Coco2

□違和感2
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10月の2週目。来たる文化祭に向けて、雄英高校は静かに熱を帯びていくような高揚感に包まれていた。

B組の出し物は演劇らしく、休み時間のたびになんだか壮大な台詞を読み上げる声が聞こえてくる。サポート科はコンペの作品作りのために工房に詰め、失敗作なのか完成品なのか分からない何かが教室に入りきらず廊下にまで並んでいる(半分くらいは発目さんのベイビーな気もするけど)。普通科でも何やら巨大なオブジェを試行錯誤しながら作る様子が見て取れた。

相澤先生の言う通り、文化祭はヒーロー科以外の生徒達の晴れ舞台。みんな相当な気合いを入れて臨んでいるのだろう。

「おーい、デクくん達〜!」

昼休み、廊下で飯田くん轟くんと話していると、向こうからクラスの女子達が歩いてきた。先頭でこちらに手を振る麗日さん(今日も笑顔が麗かだ)の手には、カラフルなカップが握られている。

「麗日さん、どうしたのそれ?」
「経営科で配ってたの!」
「文化祭で売る予定のジュースの試飲会をしてるみたい」

そう言った蛙吹さん含め、女子全員が手に持っているのはトロピカルジュースのような見た目のドリンクだ。ストローには南国仕様の造花が飾られ、色とりどりのカップには『UA』のロゴ入り。見ただけでも相当手が込んでいるのが分かる。

「流石だね経営科…」
「凝ってんな」
「毎日昼休みにやってるんだってさ、試飲会」
「デクくん達も行ってみなよ!なんとタダだよ…!」
「それはすごい…!明日行ってみるね!」
「なるほど、事前に生徒の意見を取り入れるわけか」
「柔軟かつ合理的ですわ…見習いませんと!」

飯田くんと八百万さんが他のみんなとは違う方向で感激している。その様子を見て苦笑した耳郎さんが「うちらも色々並行してやってかなきゃね」と言って後ろを振り返る。

「芦戸、ダンス隊の振り付け任せていいんだよね?」

葉隠さんと並んでジュース片手に自撮りしていた芦戸さんが、満面の笑みでこちらに向き直った。

「まっかせなさい!」
「おぉ、頼もしいな!」
「皆に教える役割でもあるから、負担偏っちゃうけど…」

ダンス経験者の芦戸さんは、振り付け担当兼ダンスコーチという今回の企画の肝を担うことになった。他に出来る人がいないとはいえ少し申し訳なく思っていると、芦戸さんはニヤリと悪い顔で親指を立てる。

「その辺は大丈夫、ダンスコーチはもう1人いるからね」
「え?」
「猫堂!スーパー運動神経!」
「あぁ、なるほど!」

生物界で最も運動能力の高い動物の個性を持つ彼女は、その副産物としてモーショントレース≠ニいう能力を持っている。どんな高度な技術が必要でも体をを動かす≠ニいう枠組みにさえ嵌っていれば一瞬で習得できてしまうのだ。それは未経験であるはずのダンスでも然り。振り付けさえ頭に入ってしまえば、練習は殆ど必要ない。

「ってことで、2人体制でみっちりしごくから!ね、猫堂!」

芦戸さんが背後を振り返る。しかし、いつもならすぐに返ってくる返事が今日は返ってこなかった。

皆から数歩離れた位置で、パーカーのポケットに片手を突っ込んで、猫堂さんはじっと窓の外を見下ろしていた。その場に僅かばかりの空白が生まれ、静かになった空間に違和感を感じたのか猫堂さんがパッと顔を上げ、自分に集まる視線に目を丸くした。

「あ、え?なに?」
「何じゃないよ話聞いてたー?」
「聞いてた聞いてた、これ美味しいよね」
「その話はもう終わった!」

芦戸さんに頬を摘まれて「ごむぇん」と猫堂さんがへらりと笑う。殆ど中身の減ってないジュースがぱしゃんとカップの中で撥ねた。

それを見た瞬間、何かが脳裏に閃いて、知覚する前に消えてしまう。

「しゃっきりしてよダンスコーチその2!」
「あぁそれね、おっけおっけ」
「覚悟しろ〜、我ーズブートキャンプくらいしごくから」
「虎さんのアレきっつかったよねぇ…!」
「あんなに筋肉痛になったの人生初だった」
「分かる」

ちょうど予鈴が鳴って、皆がぞろぞろと教室に戻り始める。ふと振り返ると、猫堂さんはまだ窓の外を見下ろしていた。何か言おうとして、何を言えば良いのか自分でも分からなくなっている間に、同じく立ち止まっていた蛙吹さんが静かに猫堂さんを呼んだ。

「ユキちゃん、大丈夫?」

開け放たれていた窓から風が吹き込んで、猫堂さんの髪がふわりと舞い上がった。今日は二つに結んでいない、おろしたままの長い髪が彼女の表情の半分を隠す。

「ん?だいじょぶだいじょぶ、次の授業なんだっけ」

へらりと笑った猫堂さんは、そのまま蛙吹さんの肩を抱いて「緑谷遅れるよ〜」と先に行ってしまった。

(……?)

先ほど閃いた何かの正体は分からないまま、2人の後を追う。芦戸さん葉隠さんと一緒に写真撮ってなかったな、ジュース殆ど飲んでなかったな、そんな表面的な情報だけが網膜に焼き付いていた。



◇ ◇ ◇



それが明確な違和感に変わったのは、午後のヒーロー基礎学の時間だった。

仮免試験以降も、ヒーロー基礎学は必殺技のブラッシングや個性伸ばしの訓練に充てられている。授業が始まって30分ほど経った頃、緑谷は頭上で絶えず聞こえていた爆発音が不意に止んだことに気付いた。

「爆豪」

何の気なしに顔を上げると、TDLに乱立する岩場の頂上でかっちゃんに歩み寄る真っ黒なコスチュームが見えた。猫堂さんだ、とこれまた何の気なしにそちらに意識を向け、

「スパーリングやろ」
「……!?」

聞こえてきた台詞に目を見張った。猫堂さんはいつもエクトプラズム先生か、先生が不在であれば尾白くんや砂藤くんのような近接主体のクラスメイトとスパーリングをしている。というかそもそも、スタミナおばけで男女問わず容赦の無いかっちゃんにスパーリングの相手になってもらおうとするのはいつも切島くんくらいなものだ。

「……」

かっちゃんは少し逡巡するように黙り込んだあと、APショットを撃ち込んでいた体勢を崩して猫堂さんに向き直る。

「…時間制限は」
「無し、デスマッチ」
「いい度胸じゃねえか」

鼻で笑って、かっちゃんが猫堂さんに向かって構える。意外にも誘いに乗る気らしい。猫堂さんは挑発じみた台詞に何かを返すわけでもなく、黙って背中から長刀を抜いた。腰を落として構えた時にちらりと見えた横顔はアンドロイドのように無表情で、そして。

−−−BOOOM!!!

響き渡った轟音に、全員が飛び上がった。

「なに!?どした!?」
「爆豪なにキレてんの?」

近くにいたクラスメイト達がわらわらと集まってきて、爆発音の源を視線で追い、揃って目を見開く。ちょうど猫堂さんが低い体勢から振り抜いた長刀をかっちゃんが飛んで躱し、頭上から爆破しようとするところだった。転がって直撃を避けた猫堂さんが土煙に紛れて斬りかかる。かっちゃんは斬撃を籠手で受け(相変わらずとんでもない反射神経だ)、腕をぶん回して振り払うついでに爆破で追撃。コンマ数秒速く猫堂さんが腕の防具でガードして(こちらも流石の反応速度)、数メートル距離を取る。

「えっ、止める?止めたほうがいいやつ?」
「つーかあれは喧嘩か訓練かどっちだ…?」
「訓練みたいだよ、猫堂さんの方から声かけて…」
「正気かよ猫堂」

峰田くんがドン引きしている。繰り返すが、かっちゃんの相手をするのはとんでもなく疲れるのだ。そしてそのスタミナおばけっぷりを抜きにしても恐らく−−−猫堂さんにとってかっちゃんは天敵=B

「猫堂さん…爆豪さんとは相性が悪そうですわね」
「うん…」

同じ事を考えていたらしい八百万さんが、心配半分興味半分といった表情で2人の戦いを見上げた。

猫堂さんは近接も中遠距離攻撃もこなすオールラウンドなアタッカーだ。敏捷性・スピードにおいてはクラスでもトップレベル。しかしそれに反比例するように、一撃の火力には欠ける。だからこそ手数で隙を作り、時には相手の攻撃を利用し、懐に潜り込んでカウンターの一撃必殺を得意としている。この猫堂さんに無いスタミナと火力を補填し、引けを取らないスピードも兼ね備え、かつ同じようなカウンタースタイルを得意としているのがかっちゃんなのである。正面から戦えば、よっぽどの事が無い限り軍配はかっちゃんに上がるだろう。

「でも、そんなの猫堂さんが一番理解してるはずだ…」

猫堂さんがレッグホルスターからブーメランを抜いて投げる。難なく躱したかっちゃんが上空に飛び、上からAPショットを撃ち込む。土煙とフラッシュで、徐々に視界が奪われて行くのが分かる。雨のような爆破から逃げ惑う猫堂さんの頭上に先回りしたかっちゃんが、今度は真上から攻撃。天井を見上げた猫堂さんの動きが僅かに止まった。

「あ、照明…!」

上手い。照明に目が眩んだ隙を狙ったのだ。しかし猫堂さんもすぐに反応し、長刀から素早くコンバートした三節棍で攻撃を弾く。直撃こそしなかったものの至近距離で数発の爆発、猫堂さんがたまらず上に跳躍して爆煙から抜け出す。

「死ね単細胞!」

待ち構えていたのは、背後に回ったかっちゃんだった。身軽だからこそ、咄嗟の逃走経路には上≠選ぶ。そこまで読んでいたらしいかっちゃんが手を構えた。場所は空中、逃げ場は無いと息を呑んだ瞬間。

「ッガ…!?」
「!?」

かっちゃんの背中に、ものすごい勢いで何かが突っ込んできた。−−−さっき猫堂さんが投げたブーメランだ。ブーメランと言えど形は複雑に歪んだチャクラムに近く、棘や刃が飛び出したなかなかに殺傷能力の高い発目さんベイビーである。訓練用に刃を外していてもダメージは十分だったようで、かっちゃんが体勢を崩した。

(たまらず上に逃げたわけじゃない…あのブーメランが戻ってくる位置を計算して逃げてたんだ!)

猫堂さんが間髪入れず袖口から何かを投げる。ヨーヨーのようなそれがかっちゃんの首に巻きつき、そのまま猫堂さんが岩棚から飛び降りた。容赦が無い。このままかっちゃんを引きずり下ろす気だ。

しかし、そこですんなり引きずり下ろされてくれないのがあの幼馴染の恐ろしい所である。

「クソ舐めてんなァ…!?」
「!?」

首を締められている現状をものともせず、かっちゃんが両手から最大威力の爆破。引きずり下ろすどころか、自ら猛スピードで猫堂さんに突っ込んでいく。気づいた猫堂さんが振り返った時には、籠手のピンに指をかけていた。

「あれ最初の戦闘訓練でやってたやべぇのじゃね!?」
「やりすぎだよ!」

ギョッとしたクラスメイト達が揃って制止する。あんな攻撃、直撃したら怪我じゃ済まない(経験談だ)。

それでも自分も、たぶん皆も無理やり止めに入らなかったのは、頭のどこかで大丈夫だと考えていたからだと思う。猫堂さんなら避けられる、直撃はしない。そう思っていたから−−−上空から迫ってきたかっちゃんに向き直り、腰の刀を抜いて迎撃の体勢を取った猫堂さんを見て呼吸が止まった。

−−−BOOOM!!!!!

爆音と同時に目が眩むほどの光、次に体育館が揺れる。ぱらぱらと天井から埃が落ちてきて、数秒かけてあたりが静まり返った。

「……おいおいおい…!?」
「ちょ、大丈夫?」

しばらく呆気に取られていたクラスメイト達が、慌てて駆け出す。立ち込めていた土煙は皆が駆け寄った時には晴れており、漸く状況が掴めた。

仰向けに倒れた猫堂さんにかっちゃんが馬乗りになっていた。かっちゃんの右手が猫堂さんの顔を鷲掴みにしていて、猫堂さんの右手は刀を握りしめたまま宙に浮いている。刃は、かっちゃんには届いていない。

「気ィ済んだかよ」
「……」
「人に八つ当たりしといてこのザマか、クソ雑魚」

そう吐き捨てて猫堂さんの上から退いたかっちゃんは、とっとと背中を向けて歩き出した。「お前加減ってもんを覚えなさいよ」と上鳴くん達がそれを追いかけて行き、取り残された猫堂さんに女子達が駆け寄る。

「もーびっくりした〜!」
「何してんの避けなよ!」
「怪我は?」
「…無い。あは、ちょっと調子乗ったわ」

のそのそと身を起こした猫堂さんが顔を上げ、へらりと笑う。

立ち上がった猫堂さんは擦り傷だらけだが確かに大きな怪我も無い。しかし、ぱたぱたとコスチュームの土埃をはたきながら俯いた一瞬「ばれたかぁ」と呟いたのが聞こえた。何が?と聞き返す前に猫堂さんは休憩してくると踵を返し、クラスメイト達もひとまず怪我人が出なかった事に安堵して、各々の訓練に戻り始めた。

−−−人に八つ当たりしといてこのザマか
−−−ばれたかぁ

かっちゃんがかけた言葉と猫堂さんの独り言が妙に脳にこびりついた。今何か、2人の間でしか成立しないやり取りがあったんだと思う。何故彼女は、こんな勝ち目の無い戦いを持ちかけた?何故最後の攻撃を避けなかった?

「…猫堂さん、」
「んっ?」

追いついて尋ねるより先に振り返った猫堂さんの笑顔に、唐突に昼休みの横顔がフラッシュバックした。そして漸く、違和感の正体に気付く。

相手と自分を分断するような笑顔を、自分は知っている。そういえば昼休み、蛙吹さんは「どうしたの?」ではなく「大丈夫?」と尋ねた。聡い彼女の事だ、きっとこの違和感に自分より先に気付いていたのだろう。そして、何かあったら相談すると言ったあの夜の猫堂さんの言葉を覚えてもいる。だから必要以上に追求しなかった。

そして猫堂さんは、

「大丈夫だよ?」

また大丈夫だと言って笑うから、それ以上無理に聞き出せない。考えすぎかもしれないし、自分が出る幕じゃないかもしれない。でも、無理にでも手を掴まなきゃ手遅れになってしまうかもしれないという事もよく知っている。

「あの…何か悩み事があるなら相談に乗るよ。僕じゃ頼りないけど…」
「自分のことは自分で解決するよ」

困ったことがあったら相談すると言っていたのは誰だったか。柔らかく笑う猫堂さんの言葉は、まるで真逆の意味を孕んでいた。これ以上踏み込んで来るなという、明確な拒絶だった。

そうして蓄積されていた何かが彼女の中で爆発したのは、数日後のことだった。


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