Coco2

□ハレルヤ
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雄英から数駅離れた住宅地の、小綺麗な単身用マンションの4階奥、角部屋。

インターホンから「開いてます」という声がしたので、扉を開くと。

「すみませんでした!!」
「……」
「おぉう…見事なジャパニーズ土下座…」

玄関口で家主が深く深く土下座していた。後ろにいたオールマイトが引き気味の声を上げる。ジャパニーズも何もアンタ日本人だろうが、という突っ込みはひとまず我慢して、相澤はため息をついた。

「…まず家にあげろ。話はそれからだ」
「あ、はい」
「なんか緊張するなぁ…」
「なんでですか、オールマイト先生」
「だって一人暮らしの女の子の家じゃない…!」

−−−家庭訪問。
本来であれば家族を伴うその行事のために、相澤達は一人暮らしの猫堂ユキの家を訪れていた。







猫堂の部屋は(平均値が分からないから何とも言えないが)思っていたよりずっとシンプルだった。

というか、最低限の家電製品とベッドとテーブルくらいしか無く、部屋の隅には未開封のダンボールが積まれている。

「…少ないな、ものが」
「引っ越し慣れてますから…クッションとか無くてすみません、適当に座って下さい」

そう言った猫堂が、テーブルにペットボトルのままお茶を置いた。「あ、ごめんねお構いなく」「いやむしろごめんなさい、コップとか持ってなくて」という会話を聞いて、改めて彼女の生活ぶりを感じる。

誰かが訪ねてくることもなく、家族と呼べるものもなく、ただ寝床を移すだけの5年間。

小さなローテーブルを挟んで向かいに座った女子生徒に、あらためて向き直る。

「まず…謝罪の意思があるという事は、除籍の話は無しか?」
「はい」
「神野での独断専行、病院から医療器具窃盗。除籍する理由は余りあるわけだが」
「処罰は受けます、でも」

猫堂の目が、まっすぐ相澤を見上げる。

「雄英にいたいです」
「…!」

燃えるような夕焼けの屋上で深い闇を湛えていたあの眼とも、この間電話口で聞いた今にも力尽きそうな声とも、何もかもが違う。

『−−−ありゃあ難しいぜ。社会に、過去に洗脳≠ウれちまってるようなもんだ。自分は助けを求めちゃいけねぇって思い込んでる』

電話の後の、マイクの言葉を思い出す。

その通りだった。だからあの日、猫堂は声も出さずに泣いたのだ。差し伸べられる手を知っていながら、掴もうとしなかった。無理やりにでもその手を掴めないことが、歯痒くて仕方がなかった。

なのに今、彼女の目には、確かな光が宿っている。

「…猫堂、お前、どした」
「いや、ちょっと…釘バットでケツバットされるくらいの痛い説教をくらいまして」
「それは説教ではなく拷問では…!?」

慄くオールマイトにへらりと笑ったあと、猫堂はテーブルに視線を落とした。

「ちょっと…長い言い訳、聞いてもらえますか」

猫堂の声は静かだった。オールマイトが面食らったようにこちらを見た後、柔らかく「どうぞ」と促す。

「私は、臆病だから」

テーブルに視線を落としたまま、猫堂は訥々と語り出した。

「怖いことばっかりなんです。もう誰も傷つけたくなくて、自分が死ぬのも怖くて、大事な人を失うのも怖くて…目も耳も全部塞いでヒーローになれば、過去を無かったことにできるような気がした」
「……」
「私は、過去から逃げるために、雄英に来たんです」

それは、1人の少女がする、過去の清算だった。

その身体に背負いきれない重荷を背負って、1人で走ってきた彼女が、ひとつずつそれを吐き出している。

「逃げてきたはずなのに、雄英のみんなは、優しくて、強くて…私、自分がなんのために雄英にいるのか、分かんなくなって」
「………」
「相澤先生とか、轟が、救けてくれようとしてるのも分かってるけど…その手を掴んだら、また『なんでお前が生きてるんだ』って、言われるような、気が、」

そこで、息が詰まったように猫堂の言葉が途切れた。

なんでお前が生きてるんだ−−−そんな言葉の刃を、今まで何度、この小さな体で受け止め続けてきたのだろう。咄嗟に、机の上に置かれた白い手を掴む。

猫堂が、目を丸くしてこちらを見上げた。

「続けろ」
「え…?」
「聞くから」

猫堂の瞳が僅かに揺れて、ぎゅっと閉じられる。

「…先生は私のこと悪くないって言ってくれたけど…やっぱりそうは思えない。5年前の父の事件、私に何が出来る事が、気付けた事があったんじゃないかなって、思っちゃうし」
「あぁ」
「お母さんが死んだのも、私が、もっと強ければ、あんなことにならなかったんじゃないかと思うし」
「…あぁ」
「私、ほんとに、生きてていいのか、今も分かんなくて」

オールマイトが猫堂の隣に移動して、肩をそっと抱いた。ぐっと、手の下の猫堂の拳に力が入ったのが分かった。

「でも、そしたら…何がしたいんだって聞かれたんです」

俯いたまつ毛の先が、僅かに震えた。

「私、自分が何かをしたい≠チて…何かを望むことなんて、考えたことなかった。ていうか、考えられなくなってた」
「……」
「望んで、何かが手に入って…またそれを失うことを想像したら、やっぱり怖いから。たぶん無意識に避けてたんです」

でも、と猫堂が顔を上げた。赤銅色の双眸と視線が交わる。

「誰も死なないって、言ってもらったんです」
「……」
「守ってやるって…一緒に戦ってくれるって。そんなこと言われたの初めてで…そしたら、なんか、大丈夫な気がしてきて」

泣きそうな瞳の下で、唇が弧を描く。

「今の私に目を向けろって、先生が言ったから、考えました。今の私にあるのは、緑谷とか轟とか、皆が、認めてくれた私≠セけで…その私がいる今を、守りたい。ここが居場所だって、胸を張って言えるようになりたい」
「……」
「私、なりたい自分なんか分かんないです。オールマイト先生みたいに、全部救けるヒーローになりたいとも言えない。確かなのは、私にとって雄英の皆が何より大事で、この居場所を守る力が欲しいってことで、だからそのために雄英にいたくて…自己中でごめんなさい、でも今度は建前じゃなくて、ちゃんとヒーローになりたい、です」

最後は蚊の鳴くような声だった。しかし視線は真っ直ぐこちらを射抜いていた。

(そうか…お前は、そういう奴だよな)

容易に包み込める小さな拳を、ぐっと握りしめる。

どこまでも冷静なのは、現実の残酷さを知っていて、簡単に憧れを語れないから。そんな彼女の精一杯で、守りたいものを守ると決意した。猫堂に必要だったのは、救いの手を差し伸べることでも、寄り添うことでもなかったと知る。考えてみれば、この子はずっと1人で戦ってきたのだ。本当に必要だったのは−−−共に戦う人間だ。

「…あークソ」
「うわ、」

手を離して、代わりに猫堂の前髪をぐしゃぐしゃと撫でる。

猫堂に守ってやると言い放った人物には、ある程度想像がついた。感謝と、先を越されたような悔しさ、複雑な感情がため息に変わる。

「ったくお前は、勝手に色々乗り越えやがって」
「いてててて、す、すみませ」
「首輪でもつけるか…」
「えっドメスティックバイオレンス…」
「…猫堂少女」

今まで黙りこくっていたオールマイトが、静かに声をあげた。

「私は、君になんて謝るべきか、ずっと迷っていた」
「え?」

きょとんとする猫堂に、オールマイトが弱々しく笑いかける。

「平和の象徴ともあろう者が…君のような罪なき人が石を投げられることに、何もできなかった」
「……」
「君の人生を、ヒーローが歪めてしまった」
「オールマイト先生」

猫堂が、肩に置かれたオールマイトの手に自らの手を重ねた。目を丸くしたオールマイトに、猫堂が苦笑する。

「罪なき人じゃないですよ、少なくとも私は」
「え?」
「言ったでしょ、悪くないとは思えないって。父の罪は、誰かが背負わなきゃいけない」
「そんな!君は何も…」
「父の罪は、もう私の一部です。清野事件の被害者の人達とも、向き合っていかなきゃ。許されるなんて思ってないけど…許されるように、生きてくんです」

心構えは思ってる以上に行動に表れるって、どっかの誰かが言ってたんで。と、最後に余計な一言を添えて、猫堂はへらりと笑った。

オールマイトが、泣きそうな顔をして猫堂の手を握った。猫堂が慌てて「うわ、え、泣いてます?」「う、イヤ、歳とると涙腺がね…」「オールマイト先生そんなキャラなの!?」とタオルを差し出している様子を、黙って見守る。

自分はこの1人の生徒を、地獄から救うことばかり考えていた。それなのに彼女は、その地獄を居場所だと言い、そこで生きることを選んだのだ。共に戦う人間を得て、生きていくと言う。

今度こそ本当に、得難い意志だ。
これを育てるのが、教師である自分の仕事だ。

「猫堂、お前はいいヒーローになる」
「!」
「覚悟しとけよ。もう死ぬべきだなんだと言うヒマも無いくらい扱くからな」

タオルとお茶を両手にわたわたしていた猫堂が、数秒固まったあと、乱れた前髪の下で破顔した。悪巧みするようなニヤリとした笑みでも、へらへらと相手を躱すような笑みでもなく、心底嬉しそうに笑った。

猫堂ユキという少女のこれからが、少しでも希望に満ちていて欲しいと、心から願った。




act.102_ハレルヤ


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