Coco2

□経験者は語る
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アプリではなく、普段あまり使わないメールサービスからその連絡が来たのは、10月初旬のことだった。

『なんとかして探ってみる。あまり期待はせずに待っていてくれ。』

差出人は、先日名刺を貰い受けた新聞記者。さすがに何か羽織らなきゃ辛くなってきた秋の夜、寮の玄関外のポーチでひとりスマホを眺めたユキは、少し考えて『特大の期待して待ってます』とだけ返信した。

依頼の内容は、なんでもない、緊急性も特に無い人探し≠ナある。

記者の本職じゃないのは重々承知だが、ユキよりはずっと人脈も力も持っているはずだ。スマホをポケットに押し込んで、部屋に戻ろうと壁から背中を離したところで「あ!」と誰かの声がした。

「猫堂さん、」
「お、緑谷。…走ってきたの?」

僅かに息をあげた緑谷が、寮に戻ってくるところだった。首にかけたタオルと、相変わらず微妙なセンスのTシャツにウォーキング≠ニ書いてあるのでそう当たりをつけると、緑谷は「うん、ちょっとだけ」と頷いた。

先週から始まったインターンで、緑谷はサー・ナイトアイというヒーローの元に通っている。ユキ達の補講と違ってインターンは平日に行われるため、授業を削った分だけ補習も受けながらのヒーロー活動。もともと成績は良いにしたって、相当な過密スケジュールのはずである。

「いやアンタ、寝なよ…先週ぼろんちょだったじゃん」
「あっいや、先週は心理的なアレで…もう大丈夫だから!」
「なんそれ、逆に心配になるんですけど」
「ウッ、ごめん…」
「謝ることないけどもさぁ」

インターンが始まってすぐの頃、いつもはやらないようなポカを繰り返していたことを指摘すると、緑谷は気まずそうに視線を逸らした。しかしすぐにハッとして「そうだ、猫堂さん…」と独り言のような音量で呟く。かと思えば、勢いよくこちらを振り返った。

「猫堂さん、今、時間あるかな…?」
「ん?別にへーき、なに?」
「ちょっと話が…………あああのコクハクでは無いから!」
「あっくそ、学習しよった」

三度目ともなるとこちらのパターンも読めてしまったらしい。あからさまにつまらないという顔をして見せると、苦笑した緑谷はちょっと待っててと告げて自販機に駆け寄った。ものの数十秒で、缶のミルクティーを持って戻ってくる。しかもあったか〜い≠フ方。

「おお、ナイスチョイス…なんで私の好きなやつ知ってんの?言ったことあるっけ?」
「え?だっていつもこういうの飲んでるよね?」
「…………」
「あからさまに引いてる…!ごめん気持ち悪かった!?」
「ふ、うそうそありがと。ほれ、何でも話してみなさいよ」

ポーチの階段に座り込んで、隣のコンクリートをぺちぺちと叩く。「また遊ばれた…」と肩を落とした緑谷がストンとそこに収まって、しばしの沈黙。自販機の低い機械音、鈴虫の声、夜の心地良い静けさがあたりを包んでいる。

缶で指先を温めながら隣を盗み見ると、緑谷は自分の膝の上に乗せた拳をぐっと握り込んで、足元を見つめていた。

なんだかデジャヴを感じて記憶を掘り起こす。思い至ったのは同じく2人きりの夜、林間合宿で洸汰くんの話を聞いた宿舎だった。聞いても良いのか分からない、でも聞きたい、そんな葛藤をしている顔。

緑谷がこんな顔をする理由にも、検討がつくようになってきた。

「緑谷」
「ご、ごめん…えっと、どう話せばいいか分かんなくて」
「いいよ、余計なこと考えずに話してみ」
「!」

緑谷がこちらを見て目を見開いた。大きな瞳を真っ直ぐ見返す。数秒固まった後、緑谷はぐっと唇を引き結んだ。

「救けられなかった人が、いるんだ」

絞り出すような声。再び視線を落とした緑谷は、苦しそうに眉を寄せる。

「救けられたかもしれないのに…僕は一度、手を離してしまったんだ。それで今度は絶対に、救けたいと思ってる、けど…」

横顔を眺めながら、やっぱりなと心の中で呟く。体育祭の時の轟も、洸汰くんも、緑谷が苦しそうな顔をするのはいつだって、どこかの誰かを救けたい時だ。神野でユキに、救けたいと思ったからだと語った時と同じ。

緑谷の大きな瞳がこちらを向いて、深い緑に自分が映った。

「でも…一度手を離した僕に、そんな資格あるのかなって」
「……」
「あの子は、僕の手を取ってくれるかって…不安で」
「……うん」
「……猫堂さんなら、どうする?」

最後の問いかけは、やけに小さな音量で告げられた。深さの分からない沼に、恐る恐る踏み出すみたいだ。その意味を逡巡して、ユキは一つの仮説に辿り着く。

「それ、私はどっちの立場で答えるべき?ヒーロー志望の雄英生として?それとも…救けられなかった人として?」
「……っ」

緑谷の表情が怯えたような色に変わった。

その変化で、ユキの仮説は確信に変わる。保須での警察とのやり取り、洸汰くんへの反応、荼毘との邂逅を経て、緑谷は気付いているのだ。梅雨ちゃんを泣かせてしまったあの夜、話せないと濁したユキの事情が、深く暗い闇をはらんでいる事。そしてユキが−−−救けられなかった℃魔ノも。

しかし緑谷は、そんな事を追求したいんじゃないだろう。追求するような奴じゃない。どこかの誰かを救けるために、ユキが踏み込まれたくない領分だと理解した上で、それでも尋ねているのだ。ごめんね、という心の声が聞こえた気がした。その癖にやっぱり、諦める気なんてさらさらない、いつもの目。

「ごめん、余計な事気にせず話せって言ったの私だったね」
「……」
「後者で答える。正直微妙。何を今さらって思うかも。本当に救けてほしい時に何もしてくれなかった癖にって、私なら思っちゃう」

素直にそう答えると、数秒固まった緑谷は、がくりと肩を落として苦笑した。

「痛いなぁ…」
「リアルで忌憚なきご意見でしょ」
「うん…なんか、現実を突きつけられた感…」

それきり再び沈黙が下りる。緑谷は変わらず足元を見つめたままで、頭の中で渦巻いている彼の後悔が目に見えるようだった。

ユキも足元に視線を落として、思考を巡らせる。今、緑谷にユキが伝えられる事は、これだけじゃないはずだ。だって自分は救けられなかった人じゃなくて−−−救けられた人だと思うから。

「でも、そんなん関係ないよ」
「えっ」

体の片側で視線を受け止めながら、ミルクティーを口に含んで、ゆっくりと飲み下す。温かい液体がじんわりと腹を満たすのが分かった。

「緑谷は、それでも救けに行くでしょ」
「……」
「飯田も洸汰くんも爆豪も私も、無理矢理にでも救けてきたじゃん。こっちの気持ちなんか知るかー!って感じでさ。体育祭のトーナメントで轟とごちゃごちゃやってたの、あれもなんかそんな感じなんでしょ」
「あ、あれは…まぁ確かに力技…でも救けたなんてそんな」
「少なくとも私は救けられた。だからここにいて、毎日楽しい」

指先と腹から伝わった温かさが、全身を泳いでいく。少しずつ、少しずつ満たされていく。その温もりは、入学してからの半年でユキが得たものに似ていた。

「持論なんだけどさ。生きてさえいれば必ず誰かとの出会いがあって、後から思い返すとそれが人生を変えるスイッチだったりする。どんだけ後ろめたくて不格好でも生きてる限りは≠サんなスイッチに巡り合えて、救けられてよかったなぁって思える日がきっと来るんだよ」
「……」
「資格なんかいらないし、手を取ってくれるかどうかもどーでもいい。いつかのその日のために、キミは何がなんでもその人を救けるべきだ」

買ってもらったミルクティーを乾杯するみたいに掲げて、へらりと笑う。ちょっと照れ臭い。ぽかんと口を開けていた緑谷も、暫くするとくしゃりと目を細めて笑った。

「ありがとう、猫堂さん。…背中を押してもらったよ」
「そりゃよかった」

緑谷が救けたいどこかの誰かの事をユキは知らないけれど、きっと大丈夫だと思う。無理矢理でも明るい場所に連れ出してもらえたら、あとはなんとかなるのだ。あえて我儘を言うなら、連れ出してくれる手は、緑谷みたいなヒーローの手であればいい。

半分ほどになったミルクティーの缶を持って「寝よっか」と立ち上がると、緑谷が「猫堂さん、」と遠慮がちに名前を呼んだ。ポーチの階段に足をかけたまま、もさっとした頭を見下ろす。

「ん?」
「…あの、えっと」

緑谷の視線が宙を泳いで、一度足元に落ちて、そして真っ直ぐこちらを射抜いた。同世代の男子に比べると幼い、しかし強い意志を湛えた表情。

「猫堂さんはヒーローだよ」
「え?」
「詳しい事情は、何も知らないけど…僕が見てきた猫堂さんも、色んな人を救けてきたと思うから。だから絶対に、敵なんかじゃないよ」
「………!」

−−−こっちに来る気は無いか?

あの荼毘の台詞に対する、緑谷の答えなのだと思った。ユキの隠し事の存在も知っていて、それでもヒーローだと言い切ってくれているのだ。上辺だけの気遣いなんてできるほど彼は器用じゃないから、きっと本当に心からの言葉。

ミルコだけじゃない。
緑谷も、ユキだけを見て、敵なんかじゃないと言ってくれている。

「………緑谷」
「だから、あの…余計なお世話かもしれないけど!力に!なるから!…いつでも!」

慌てて立ち上がってわたわたと手を振るクラスメイトに、……無性に抱きつきたくなってしまった。ぐわっと両手を広げて飛びつきかけたところで緑谷の方がびくぅっと体を強張らせたので、すんでのところで思いとどまる。

「あ、」
「……っ!!」

いやいや、流石にこれはダメだろ、私。

「ごっ、ごめん嬉しくて、思わず…」
「びっ、びびびび、びっくりしひゃ…!」
「めっちゃビビるじゃん、ごめんて…ハグは無いよね流石に」
「ははははぐっ…!?」
「…ぶ、ははははっ」

痴漢未遂でもやらかしたみたいで本当に申し訳ないと思っているのに、緑谷の反応が過剰すぎて笑えてきた。というかもはや若干失礼なレベルだ。いつかどさくさに紛れてほんとにハグしてやろうかな。

どこまでも初心で内気(爆豪曰くクソナード)な彼は、今日もユキの心を少し掬い上げて、近いうちにそのどこかの誰かも救けるのだろう。できれば怪我はしないでほしいという希望は言うだけ無駄な気がしたので、ひやりとした夜の空気と一緒に飲み込んだ。



−−−そのどこかの誰か≠フこと、そしてやっぱり言っても無駄だったんだろうなとユキが知るのは、数日後の朝のことだ。



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