Treasure

□バースデイ・イブ
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(寝
かしとったがええよな……疲れとる、やろうし……)

 でも、と逆接の言い訳が浮かんだ頭を慌てて振って、目の前の異常事態に向かい合う。

 誰だって自分の中に悪魔と天使を飼っていて、日夜そいつと戦っている。ちょっとぐらい手ェ抜いてもいいかなあ、やめとこうかなあ。今日は贅沢しようかなあ、いやいや我慢しとこうかなあ。概ね天使の言い分が理にかなっていて、間違いは無いのだが、それでも身のうちの悪魔の声に抗いきれないのが人間のサガ、というやつで。

(こいつは……そういうことやな?!俺ン中の天使と悪魔が試されとるんやな?!)

 佐野家のソファーで佐野の浴衣を羽織って眠りこけている鈴子ジェラードを果たしてどうしたものか。佐野の葛藤なんかいざ知らず、彼女は穏やかな寝息をたてて夢の中だ。

(オイオイオイオイなんで俺の浴衣着とんねん!誘っとるんか!襲うぞ!!)

 本能の右手が動き出すのを慌てて左手で押さえつける。あかん。あかんぞ佐野清一郎。それは人道から外れた破廉恥行為や、それだけは間違ってもしちゃあかん。深呼吸。

 それにしても自分の服を来た恋人というものはこんなにもそそるものか。少し前に流行った『彼シャツ』の魅力が今なら少しは理解できるかもしれない。ふたたび持ち上がる右手を、理性の左手でシャットダウン。

(しっかしキレーなカオで寝とんなぁ……)

 人の部屋なのによくもまあこんなに無防備に寝られるものだ。目を覚ませば小言ばかりで、泣き虫で、すぐ怒る彼女だけれど、その憎まれ口が案外心地いい。対等に文句を言いあい、好きなだけ喧嘩をして、そのあと仲直りができるということ。その奇跡が当たり前にここにあるということ。かつては別の男の元にあった心を、今確かに佐野が持っている。鈴子の思いを受け取っている。うん。好きだ。気づけば至近距離でまじまじと鈴子の顔を見ている自分がいる。ああ、本当に綺麗な顔やなあ。

 いつの間にか悪魔と本能は身を潜め、心の中はおだやかに凪いでいる。

「鈴子、おやすみ」

 浴衣の上に毛布をかけ直して、自分はソファにもたれて床に座った。待ち疲れて眠ってしまった彼女が起きるまで、今度は自分が待ってやろう。起きたら一番最初に言ってやろう。

(誕生日、おめでとな。鈴子)

バースデー・イブ

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