ゆめとまぼろしの物語

□彼の望みと、子猫の喜び
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風と共に穏やかな旋律が流れてきて、ふと子猫は足を止めた。


これは、ピアノの旋律だ。曲名は知らないが、まるで心穏やかになるような、静かで優美な音色だった。刹那の間だけ耳をくすぐっては、また風に流されて消えて行く、そんな物悲しさも子猫の注意をひいた。



子猫は体の向きを変え、音の発生源を目指して歩を進める。この場合、嗅覚は全く役に立たない。愛らしい三角の耳殻をひこひこ動かし、首をあちこちめぐらして、考えた末近場の塀に飛び乗った。そのまま四本足でかろやかに駆け、とある家の中庭に降り立つ。



子猫はこの家を訪れたことは無かった。老人が一人暮らしをしているというのは知っていたが、群生するばらの刺を気にして近付かなかったのだ。今も目と鼻の先の距離に、にわかに雨に濡れて水の宝石をその身にまとう大輪の花々がある。だが手入れは中途半端のようだ。定期的に人間が手を加えていれば、ばらはもっと美しく傲慢に咲き誇れるだろうに。



子猫は頭の片隅でそんなことを考えながらも、風に揺れるカーテンの向こうから聞こえる旋律に耳をすませた。


 
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