Coco2

□まだ坂の途中
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ぶすくれた爆豪が「アホが潰れた」と報告に来た数十分後。相澤は、生徒もはけきった放課後の廊下を足早に歩いていた。

「アホはやめなさい。…猫堂か?上鳴か?」
「クソネコの方。轟が保健室運んどる」

爆豪がアホを代名詞にしがちな2人の名前を挙げると、案の定猫堂の方だと言う。なんでも課題中に熱を出し、そのまま倒れたそうだ。爆豪は何か言いたげな顔をしていたが、結局報告だけして寮に帰っていった。

(…無理をさせたか)

取材の話を校長から聞いた時、真っ先に浮かんだのが猫堂の顔だった。記事の内容はこちらである程度制限できるにしろ、彼女自身の気持ちまではどうにもならない。新聞、テレビ、ネット、ありとあらゆるマスメディアから受けた攻撃は、未だトラウマとして植え付けられている筈だ。

しかし本人が、戦うと言った。ならば越えるべき壁として与えようと承諾したのだが、まさか、ぶっ倒れるとは。

(0か100だなアイツは…くそ…)

頑張ると無理をするの境目が分からないタイプだ。プレッシャーをかけすぎたことに若干の負い目を感じつつ、なんと声をかけようか迷いながら保健室の前に辿り着いたところで、

−−−ドン。
「んぎゃ!!」

中からそんな重い音と悲鳴がして、スパンと保健室の扉を開けた。

「………」
「………」

ベッドに倒れている猫堂(顔が赤いし目が潤んでいる)、その上に覆いかぶさるように立つ轟。肩越しに振り返った轟と目が合って、時が止まった。それに反して頭は猛スピードで回転を始める。こいつはクラスメイトの寝込みを襲うような奴じゃない、いやしかし微妙に前科臭いところを見たことがあるな、つーかここ保健室だぞマジか、と考えていたら無意識に手が捕縛布に伸びていて、ギョッとした轟が弾かれたように身を起こす。そしたら逆に、猫堂の方から轟の腕を掴んだ。

「ってぇ〜…こンの馬鹿力ぁ…」
「だから言ったろ吹っ飛ぶって…」
「…何やってんだお前ら」

そのまま轟が猫堂を引っ張り起こした。どうやら押し倒していたわけではないらしい。思ったより低い声が出て、猫堂が漸くこちらに気付く。

「先生!」
「あぁ。…なんだ、案外元気そ、」
「特田さんまだ雄英にいますか!」
「あ?」

倒れた直後の割には俊敏な動きで、戸口にいた相澤に飛びついてきた。質問の意図が分からず眉を顰める。

「さっき職員室で別れたばかりだが」
「よかった、ごめん轟カバン任せていい?」
「おう。一緒に行くか」
「ううん、ひとりで行く」
「待てオイ、話が見えん」

元気そうというよりは、何やらハイになっているような気がする。肩を掴んでこちらを向かせると、制服の下の体温がまだ高い。猫堂の大きな眼が、水分を湛えたままこちらを見上げた。

「先生、私あの人のこと知ってました」
「…は?」
「だからちょっと話してきます」
「は!?」

なにがだから≠ネのか、勝手に帰結させた猫堂が腕の中からするりと抜けて廊下を走りだす。再び捕縛布に手を伸ばしかけたところで、轟がひょいと廊下に顔を出した。

「猫堂!」
「ん!」
「悪い忘れてた、爆豪から伝言だ」

数メートル先で、猫堂が振り返る。

「同じ轍踏んだら殺すぞクソメンヘラ、って」
「…了解」

猫堂は今度こそ背を向けて走り出した。泣きそうにも見えたその笑顔に、追う足が止まる。差し込む夕日に溶けていくように、何かに追い立てられるように、小柄な背中は廊下の角を曲がって見えなくなった。

「…轟」
「すみません、俺も詳しいことは知らないです。…話してくれるまで待つっていう約束なんで」

先手を打つように轟がかぶりを振った。いつの間にそんな約束をしていたのか、轟は猫堂が消えていった方を静かに見つめている。

「ただ、結構無理してたと思います。よく分かんねぇけど、母親の事とか、自分が悪いとか、殆ど自分に暗示かけてるみたいだった」
「あー…泣いてたのか」
「はい。でも走ってみるっつってた」

轟がこちらを見上げて、少し困ったように苦笑した。合宿での襲撃後、猫堂の怪我を自分のことのように痛そうに見つめていた横顔を思い出す。爆豪だけじゃない、きっと轟にとっても猫堂はただのクラスメイト≠カゃないのだ。その奥の感情はどうあれ、彼女を見ている人間はちゃんといる。

鮮やかな紅白の頭を撫でようとして、轟にそれは違うなと思いとどまり、結局トンと拳を乗せた。キョトンとする教え子に一つ礼を言い、校門へと踵を返す。

−−−俺が一番、見ててやらなきゃいけないんだ。



◇ ◇ ◇



相澤先生やオールマイト、事情を知る大人達がユキのことを気遣わしげに見る視線は、ありがたい反面、正直言って居心地が悪い。だって清野ユキは悲劇のヒロイン≠ナはないのだ。母が首を吊ったのは母の選択で、そばにいたのに何もしなかった自分の罪で、同じ家に暮らしていた父親の所業に気付きもしなかった罰だ。

−−−その認識は間違っていないと、今でもユキは思っている。

「特田さん!!」

校門を出てすぐ、雄英高校が街を見下ろす坂道のてっぺん。遠ざかる背中に向かって叫ぶと、彼はすぐに立ち止まった。振り返って、眼鏡の奥の瞳が丸くなる。

「君は…」
「よかった、間に合った…はぁ…」

追いついて、膝に手をついて息を整える。

背中にはジンジンと痺れるような痛みが残っている。大丈夫だと、轟の柔らかい声が頭の中で聞こえた気がした。クソメンヘラ、なんていう爆豪の罵声も。2つのクラスメイトの声に引っ張り上げられるように、ユキは勢いよく顔を上げる。

「特田さん−−−私のこと覚えてますか」

こちらを見下ろす特田さんの瞳が揺れた。今日一日、飄々と笑っていた大人の男が、動揺したのが分かった。しかし口を僅かに開いたまま、何も言わない。ユキは待つことなく言葉を続ける。

「質問を変えます。私は貴方のことを覚えてるけど、貴方は私を覚えてますか」
「……どうして」

漸く返ってきたのは、弱々しいそんな台詞だった。その疑問符は、ユキの質問への肯定でもある。

「5年前、学校帰りの私を尾行して、写真撮りましたよね」
「……」
「別に貴方だけじゃない。父が事件を起こしてから母が死ぬまでのあの半年間、貴方みたいな記者は何人もいた。尾けられてるのも撮られてるのも分かってた。…私に顔を見られてたのは、想定外でしたか?今日、私が貴方に気付くとは思いませんでしたか?」

沈黙が流れる空間に、校舎のチャイムの音が響く。眩しいくらいの夕陽が2人分の影を引き伸ばしている。

特田さんは一度口を引き結んで、眉間に手を当てて、そして大きく息を吐いた。

「あぁ…想定外だよ。知っていたら、取材になんか来なかった」
「…私が1年A組にいることは知ってたのに?」
「君が僕のことを知らない前提だった。でも、ひと目見たかったんだ。君が雄英でヒーローを目指しているところを」
「どういうこと…」
「下らない自己満足さ。全く、僕は大馬鹿野郎だな…今日一日、君がカメラの前で、友達と楽しそうに笑っているのを見て−−−あぁ、この子は過去を乗り越えてくれたのかと、呑気に安心していたよ」

カッと、血が沸騰した気がした。乗り越えてなんかない、だから踠いてる。それを勘違いした挙げ句、安心?ひと目見たかった?どういう立場で、この人は話しているんだ?

ユキが言葉に詰まっている間に、彼は漸く動き出した。こちらを真っ直ぐ見て、ぎゅっと目を閉じて、そして深々と、頭を下げた。

「本当に、すまなかった」
「……は、」
「あの時の僕は記者として駆け出しで、少しでも人々の目に留まる記事が書きたくて…君とお母さんの事を写真に撮ったんだ。君のお母さんがが亡くなったと知った時、どれだけ後悔したか…自分の行いが、いかに愚かで浅はかだったのか思い知った」
「……」
「今さら謝罪なんて、虫のいい話だろう。でも、これ以外君に言うべき言葉が見つからない…僕が、僕らが、罪の無い君たち親子を追い詰めたんだ」

自分よりずっと大きな手が、関節が白く浮き出るほど握りしめられているのを、ユキは呆然と見下ろす。沸騰していた血が、氷の塊でもぶち込まれたように温度を失うのが分かった。

ユキはこの人に、どんな言葉を期待していたのだろう。過去の行いを悔いて、届かないと分かっている謝罪を繰り返す大人に、これ以上何をさせろというのだろう。どれだけ言葉を重ねても失ったものは戻らなくて、それでも頭を下げることしかできないもどかしさを、苦しさを、ユキも痛い程知っている。

「…あたま、上げて……」
「……」
「謝って欲しくて、走ってきたわけじゃない…」

自分から出た声があまりにもか細くて、情けなくなる。

泣くな、泣くな馬鹿。
言葉にしろと、言われたばかりだ。

「私、誰のことも恨んでない」
「え…」
「お母さんを殺されたなんて、思ってない」

顔を上げた特田さんが、信じられないものでも見るようにユキを見下ろす。

「謝罪なんかいらない、受け取れない。だから今からするのは−−−ただの八つ当たりです」
「ハ?」

呆気にとられる特田さんとの一瞬で距離を詰めて、その胸ぐらを掴み上げた。

理解してしまった汚い感情を、無視することはもうできなかった。どう消化すればいいかも分からない。それでも一人で溜め込んでしまえば同じ轍を踏むだけで、ユキが目標にしている男はそういう時、拗れに拗れた幼馴染と殴り合った。止めに入っておいてなんだが、今はその気持ちが少し分かる。どうしようもないなら−−−ぶちまけるしかない。

「私は、5年前のあの日からずっと、加害者でしかない」
「かがっ…いや、君は!」
「父のこと、何も知らなかった。止められなかった。父が殺した人がいて、家族を失った人がいて、だから責められて当然で…テレビも新聞も、貴方達マスコミを私が恨むのは、お門違いだ」
「そんなわけがない!君はただの子供だった!」
「今さら聖人ぶるなよ!」

愕然とする彼を、正面から睨みつける。

「だって、そうするしかないじゃん!お母さんが自殺したのは、分かってたからだ!被害者のフリしたって誰も許してくれないって、自分は加害者なんだって!私だって分かってる、だから、悪いのは自分だって…思いたいのに、アンタ達がそうさせてくれなかった!」

込み上げる嗚咽を、なんとか飲み込む。泣くな、泣くな泣くな。ちゃんと言葉にして、ぶつけるのだ。あの夜の爆豪と緑谷みたいに。お母さんとの距離を縮めた轟みたいに。

「アンタ達の撮った写真が記事になって、そのあとどうなるか考えた事あった!?無いよね、教えたげる!ネットに顔写真拡散されて、学校もお母さんの職場も親戚の名前も晒された!引っ越したのに新しい家はすぐにバレた、記者にお金もらって、学校の先生がうちの住所売ったの!そしたら石とか動物の死骸とか投げ込まれて、毎日それ片付けてた!お母さんはどんどん病んでくのに、誰もっ、大丈夫かの一言もかけなかった!しょうがないよね誰だって自分も悪者にされたくないもん!」
「……っ」
「正義の味方気取りの外野が、テレビとか新聞とか見て増殖するの!ねぇどこまで謝ればいいの!?世間って誰!?誰に泣いて土下座したって、死んだ人は帰ってこないよ、そんなの私が一番知ってるよ!」

視線を逸らさないまま、堰を切ったように吐き出す。特田さんは、呆然と立ち尽くしたままユキを見下ろしている。

「許して欲しいなんて言わないから…そっとしておいて欲しかった!そしたら、もしかしたら、お母さんは首吊ったりしなかったかも、しれないじゃんか…!」

最後に絞り出した一言が地面に落ちて、体から力が抜ける。シャツを掴んでいた手が滑り落ちて、そのままへたり込んだ。




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