Coco2
□誠実
1ページ/1ページ
「あっ轟くん、ちょ待って!デクくんも飯田くんも、それに切島くん八百万さん…ユキちゃんも」
部屋王決定戦のあと、自室に戻ろうとしたユキはお茶子ちゃんに呼び止められた。
他にも数人が呼ばれ、連れられるままに寮を出ると、街灯の頼りない灯りの中で梅雨ちゃんが1人ぽつんと立っている。
「あれ、梅雨ちゃん…?」
「梅雨ちゃん!体調大丈夫なのか?」
さっき体調が優れないと聞いたばかりだ。駆け寄ろうとしたユキと切島に、梅雨ちゃんが無言で首を横に振った。いつもと違うその様子に、揃って足を止める。
「あのね…梅雨ちゃんが皆にお話ししたいんだって」
お茶子ちゃんの声も神妙で、なんの話かはすぐに分かった。
……神野のことだ。
「私、思ったことは何でも言っちゃうの」
ぽつりぽつりと、梅雨ちゃんが話し出す。
「でも何て言ったらいいのか、分からない時もあるの。病院で私が言った言葉覚えてるかしら?…ルールを破るという行為は、敵の行為と同じだって…お友達の皆にそう言ったのよ」
「……!」
敵の行為と同じ。
その言葉がずしりと肩にのしかかる。
「心を鬼にして、辛い言い方をしたわ」
俯いていた梅雨ちゃんが、不意に視線を上げてユキを見た。
「轟ちゃんが、ユキちゃんには作戦を黙っていようって言った時、私安心したのよ」
「……」
「敵に狙われて、大怪我をして、なのに病室で笑っているユキちゃんを見て…ユキちゃんは、本当に辛い時、私達に何にも相談してくれないのかもしれないと思ってしまったの。…知ればきっと、ひとりで何も言わずに行ってしまうと思ったの」
ドキリとする。ユキは、緑谷達にすら何にも言わず、1人で神野に向かった。全部梅雨ちゃんの言う通りだ。
「それでも皆行ってしまったと今朝聞いて、とてもショックだったの。止めたつもりになってた不甲斐なさや、色んな嫌な気持ちが溢れて…何て言ったらいいのか分からなくなって…皆と楽しくお喋りできそうになかったのよ」
顔をあげた梅雨ちゃんの丸い目に、涙の粒が浮かんでいた。
『あなたもA組かしら?』
入学初日、戸惑うユキに最初に話しかけてくれたのは梅雨ちゃんだった。友達想いで聡明な彼女が、クラスメイトに向かって『敵と同じだ』と口にすることは、どんなに苦痛だっただろう。彼女が自分を傷つけてまで言ったその忠告を、踏み躙ってしまった。その結果に、また彼女は傷ついている。
「でも、それはとても悲しいの」
涙の粒が、小さな宝石みたいにポロポロと溢れる。
「だから、まとまらなくってもちゃんとお話をして、また皆と楽しくお喋りできるようにしたいと思ったの」
「…梅雨ちゃんだけじゃないよ」
梅雨ちゃんの肩にそっと手を添えて、お茶子ちゃんが静かに口を開いた。
「皆すんごい不安で、拭い去りたくって、だから部屋王とかやったのもきっと、デクくんたちの気持ちは分かってたからこそのアレで…だから責めるんじゃなくまたアレ…なんていうか、ムズイけど、とにかく!」
神妙だったお茶子ちゃんの口調が、いつも通りの元気なものに変わり、ニカッと笑ってガッツポーズを作ってみせる。
「また皆で笑って…頑張ってこうってヤツさ!」
その台詞を皮切りに、耐えきれなくなったように切島が梅雨ちゃんに駆け寄る。
「梅雨ちゃん…すまねぇ!話してくれてありがとう!!」
「哇吹さん!」
「哇吹、すまねえ」
「梅雨ちゃん君!」
「あす…ゆちゃん!」
「ケロッ」
次々と皆が駆け寄っていき、小柄な梅雨ちゃんはすぐに見えなくなってしまった。小さくすすり泣く声と、皆がしきりに彼女を宥める声だけが、静かな夜に響く。
ユキだけは輪に入ることができず、その場に立ち尽くしていた。
(…そうか、みんな……)
ユキ達だけが無茶をして、ユキが何も言わなかったから、皆を心配させたのだと思っていた。そんなわけないじゃないか。連合に襲われ、クラスメイトが拉致され、皆が不安だった。爆豪を救出する作戦だって、悩まなかったわけじゃない。皆にだって、ユキのような葛藤があったのだ。
悲しいと口にした梅雨ちゃんも、楽しかったかと尋ねた三奈ちゃんも、馬鹿騒ぎしていた他のクラスメイトも、そんな葛藤を経て、ここにいる。
「私、ほんとに何も、見えてなかったなぁ…」
「ユキちゃん…?」
知らず知らずのうちに下を向いていた顔を上げる。お茶子ちゃんが心配そうにユキを見ていた。つられて他の皆も、同じような表情でユキを見る。
『ユキちゃんは、本当に辛い時、私達に何にも相談してくれないのかもしれないと思ってしまったの』
ただでさえ不安な友人に、そんな風に思わせていたのだ。知らない間にどこかに行くなと言った轟も、きっと同じだ。自分はそれくらい不安定で、危なげに見えている。
−−−まだ、言えない。
「梅雨ちゃん、」
輪に歩み寄って、涙を拭う梅雨ちゃんに視線を合わせる。
「…ユキちゃん?」
「……ごめんね」
緊張して締まる気管をこじあけ、深呼吸をして、夜空を見上げる。
「私、なんで自分が連合に狙われたのか知ってるの」
「!!」
轟以外の全員がハッとしてユキを見る。緑谷が「猫堂さん、」と小さく呟いた。轟はじっとこちらを見つめている。
爆豪は自身の凶暴性故に、常闇はダークシャドウの力故に。それぞれ連合に狙われた理由は明らかになっていて、でもユキが狙われた理由は、爆豪以外知らない。
飯田が険しい表情で眉を顰める。
「理由が分かっているなら、それは…」
「大丈夫、相澤先生も警察も知ってるよ。今すぐどうこうできる理由じゃないし、皆にも危害は無い…はず」
「…教えてくれないのね」
梅雨ちゃんが静かにそう言った。皆の不安げな視線に、目を伏せる。
「ごめん、皆を頼りにしてないとか、相談したくないとかでもなくてさ。言えないのは私の問題で…勝手なのは分かってんだけど、なんていうか…」
こんな弱いままの自分では、心配をかけてしまうだけだ。頼りたいけど、今ここを頼るわけにはいかなくて、その感情の言語化に迷っていると意外なところから助け舟が出た。
「今じゃねえってことだろ?」
「え?」
そう言ったのは切島だった。切島が、思い詰めたように自分の拳を見つめている。
「誰にだって、自分の中でなんか乗り越えねぇと話せないことって、あると思うぜ。猫堂にとっちゃそれがそうなんだろ」
乗り越えないと話せないこと。そうだ、ユキはまだ、過去を乗り越えたわけじゃない。
どんな地獄だろうと、抱えて生きる覚悟はできている。
でもそれだけじゃダメなのだ。
両親のことを、心配しなくていいんだよと笑って話せるようになれるまで。皆がそれを聞いて、不安にならなくなるまで。乗り越えるって、きっとそういうことだ。
「…切島って、もっと単純ポジティブ野郎だと思ってた」
「この流れでそれかよ!」
「いや嘘、ごめん、…ありがと切島」
そして再び梅雨ちゃんを見る。見透かすような視線を、正面から受け止める。
乗り越えられるまでは、しまっておかなきゃいけない。今、ユキができることは、この人達にまっすぐである事だ。
「ちゃんと頼りにしてるし、困ったことあったら相談するよ。…絶対、もうそんな顔させない」
そう言うと、数秒置いて梅雨ちゃんが柔らかく笑った。笑った目尻から、ぽろりとまた涙が溢れる。
「ユキちゃんのそういう誠実なところ、とても大好きよ」
「セイジツ…?はじめて言われた」
「ケロケロ、大丈夫よ、みんな分かってるもの」
イマイチ自分には当てはまらないワードな気がする。きょとんとして皆を見渡すと、意外にも揃って頷かれた。…なんだか照れ臭くて、慌てて話題の矛先を変える。
「ってゆーか、そんなん言ったら皆だってめちゃくちゃそうだわ!まず誠実じゃないヒーローなんかいないっしょ!」
「うむ、市民に誠実に真摯であること!これは大事だな!」
「んじゃー明日も誠実に真摯に生きるために…寝るか!」
「あはは、そうやね」
みんなが連れ立って寮に歩き出す。飯田と切島はまだしきりに梅雨ちゃんに謝っていて、それを梅雨ちゃんが「もう大丈夫よ」と優しく笑う。
その様子を後ろから眺めていると、自然と隣に並んできたのは轟だった。
「…話すのかと思った。俺には待ってろって言ったのに」
「…話せないよ、まだ」
周りに聞こえない程度の音量でぼそりと告げられた。ちょっと拗ねたようなその口調に、ユキが苦笑する。
「轟が待ってくれるって言うなら、みんなも待ってくれるんじゃないかなと思ったの。…みんな優しくて参っちゃうや」
そう言うと、轟が目を丸くして、そしてニヤリと笑った。
「まぁ、あんまり長いことお前が乗り越えられないようなら、俺は武力行使するけどな」
「ぶりょっ…え、優しさは!優しさはどこ行ったの!」
「優しさだろ、それも」
言いたいだけ言って、轟はとっとと行ってしまった。いや頑張るつもりではいるけど、…武力行使ってなんだ。怖い。
轟を追いかけようとユキも数歩踏み出したところで、今度は背後から動かない気配に気付いた。
「…ヤオモモ?」
ヤオモモが、数メートル後ろで思い詰めたような顔で立ち止まっていた。口を何度か開けたり閉じたりしたあと、ぎゅっと引き結ぶ。
「猫堂さん、」
意を決したように顔を上げて、ヤオモモが手を差し出す。
「握手して下さいますか」
「へっ?」
「私、ずっと謝りたいと思っていました」
ヤオモモの表情の意味を少し考えて、神野でのビンタのことだと思い至る。
「いや、あれはヤオモモが正しいんだから、謝ることじゃない!」
「ですが、発言と行動が矛盾していましたわ!あの後考えましたの、猫堂さんが…考え無しにあんな行動を起こすわけがないですわ。きっと、たくさん…悩んだのだと」
「…ううん」
「でも、哇吹さんのお話を聞いて…私、あの…謝らなくてもよいのかもと」
「…ううん?」
謝りたいと言ったり謝らなくていいと言ったり、えらく脈絡が無い。ぽかんとしているであろうユキの顔を見て、ヤオモモが申し訳なさそうに、でも少し悪戯っぽく笑った。
「だって私、とっっっても心配しましたもの」
「!」
「だから私、謝りません。かわりに仲直りの握手をしましょう」
そんなヤオモモの台詞と、彼女にしては強引な論法を理解して、ユキはぶはっと吹き出した。要するに、手を上げたのは悪かったけど、しこたま心配もさせられたので、ここは握手で手打ちにしようということだ。
「あっははは!ヤオモモ…らしくない!」
「あら、これも誠意のひとつですわ」
「うん。…したいもんね、楽しくお喋り」
力強く笑うヤオモモが差し出した手を、しっかり握る。そのまま引き寄せて、随分高いところにある首にぎゅっとしがみついた。「きゃ!?」と慌てた声が耳元で聞こえる。
「本当にごめんなさい」
「……」
「でもありがとう」
謝られることなんか何もない。病院に着いてもジンジンと熱を持ち続けたあの頬の痛みは、確かにユキをここに繋ぎ止めてくれた。
体を離して「いいビンタだったぜ」と笑って見せると、ヤオモモも眉を下げてくしゃりと破顔した。
act.106_誠実