見渡して、ユキは漸く違和感に気付く。いつもなら真っ先に輪に加わって突っ込みに回る瀬呂が、キッチンカウンターに寄りかかって無表情でこちらを眺めていた。いつもならすぐに次の話題を持ち出して目まぐるしく会話を展開する三奈ちゃんと透ちゃんが、黙ったままだった。きょとんとしている2人以外、全員が神妙な顔でユキを見上げている。

まずい、と思うと同時にぞわりと背筋に寒気が走った。上手く隠し通しているつもりだった感情に、気付かれている。

「猫堂」

慌てて言葉を探していると三奈ちゃんまで視界に割り込んできて、ぺちりと優しく頬を叩かれた。オニキスのような黒い瞳が、至近距離でユキを見つめる。吸い込まれそうなほど深い黒に自分が映る。

「また1人でなんか溜め込んでるでしょ」
「…なんも無いってばぁ」
「嘘。猫堂って嘘つくとき笑うよね」
「……」

今まさに意図的に吊り上げていた口角がひくりと痙攣した。三奈ちゃんが眉を寄せて、一度開いた口を閉じた。何かを言おうとして飲み込んで、再び口を開く。

「なんか気になる事とかしんどい事とかあればさ、ちゃんと言お!1人で考え込んでたら暗い方に行っちゃうでしょ。一緒に解決しよーよ」
「は?解決?」

口から出た言葉が思っていたより低く刺々しくて、自分でも驚いた。目の前の三奈ちゃんも一瞬息を飲んだのが分かった。しかしすぐに、しょうがないなぁみたいな顔でくしゃりと笑う。

「やっぱり変じゃん。私達が気づかないと思ったかー!?」
「……」
「一緒にがんばろって言ったでしょ!補講の課題なら、私…だけじゃ無理でもホラ、みんなで手伝うし!」

ふつふつ、ぐつぐつ。沸騰しかけの水の底から気泡が浮き上がる現象に似ていた。指数関数的に増える泡の玉が視界を歪めてゆき、見慣れたはずの笑顔が急に薄っぺらくて馬鹿馬鹿しい別の何かに見え始める。

「大丈夫、分かってるから」
「……」
「猫堂ってほんと、意外にネガティブなんだよねぇ。悩んでても自分から相談とかしないし!」
「……」
「疲れたら休んでもいいんだからね!ダンスコーチとか、無理してまでやらなくてもいいんだよ…ってあー、てゆかそもそも半分私が押しつけちゃってたようなもんか!?ごめん私突っ走っちゃうトコあるんだよなぁ」
「……」
「……ねぇ、なんでなにも言わないの?」

たぶん無理して笑っていたのは相手も同じだったんだろう。2人して鏡写しみたいにどんどん笑えなくなっていって、最後には泣きそうな顔で三奈ちゃんがこちらを睨んだ。

目の前にあるはずのものがやけに遠い。頑張ってるのに、頑張ろうとしてるのに、なんで皆立ち止まれとか休んでいいとか言うんだ。いいわけない、無理しなきゃ追いつけないんだよ。何も知らない癖に好き勝手言わないで。でもそれって、誰のせい?

「あのね猫堂、別に友達だからなんもかんも話して欲しいとか言わないよ…」
「……」
「でも目の前で辛そうにしてるのに何も言ってくれないのって、虚しいよ…私、猫堂が何考えてるのか分かんなくて時々不安になるもん…」

誰も誰かを傷つけようなんて思ってない。無理に暴こうともしてない。温かさと優しさと、精一杯の遠回しな気遣いが満ちたその部屋の中で、他人の悪意と保身にばかり執着している自分はあまりにも異分子に見えて、その醜悪さを認識した瞬間−−−バチンと音を立てて風船が弾けた。

「…じゃあ言おうか」

ゆらりと立ち上がったユキに、皆の視線が集まるのが分かった。頭の片隅で、駄目だと警鐘が鳴る。ひた隠しにしていた、これは口にしてはいけない感情だ。そもそも文化祭まであと2週間あまり、今さら何を言ったって遅すぎる。皆の気持ちに水を差すだけだ。しかし立ち上がったら最後、弁が馬鹿になったみたいに口が勝手に動き出した。

「ライブなんかやってなんの意味があんのって思ってるよ」
「……!!」
「ユキちゃん…?」
「オイオイなんだよ今さら!?」
「だってそうでしょ、爆豪が言ってたことが全てだよ」

場を和ませようとしたのか、笑い混じりに言った峰田の台詞を両断する。皆の顔なんて見られるはずもないから、自分のつま先を睨みつけたまま、大きく息を吸う。

「なんだっけ、他の科のためだっけ?くっだんない、ライブなんかやったって生徒が家に帰れるわけじゃないでしょ。求められてんのそんな事じゃないよ。なんの解決にもなってないじゃん。そもそも他の科、寮制になったのヒーロー科のせいにしてんだよ?そんな奴らに向けてどんだけ頑張ったって受け入れられるわけない、ハイハイ自己満乙って言われて終わりだよ」

その場がシンと静まり返って、永遠にも感じられる沈黙が流れた。時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。ゆっくりと誰かが立ち上がったのが気配で分かって漸く顔を上げると、愕然とした三奈ちゃんがそこにいた。

「猫堂、そんなこと、かんがえて…」

三奈ちゃんが掠れた声でそう言いかけて、すぐにキッと目尻を吊り上げる。

「そんなの…やってみなきゃ分かんないじゃん!」
「分かるよ!つーか逆に皆なんでそこまで想像できないの!?」
「猫堂のそれは想像じゃなくて被害妄想だよ!なんでそんな風にやる前から決めつけんの!?」
「決めつけるとかそんな話じゃない!空気読めって話!」
「空気ってなに!そんな見えないもの読んでたらなんにもできない!」
「だからってテンション任せで馬鹿やれるほどガキじゃないんだよ!」

どうしたって理解してもらえない、受け入れてもらえない壁がある。皆は本当の拒絶≠知らないから、呑気にライブなんかやろうとする。その先に何が待っているのか、皆は想像ができない。それを伝えられない事が情けなくてもどかしくて腹立たしい。

「全員に理解してもらう事なんか絶対にできない!!」
「皆が頑張ろうとしてる事を、猫堂が勝手に諦めんな!!」

真っ向から睨み合うユキ達に、上鳴が「お、落ち着けってお前ら」とおろおろ声をかけている。困らせているとか今さら何言ってんだとか、言い合っているうちにそんなのもうどうでもいいくらい頭に血が昇っていた。

「皆は知らないから、お気楽でいられるんだよ…!」
「なにがっ」
「一人ひとりに悪意が無くても、集まるとおっきい悪意になるの!ヒーロー科うざいよねって軽い気持ちで誰か1人が言い始めたら、病気みたいにそれが伝染する!そしたらもっと怖いものになる!」
「……!!」

想像したら涙が込み上げて来そうになって、渾身の力でそれを飲み下した。身体の中で、もう言わせないでと泣き叫ぶ自分の声と、怒りに任せて怒鳴り散らす自分の声がガンガン響いている。どっちが本音だっけ?わからない。

「その矛先が皆に向いてるって、分かってんの…!?ねぇ、皆は何にも悪くないんだよ!?USJも合宿も、寮制になったのも全然っ、皆のせいじゃない!ただでさえ理不尽に責められてんのに、ライブなんかやったら火に油じゃん!だから嫌なの!やりたくないの!…分かってないんだよ、皆はさぁ!!」

ライブなんか、ライブなんか、ライブなんか。感情が噴き出すままにそう何度も繰り返していたら、不意に耳郎の顔が目に留まった。

泣きそうな表情で立ち尽くしている耳郎の手には、彼女が休み時間中も放課後も手が真っ黒になるまで書いている、バンドメンバーへのアドバイスノートが握られていた。その瞬間、氷の川に飛び込んだみたいに全身の血の気が引く。

(違う、ちがうの耳郎…)

そんな顔させたかったんじゃない。ユキは皆を自分の二の舞にしたくなくて、あんな思いをしてほしくなくて、皆が傷つくのが怖かったはずで、

−−−今、彼女を傷つけているのは、誰だ?

「じゃあ分からせてよ…」

三奈ちゃんが力無く呟いた。

「猫堂がずっと隠してること、教えてよ…教えてくんなきゃ、私達は猫堂のこと分かんないんでしょ…?」
「……!!」

三奈ちゃんの方から隠し事≠フ存在に触れられたのは、これが初めてだった。合宿でユキが連合に狙われたことはもうとっくに皆知っていて、でもその理由を追求されたことは一度も無かった。そこでやっと、どれだけ自分が馬鹿だったのかを思い知る。

いつか打ち明けようと思っていたのだ。でも今のユキはあまりにも弱くて、全てを話せば心配をかけてしまう。だから「あぁこいつは大丈夫だな」って思ってもらえるようになれるまで、乗り越えられるまでは黙っていようと思っていたのに。不安にさせて心配かけて、最悪の形で言わせてしまった。−−−言うまでもなく、待ってくれていたのに。

(また間違った…)

独りで勝手に悪い方向に突っ走って、一番傷ついて欲しくない人たちを自分の手で傷つけた。一緒にいたくて、この場所を守りたくて戻ってきたはずなのに、自分でそれをぶっ壊した。これは、なんの悪夢だ?

一度冷静になってしまったら最後、この部屋の中で呼吸ができる気がしなかった。踵を返して共有スペースを飛び出したユキの背中に、何人かの呼び止める声がかかる。全部振り払って階段を駆け上がろうとしたら、陰に隠れていた誰かにぶつかりかけた。

青山だった。今までのやり取りを聞いていたのだろう、いつも何があっても我関せずみたいな涼しい顔が、見たことないくらい苦渋の表情に歪んでいた。

「…言わなきゃよかったんだ」
「…そうだね」

低い声でそう返して、自室まで走った。
こんなになってもまだ1人になろうとしている自分が馬鹿馬鹿しくてちょっと笑えて、涙が一筋頬を伝った。



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