第三章

□Vol.19
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ポツン、ポツンと紫陽花が濡れる。
髪から滴る雨を眺めながら
私は静かに口を開いた。


「…何しに来たんですか」


正面の岩場で頬杖をつく人物は
乾いた笑いで私に言った。


「だからお前の事、迎えに来たんだって」




箱入りむすめのススメ3
 〜想い、千切れて〜




変わる事のないその人の言葉に、
私は溜息をついて立ち上がった。

摘み立ての紫陽花が
立ち上がると同時に小さく揺れる。


「―…もう、諦めちまえよ」


背中を向けた後ろから
非常な言葉を投げ掛けられる。


「…うるさい…」

「あいつ、もう治んないって。」

「…っ、うるさい…!」


振り向きたくもない。
顔も見たくない人物が
ジャリと砂を踏み、立ち上がる気配を感じ取った。


「それ以上近寄ったら、許しませんから」

「ふーん。そいつは怖いな」

「っ!私は本気…っ」


強引に掴まれた腕。
紫陽花が腕からこぼれ落ちる。
鮮やかなすみれ色が、泥にまみれて汚れてしまった。


「やめてよ重盛さん!!」

「…つれないなー。重盛って呼んでいいんだぜ、お前なら」


私の頬に自身の指先を滑らせる。
降っている雨と共に、
その指はつつつ、と顎まで滑り落ちた。


「なあまるこ…」

「私に触らないで…」


そっと上向かされる顎。
彼の視線が私を捕らえる。


「帰ろうぜ…?知盛なんて置いてさ」


ここ最近、
ずっと同じ事を言われてる。
あの日、知盛が奇跡的に起き上がった日。
そして重盛さんに「帰れ」と告げたあの日から。
知盛はまた、寝たり起きたりを繰り返す様になり、
ろくに外へ出歩けない体になってしまった。

怪我を負ってからもう3ヶ月位は経つのかも知れない。
空家に備えられていた食物も
もうじき底を突こうとしている。


「あいつなら放って置いても大丈夫だ。なんたって俺の弟だし」

「意味が分からない」


そして同時に現れたのがこの人。
重盛さんだった。
まるで狂ったかのように
毎日毎日私を追い求める。
知盛に門前払いされたくせに、
知盛が起きれない事を知ってから
たびたび私の前に現れるようになった。


今日もちょっと小腹が空いた時ように、と
野山の木の実を集めていたら
重盛さんが現れたのだった。

雨が降ってる。
もう梅雨だからかもしれない。

私が摘んだ紫陽花を
くしゃりと踏んだ重盛さんに。
思わず、「あ」と声を上げようとしたのも束の間。

一瞬で唇を奪われて
体が固まる。


「んっ…やあっ…!!」


ドンッと音がするほどに
私は重盛さんを突き飛ばした。


「まるこ」

「やめて!こっちに来ないで…っ!」


きっとおかしくなってしまったんだ。
だってこんなの、絶対間違ってる。
以前の重盛さんは
本当にお兄ちゃんのような存在で、優しくて
頼もしかった…


それなのに―…


「離してって言ってるのに!やめて!離してよ!!」

「…早く目ぇ覚めろ。お前はここに居て良い人間じゃないんだよ、まるこ」


まるで弱っている私を壊していくかのように
重盛さんは毎日残酷な台詞を口にする。


「好きだぜまるこ…」

「やだっ離して…!」


後ろから抱き締められる。
知盛と違って、
大きくて筋肉が強張るその体。


「俺ならお前をこんな風に泣かせたりしないから…」

「っ!!」


熱くて熱くて
仕方がない。


「だからお前は、俺の元へ来るべきなんだ」


言い様のない、涙がこぼれた。
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