僕たちはどうかしてる

□僕たちはどうかしてる Side-J
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どちらが良いのか。
簡単な方と、正しい方。

死にたくはないけど、正しい答えの方が正しいに決まってる。
だから仕方ないけど死ぬことにしよう。
まだ人間でいるうちに。

でも死んだらもうユタよんに会えない。
なんて僕は不運なんだろう。

そもそも、もっと前になら、自分の奇妙な症状を公表して、
医療に頼り、根治は無理でも対処療法として血を貰う様な道のりもあったかもしれない。

その場合、恐らく努力してきた夢は台無しになると想像できて避けた道だったが、
今となれば、そうしていればせめて命は助かったのにと悔やまれる。


「ジェヒョン!!!」

幻聴が聞こえる。
ユタよんがまるで近くにいるみたい。

いや違うのか。
振り返ると、本人がいた。

「ユタよん」

なんでここにユタよんがいるの。
ユタよんを見つけて悲しいのは、これが初めてだ。

ユタよんは怖い顔をしていた。
暗い道で、顔を隠し、歩く女性の後ろを物陰から見てるなんて弁解のしようもない。

駆け寄って来たユタよんに厳しく問い詰められるが、
何も答えられなかった。

「見知らぬ人を襲って血を飲もうとしてましたが、結論としては自殺することに決めました」
とは言えなかった。

外の空気で冷えたせいか、ユタよんはもうそんなに、甘い匂いを出していなかった。
怒り、話を聞きたがるユタよんを、
とりあえず自宅に案内することにした。

移動中も重苦しい沈黙が続く。

「よく僕だって、わかりましたね」

「黒いマスクも帽子も見覚えあるし・・・
服なんか練習ん時の格好のままじゃねえかよ」
と言うと、
ユタよんは面白くもなさそうに、
僕のTシャツの上に着たレイカーズの紫色のユニフォームのレプリカを指さした。
そしてまた沈黙した。

黄ばんだ街灯がユタよんの顔を寂しげに照らす。
ユタよんの長い前髪が風に揺れる。
髪が揺れてるユタよんには、特別な魅力的な何かがある。

物思いをしてる時のユタよんは、横顔見放題タイムだ。

鼻の高い美しい横顔はいつ見ても飽きない。
ユタよんの気丈さや繊細さが、
ツンとした鼻のラインとすごく合ってるようにいつも感じた。

もう見る機会がないのだから、
その前に出来るだけ、この横顔を目に焼き付けよう。
僕が消えたら、僕ほどにユタよんの美しさを理解する人はいるんだろうか。

イエス。ファンたちはきっとユタよんの美しさを知ってる。

ノー。だけど僕ほどじゃない。僕は世界一知ってる。

答えは決まらない。

伏せた目の美しいカーブもまつ毛の作る長い影も、僕が一番知ってる。
厚めの唇のラインの完璧さも、考え事する時物憂げに少し開く唇も。

あの唇を僕の舌でこじ開けることを、僕はすでに何度も空想してた。
拒むだろうか、甘く受け入れるだろうか。
舌を絡めたら、絡め返すだろうか、恥ずかし気に大人しくするだろうか。

ユタよんがこっちを見る動きをしたので、素早く目をそらす。
しばらくすると、またうつむいたので、また見る。

白い肌、
その肌が無防備に近づいた時の香り。
こっそり耳打ちするときの甘い囁き声。

僕が一番知ってる。
僕がいなくなったって僕が一番知ってる。

またこっちを見たので、目をそらす。

自宅に着くと、落ち着く間もなく早速、詰問が始まる。

どこまでを話すべきか、既に頭でシミュレーションしたけど、
ユタよんの大きな目を見てると予定が狂う。
今晩中に自殺する予定ですとまで自白したくなる。

それを言ったら止めるに決まってるので、
悩む原因があり犯行に及ぼうとしたがユタよんのお陰で未遂です、
という話がやはり良いと思えた。

悩む原因は、適当らしい嘘の方が良いんだろうけど、
あえて正直に話したいと思った。

一つ目の理由は、僕は長い嘘があまり上手くないこと。
二つ目は、どうせもうユタよんに会うこともないのだし、
事実を知って嫌われれば、僕が消えても心痛まないだろうし、
同情したとしても、自殺に納得が行って無駄に悩ませずに済むだろう。

僕は牙を見せることにした。
ユタよんの匂いを嗅がせてもらって出す。
牙はすぐ出た。

色々見せても、ユタよんは不思議とあまり驚かない。
調子が外れる。


それより嗅がせてもらったユタよんの匂いが頭から離れない。
甘い。
甘い。

匂いはまた少し変化していた。
果実の甘い香りに、ムスクのような官能的な匂いも混じってる。
それは僕を強く誘ってるように思えた。
早く噛んでと。
吹き出す赤い果汁。
舌に絡みつく甘さ。

頭がボンヤリする。

心臓が苦しい。
言葉がもう出ない。

腕が操り人形のように勝手に動く。
腕は勝手に、ユタよんの腕を取った。
袖を捲り上げている。
ユタよんの肌、青い血管、これは動脈、これとこれは静脈。

僕は何をしてるのか。
いや、何してるのか本当はわかってる。

怖い。
駄目。
ユタよんを傷つけないで。

誰が言ってるのか。
誰に言ってるのか。

ユタよん、早く逃げて。

目を合わせると、ユタよんは恐怖にひきつった顔をしていた。

最悪だ。
僕は最悪な道を選んだ。

どうして、と思ったけど、どうして、ではないとも気付いた。
僕はユタよんを家に誘った時から、こうするつもりだったんだと、
今やっとわかった。

やっとわかった。
僕はやっぱりもう人間じゃなくなっていた。


僕はユタよんの腕に嚙みついて、ユタよんの血を吸い、飲みこむ。
六回の嚥下。
自分の喉が鳴る音。

ユタよんの体は噛まれて一度大きく跳ね上がった後、ぐったりと弛緩した。

それを僕は泣いて見ていた。
もうやめて。
ユタよんが死んじゃう。
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