僕たちはどうかしてる

□僕たちはどうかしてる Side-J
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気が付くと僕は部屋の真ん中に立っていて、
ユタよんはソファーからずり落ちたように横たわっていた。

慌てて脈を測る。
脈拍はやや遅いけどある。
徐脈?脈の乱れはない。

呼吸もある。胸が動いていて、音の異常はない。
腕の血はもうほぼ止まっている。

意識は消失している。
すぐ救急車だ。

理由はなんて言う?
僕が血を吸ったんです。
馬鹿げてる。

でも今、ユタよんの命より大事にすべき物は何もない。
すぐ通報しよう。

電話に向かおうとした瞬間、
ユタよんが、ウーーンと低い声を出した。
耳元で何度か呼び掛けると、
ユタよんがゆっくりと目を開いた。

まぶしそうに目を細めて、見まわしている。
意識を取り戻したようだ。

自分の涙が溢れて零れ落ちた。
良かった。

神は信じていないけど、誰かにありがとうと言いたかった。
ユタよんを救ってくれた誰か。
ユタよんを僕から救ってくれた神様みたいな何か。

ユタよんの足元を見て、ズボンが濡れているのに気づいた。
理由は思い当たるところがあった。

ユタよんをこんな屈辱的な目に遭わせたのが、
自分であることが悲しい。

意識が明瞭になった様子なので、状態を少し観察してからシャワーを勧めた。

シャワー中にまた倒れたら危険なので、勧めることはためらわれたが、
下半身を長く汚したままの状態にさせておくことも、侮辱のように思えた。

ユタよんは理由を聞かされ、静かに怒ってる様子で浴室に向かった。

僕はユタよんがまた倒れないかずっと、浴室の外や近くで音を聞いていた。
さすがに裸を想像するような心の余裕はなかった。

ユタよんがシャワーを終えて出る直前に廊下に出て、着替えを用意したことを声掛けすると、
リビングに戻る。
タオルや服を取るような音がする。
ユタよんも戻って来た。

首元の緩めな大きな白いTシャツに、僕が貸した淡いベージュの麻のズボンを履いて、
タオルで拭いてもまだ少し濡れてる黒い髪を、軽く揺すった。

体がふらつくのか、床を確かめながら歩くような慎重な足取り。

湯上りのわりには肌は血の気が少なく白いが、
唇の色はいつも通り赤かった。
黒い瞳が部屋の照明を反射して光る。


天使が来た。
言葉が出ない。

天使が何か話しかけて来たけど、
何を言ったか自分でも覚えてない。

何と返事されたかも覚えてない。
天使と話すって何を話せば良いんだ。

天使がゆっくりと白いソファーに座る。
まるで雲に腰かけるみたい。

不機嫌そうな様子にやっと気づき、喉が渇いただろうと冷蔵庫の冷たい飲み物を勧めると、
美味しそうに飲んだ。
白い喉が何度も動いて、目が離せない。

どのくらいそれを見てたのか、叱るような声を出された。
それから、求められるままに、僕の吸血衝動に関する全ての話をした。

自分の語る話を、退屈なラジオのように聞いていた。
よくスラスラと喋るなと自分に感心した。
自分の身の上なんてまるで興味ない。

どの道、ユタよんは僕を許せないだろう。

僕は今日のことをよく謝り許しを請うだろう。
ユタよんは多分、練習生同士でトラブルになったとなれば事務所も関わって来るから、
それを嫌がり、許せない気持ちとは別に和解を選ぶ。
優しいユタよんだから多少の同情心も持つかもしれない。
そして僕は雑多な交渉と手続きと共に、ユタよんの前から消えるだけだ。

退屈な未来。
人の前で歌う夢は消え、ユタよんとはもう会えない。
そしてまた数か月後に血を吸うことは何も解決していない。
解決する意欲すら湧かない。

どうでもいい。
医療に助けを求めるルートにも、もうあまり興味が湧かない。
どっかで干からびて死ぬのが一番正しい気がする。

失敗の選択ばかりだったが、ユタよんが今まだ元気で生きてることだけは本当に感謝しないといけない。

最悪のルートを想像してゾッとする。
欲求のままに失血死させるまで飲み干すことも十分ありえたのだ。
僕は僕を全くコントロール出来なかった。

退屈な僕の話はまだ延々と続いてる。

それより天使を見ていたかった。
うつむいたまま頷いたり、唇をさすったり、
辛そう表情をして、ギュッと足を抱えて座ったりする天使。

何をしても可愛いし美しい。
どの表情にも魅かれる。

美は見る者の目に宿る、って言葉があるけど、
僕が死んだら僕が今見てる美も消えるのかなと考える。

本来そういう意味の言葉ではない。
ナンセンスだ、僕はもう頭がおかしい。
完全におかしい。
この天使に裁かれ、天国でも地獄でも連れて行って欲しい。

ユタよんが急に変な声を出してソファーにのけぞった。

どうしたのだろうと覗き込むと、
ユタよん大きな目と僕の目が合った。
その瞬間、大きな目が僕を全部吸い込むような感覚がして、
急に周りの音が明瞭になった。

「不思議なのはさ」
ユタよんの言葉がうるさいくらいはっきりと聞こえた。

僕の性格なら吸血鬼だなんて平気で告げるはずだと、ユタよんが言う。
さすがに拗ねると、優しい言葉をくれた。

今日どのくらい飲んだのかなど吸血に関していくつか質問され、わかる範囲で答える。

そろそろユタよんは帰るだろう。

化け物になった弟の身の上話に少し同情しながら、
自宅に連れ込まれ、ひどい目に遭わされたことと何とか折り合いをつけて、
これから暮らして行くのだろう。

気の毒なユタよん。
何も悪いことしてないのに。
僕がいなければ少しは早く忘れるだろうか。


「次はつい多めに飲むなよ」

またはっきりと声がする。
我に返る。

「次は多めに飲むなって言ってるんだよ」

「仕方ないんだろ、欲しい時に飲ましてやるよ」

ユタよんがそう言った。
はにかんだ様に微笑んで。


足を組み頬杖ついて、俺にこれからも血を飲ますと言っている。

何を言ってるんだこの人。

一度情報を整理するために天井を眺めるが、
いくら眺めてもまるで整わなかった。
やり取りを思い出して、話を理解しようと思ったが全く無理だった。

え?また飲ますの?
なんで?
訳が分からない。
ユタよんは頭がおかしくなったの。

死んだり障害が残ったりしたかもしれなかったくらいひどい目に遭わされて、
またそのひどい目に遭っても良いと言ってる。

理由が見つからない。

優しいから?

自分が死ぬかもしれない目にまた遭うのが、優しさの範疇なんだろうか。
そんなの優しさ、狂人のレベルだ。
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