Coco2

□彼の話
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白い街灯が煌々と、スポットライトのように2人を照らしている。

まるで舞台だ。彼らだけしかいない世界での、彼らだけの秘密の話。それを、観客席からただ眺めていることしかできない、自分。

「俺が強くて敵に攫われなんかしなけりゃ、あんな事になってなかった!オールマイトが秘密にしようとしてた…誰にも言えなかった!考えねえようにしてても…フとした瞬間湧いて来やがる!!……どうすりゃいいか、わかんねんだよ!!!」

堰を切ったように感情を吐き出した爆豪が、苦しそうに体を折った。緑谷は何も言わなかった。愕然とした表情で、爆豪の前に立ち尽くしている。緑谷ですら想像していなかったのだろう。林間合宿のあの夜から今日まで、爆豪が何を考えていたのか。何に苦しんでいて、何を背負っていたのか。

ユキも、同じように立ち尽くしていた。足が震える。体は燃えるように熱いのに、背筋は恐ろしく冷たい。

(ちがう、違うよ、爆豪…)

爆豪のせいなんかじゃない。彼が悪いことなんかひとつも無い。言いたいことは山ほどあるのに、一つとして声にならない。代わりに浮かんだのは、あの夜の光景だった。シンプルな爆豪の部屋には少し不釣り合いな、小さなオールマイトのフィギュア。

『俺はクソデクも半分野郎もぶちのめして、オールマイトを超えるンだよ』

緑谷だけじゃないのだ。爆豪の憧れも同じくオールマイトで、彼も入学してからずっとひたすらにトップを、オールマイトを追いかけていた。その憧れの終焉を、今彼は、自分のせいだと叫んでいる。

−−−なんで、爆豪なら大丈夫だなんて、思えていたんだろう。

ふらりと踏み出した足がガラス片を踏んで、パリンと音をたてた。ハッとした2人がこちらを振り返って、ユキを見て目を丸くする。

「猫堂さん…!」
「……っ」

爆豪が噛みつくような目でユキを睨む。赤い瞳に街灯が反射してきらりと光った。あぁ出てこなきゃよかったと、すぐに後悔した。場違いだ、ユキは邪魔者だ。誰にも聞かせたくなかったから、爆豪は緑谷をこんな場所に連れ出したのに。

「ねぇ、部屋、戻ろ…」
「……」
「先生に怒られちゃうよ…」

分かっていても、出ていくしかなかった。なんと思われてもいい、とにかく早くこの空間を終わらせたかった。

背負わなくていい責任を独りで背負う爆豪が、痛くて仕方ない。あんたのせいじゃないよなんて、言いたくても言えなくて、顔を見たら余計に言えなくなった。

そんな顔しないでよ。
お願いだから、泣かないでよ。

「…猫堂さんには、関係ないから」
「緑谷っ」
「引っ込んでろクソネコ!ウゼェんだよテメェはいつもよ!」
「っ!」

こちらに向けられた爆破の熱風が顔を撫ぜた。その爆発音に混ぜた爆豪の台詞に、ユキはもうそれ以上何も言えなくなってしまった。



◇ ◇ ◇



パリンという音に振り返って、そこにいた人物を見た瞬間「まずった」と思った。

「猫堂さん…!」
「ねぇ、部屋、戻ろ…」
「……」
「先生に怒られちゃうよ…」

薄手のパジャマにパーカー、裸足にサンダル履き。寝巻きのまま自分達を追いかけてきたのであろう猫堂が、弱々しい声でそう言った。どこから聞かれていたのだろうか。しかしその表情で、少なくとも己の言葉は聞かれてしまったのだろうと悟る。

(あぁクソ、クソダセェ…!)

この女にだけは、聞かれたくなかった。
自分を目標≠セと言って笑った、この女には。

『似たものどうしじゃん、爆豪と猫堂』

切島のそんな指摘が妙に頭にこびりついたのは、自分でも薄々気付いていたからだ。

格下だと見下していた幼馴染が、いつしか自分の遥か先を走っている。そんな現実から目を逸らして、踏みつけて、虚勢で己を覆う自分。泣きそうな顔や怯えた顔を、へらへら笑って隠す猫堂。彼女の過去を知った今ならよく分かった。自分と猫堂は、同じような鎧を被って生きている。

『もうどうしたらいいか分かんないよ…!』

そうだ。あの夜、全部自分のせいだと泣いたこの女に、自分自身が重なったのだ。付き纏う罪の意識に、自分もこんな風に押し潰されてしまうのが恐ろしかった。だから慰めもせず発破をかけた。何がしたいのか、己の意志だけが重要なのだと、彼女を通して、彼女の目に映る自分にそう言った。

それがどうだ。
ヘタレだなんだと、吐いた悪態の全てが今、自分に返って来ている。

やたらと大きな赤茶の瞳に、歯を食いしばる自分が映って揺れた。

(やめろ…俺を見るな…!)

見透かされたくないのに、きっとこの女には分かってしまう。罪の意識も、絶望も、他人にはどうにもできない感情も、俺よりずっと前から、コイツは知っているから。

「…テメェに出来る事なんざ、ねぇんだよ!!」

その一言で、これ以上何を言っても無駄であることを悟ったのだろう。暫く口をぱくぱくさせた猫堂は、唇を引き結んで、泣きそうな顔で背を向けた。遠くなっていく足音を聞いて、目の前に視線を戻す。

見慣れた幼馴染が、覚悟を決めたような表情でこちらを見返した。



◇ ◇ ◇



背後から再び爆発音が聞こえて来た。逃げるように、追い立てられるようにユキはグラウンド・ベータを走る。

「はぁ、はあ、ぁ…っ」

後悔と情けなさが波のように押し寄せてくる。

今まで何度も助けられた。迷った時、頭の中で背中を押してくれたのはいつだって爆豪の言葉だった。爆豪がいなければ、ユキは今ここにいなかった。

なのに今、どうすればいいのか分からないと叫ぶ爆豪に、ユキは何もできない。彼の痛みに気付けなかったことも、何も言えずに逃げ出したことも、今彼に声をかけられるのがユキじゃないことも、情けなくて悔しくて仕方がない。

「猫堂少女」
「!」

夢中で走っていたユキの腕を、誰かが掴んで引き止めた。つんのめって振り返ると、今まさに呼びに行こうとしていた人物が、ビルの影に溶け込むように立っている。

「オールマイト…!」

痩せ細ったトゥルーフォームに、ユキは縋りついた。

「爆豪と緑谷が!あいつら喧嘩、爆豪本気でっ、緑谷も聞く耳持たなくて!あのままじゃとんでもない怪我するかも…!」
「猫堂少女、」
「私じゃ止められないんです!わたし爆豪に、なにも、」
「猫堂少女、落ち着きなさい」

オールマイトがユキの肩に触れて、視線を合わせてきた。落ち窪んだ眼窩の奥の青い瞳が、静かにユキを見る。

「状況は分かってるよ。君はどこから聞いてた?」
「どこって、そんなん今どーでもっ」
「大事なことなんだ。ごめんね、答えて」
「……っ」

ユキの肩に触れるオールマイトの手に、ぐっと力が入った。柔らかいのに有無を言わせない空気が、少しだけユキの呼吸を落ち着かせる。

「…オールマイトを終わらせたのは自分だって、爆豪が…そこから…」
「…そうか」

静かに答えたオールマイトは、ユキの肩をぽんぽんと叩いて、穏やかに「ありがとう」と言った。

「あとは私に任せて。君はベッドに戻っていなさい」

離れていこうとした手を、今度はユキの方から掴んだ。

「せんせ…爆豪、泣いてた」
「…うん」
「あんたのせいじゃないよって、言いたかったのに、言えなかった…私の言葉じゃ、絶対に届かない…!」

涙で視界がぼやける。込み上げてくるそれを左手で拭って、右手でオールマイトの手を強く握りしめる。

「爆豪なんにも悪くないのに、あいつは自分のせいだって思ってて…私分かるの、自分がそう思っちゃったらもう駄目なんです、どうしようもないんです、誰が何を言ってくれても受け取れない!だって、だって…っ」
「……」
「私も、相澤先生の言葉を受け取らなかった!」

燃えるような夕焼けの下で、父の罪はお前のせいじゃないと繰り返す先生の声を、鮮明に覚えている。しかし、覚えているだけで、聞こえていただけだ。その優しさをユキは受け取らなかった。この先誰に同じ事を言ってもらっても、きっと受け取らないだろう。

一度背負ってしまった呵責の念は、もう一生下ろせない。
それを痛いほど知っているから、ユキは何も言えなかった。

ユキはその荷を背負って生きる勇気を、他でもない爆豪にもらった。しかし同じ言葉をユキが返しても、憐れみや同情を一等嫌う爆豪勝己という男は、ユキと同じようには受け取らない。あの夜ユキが感情をぶつけられたのは爆豪だけだったけれど、爆豪がぶつける相手に選んだのは緑谷で、あの舞台にユキは上がれない。

だから、今彼に声が届くのは、ユキじゃない。
他でもない、この人じゃないといけない。

「あいつを救けて、オールマイト…!」

トゥルーフォームになっても自分よりずっと大きな手に、ぱたぱたと涙が落ちた。それがするりとユキの手をすり抜けて、頭に乗る。

「もう大丈夫、私が来たよ」
「……っ」

くしゃりとユキの髪を撫でたオールマイトが、ニカリと笑った。テレビの中で見慣れたそれは、この姿になっても何も変わらない。

「それに、届かないなんてことはない。今、誰よりも爆豪少年を救けたいと思っている君の言葉が、届かないはずがないよ。…君にしかできないことが、必ずある」

もう一度大丈夫と繰り返して、オールマイトは走り去っていった。大きなその背中が遠くなるのを、呆然と見送る。爆発音や何かが崩れる音が、遠くから反響している。

立ち尽くすユキの頭の中で、オールマイトの言葉が、爆豪の言葉が、何度も何度も繰り返されていた。

『…テメェに出来る事なんざ、ねぇんだよ!!』

あまりに覚えのある言葉だった。分かっている、他人にできることなんか無い。差し伸べられた手は、掴みたくても掴めない。ユキがそう理解していることを、爆豪も理解しているから、きっと彼はああ言って突き放したのだ。

でも、じゃあ−−−1人じゃないと分かった時の、あの奮い立つような感覚を、爆豪は知っているのだろうか?

先生に、いいヒーローにすると言ってもらえた時のこと。
ミルコに大丈夫だと認めてもらえた時のこと。
クラスメイトが、もっと頼れと怒ってくれた時のこと。
そばにいても死なないと、言ってくれた時のこと。

辛い現実も、許せない自分も、抱えたままでいい。
それでも誰かの手を借りて、人は前を向けると、ユキはここで教わった。

「……伝えなきゃ…」

だって彼は、爆豪勝己という男は、私の。

遠くで聞こえていた音が消えたのが分かった。雲が途切れ、一筋の月明かりがユキの足元に差し込んだ。




act.117_彼の話


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