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□ロマンスは突然に!?
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その日僕はいつになく落ち込んでいた。
GPファイナルへと繋がる大会でミスをしてしまったからだ。結果どうなるかと思ったが運良く表彰台に上がることができ、ギリギリながらもファイナル行き確定も決まった。心の底からホッとしたがパートナーに迷惑をかけてしまったことや練習ではできていたことが大事な試合では活かされなかったことへの不満からナイーブになっていた。長くこの競技を続けていてもこういう時どうモチベーションをあげたらいいかわからない。
「はあー…」と僕の吐いた大きな溜め息と同時に更衣室のドアが開いた。
そこには目をパチっと開けこちらを見て驚いてるユヅルがいて僕の胸はドキっとした。
「マリナロさん」
マリナロサン…?そういえば日本人は年上の人には「サン」を付けると聞いたことあるな。
ユヅルとは試合が重なる度、挨拶や軽く話すけど彼のそばには常にガードマンがいたりメディアに囲まれていたりとゆっくりと話したことはなかった。だけど正直に言うと僕にとってユヅルはすごく気になる存在だ。過去に一度ユヅルの公式練習をリンクサイドで見たことがある。黒のピタっとした練習着でストレッチや体を動かす彼をみると同性だって魅力されるだろう。あの小さなウエストに触れられたらなあと考えたこともあるし彼の身近な存在の人たちを羨んだこともある。
それにしても「マリナロサン」というのはなんだか距離のある呼び方だなと感じた。
「やあ、ユヅル。お疲れ様」
「どうしたの?大きな溜め息ついてたよ」
心配そうに僕の顔を覗き込むユヅルの表情は本当に不安そうで僕を気遣ってくれてるのを感じられた。
「実は試合でミスをしてしまって…ちょっと落ち込んでたんだ」
「そうだったんだ…」
「ユヅルは落ち込んだりしたときってどう気分をあげてるの?」
「うーん…」
まだそんなに親しい訳ではない僕の悩みを真剣に聞き、答えをくれようとするユヅルに僕は彼に愛しさを感じた。
「そうだなあ。気を紛らすのは音楽を聴いたりゲームしたりだけど…でもやっぱりひたすら練習することだよ!なぜミスをしたか、自分のスケートを研究していくうち落ち込んでる暇なんてなくなっちゃうよ!」
オリンピック二連覇した金メダリストだけあり立派な答えには僕は尊敬した。
「ああ、そうだね!落ち込んでる暇なんてない。ファイナルはすぐだし僕も練習に励むようにするよ」
僕はやる気を見せるようにちょっとふざけてガッツポーズをしてみせた。それに「ふふっ」と可愛らしく笑うユヅルに、僕も嬉しくなった。

「あ!そういえば落ち込んでたりストレスがある時はハグをすれば気持ちが安らぐって本で読んだよ」
「ハグかい?」
「うん、挨拶の時の軽い感じじゃなくてギューっとするの、マリナロさんが良ければやってみる?」
突拍子もないユヅルの発言に僕はちょっと驚いた。だけど彼の優しさに甘えることにした。
それになんだかラッキーじゃないか。ユヅルに触れるチャンスができたと僕の下心が影を表した。

「じゃあお願いしようかな」
向かい合い互いをギュッと抱きしめる。
ユヅルより僕の方が身長が高いから当たり前だがユヅルのことを抱きしめる形になる。ハグの心地は最高だ。相手がユヅルだからだろう、彼の石鹸のようないい香りがふわっと匂い胸が高鳴る。
「うーん、なんか違う気がする…あっ!そうだ!マリナロさんはそこのベンチに座って!」
ハグを数十秒堪能していると再びユヅルが何かを思いついたようだ。
「これでいいのかい?」
ユヅルに言われた通り更衣室にあったベンチに腰掛ける。すると座っている僕を跨ぐように結弦がベンチに膝をつく体勢にになり僕の膝の上に乗り上げる。
「ふふっ、お邪魔しまーす。よしっ!これでマリナロさんより身長が上になったよ」
ユヅルはそう言うと僕の頭をギューっと引き寄せて抱きしめられる。ユヅルの胸の中で彼の穏やかな心音と彼の匂いに包まれた。こんな風にぎゅっと包み込まれるように抱きしめられたのは子供の時以来かもしれない。これはたしかに落ち着くだろう。しかし今の僕の心臓はバクバクだった。癒しよりもずっと触れたいと思っていた存在の相手の胸の中にいるのだ。試合でミスをしたことなんてもう僕の頭の中にはない。彼の身体を押し倒さないように必死に理性を働かせた。そんなことを考えているとユヅルの体温が離れていき彼は僕の隣に座った。

「どうだった?ちょっと恥ずかしかったけどよかったかな?」
さっきまで大胆な行動してたのに急に恥ずかしそうに顔を赤らめて言うユヅルに僕は心の中で彼のギャップ萌えにのたうち回った。
「ああ!すごく気分が落ち着いたよ。ユヅルのおかげだよ」
「マリナロさんの力になれてよかったよ。次はGPファイナルで会えるよね。お互い頑張ろうね」
ユヅルはそう言うと僕に手を振り荷物を持って出て行った。
嵐のようだった。僕の体にはまだユヅルの優しい石鹸の香りと少しの体温が残っている。あっという間の出来事だったけど彼の優しさや振る舞いは僕の胸に刻まれ、ユヅルの笑顔が忘れられなくなり数日経ったある日、これは単なる下心だけではなく確実にユヅルに恋をしてしまったと自覚した。


ーー グランプリファイナル2019 ーー

男子SP。僕はユヅルの演技を会場の選手用席でみていた。そして今モニターに映し出されたキスクラの席にコーチなしでポツンと1人で座る姿を見た瞬間、僕は思わず立ち上がり席を離れようとした。今すぐ彼のそばに言って励ましたい。好きな相手のつらそうな顔を見るのは心苦しかった。でもまだ試合中だ。ユヅルの邪魔をするわけにはいかない。僕はただ何もできないもどかしさに胸が張り裂けそうだった。
その次の日からは僕も競技に集中しようとした。だけどユヅルが公式練習で4Aの練習を始めたと耳にした時は心配でたまらなかった。コーチ不在の中彼は今何を思って練習してるのか、怪我のリスクが高い4Aの練習なんて無茶だと思う人が多数だろう。でも未知の4Aに挑む姿がさらに人を惹きつける。僕はどんどんユヅルの魅力にハマっていった。
そして男子FS、僕は胸をドキドキさせながら見守った。コーチも到着し安心感もあったのか笑顔も見える。しかし結果ユヅルは2位だった。彼はとても悔しいだろうに表彰式では優勝者を称える姿にファンや僕も感動した。
男子FSが終われば今大会も終わりに近づきあとはエキシビションだけとなった。エキシビションの練習のためリンクにいる選手たちもピリピリとした緊張感はなくなり和やかなムードだ。
一旦僕は練習着に着替えるため更衣室に入った。今の時間はみんな練習中で誰もいないだろうと思っていたが中にいたのはユヅルだった。
「あれ、マリナロさんだ」
僕に気づいたユヅルは笑顔で話しかけてくる。
「ユヅル、試合お疲れ様、素晴らしかったよ」
「そうかな、結果2位だし、自分の納得できる演技ができなかったし、正直悔しさでいっぱいだよ」
「この前と立場が逆だね、ハグするかい?」
僕は冗談っぽく言ってみたが心の中では本気だった。ユヅルに少しでも癒されてほしい、元気になってほしいという思いでいっぱいだ。
「ん〜、でも俺落ち込んでないよ!悔しいだけだし…でもお言葉に甘えてお願いしようかな」
ポスっと僕の胸へと全身を預けるようにユヅルが倒れ込んできた。そのまま僕の背中へと回る腕を感じながら僕もユヅルの体をギュッと抱きしめた。しばらく無言でハグする状態が続いた。今誰かがドアを開けたなら確実に誤解される状況だろう。僕にとってはありがたいけど。
「よしっ!充電完了」
「もういいのかい?ユヅルのためなら何時間、何日間でもハグするよ」
「ふふっ何それ、マリナロさんって俺のこと好きみたい」
冗談っぽく言ったユヅルだけどその言葉は僕の心の確信をついていて固まってしまう。
「えっと、その、」
「えっ、もしかして本当に俺のこと好きなの?」

「ああ!僕はユヅルが大好きだ!ずっと前から君のことを見てい…」
僕は思い切って告白した。チャンスは今しかないと、でも最後まで言い切る前に僕の唇にふにっとした柔らかいものが触れた。それはユヅルの唇だということに数秒遅れで気づいた。
「え…」
「俺のホテルの部屋、〇〇号室。ハグだけじゃ足りないからさ、マリナロさん、今夜慰めてよ」
僕の耳元で小さく囁いた衝撃的な言葉。ユヅルの顔を見ればいたずらな笑みを浮かべながらもその目は男を誘うように妖艶で僕は動けないままだ。
「ふふっ、はやく行かないと練習はじまってるよ!」
固まったままの僕を置いてユヅルは更衣室から出て行った。これはもちろん、その、OKということだろうか。片思いの相手からのいきなりのキスと去り際の言葉。最高な急展開に僕の胸は破裂しそうなほど心臓の鼓動が速い。早速僕は脳内シュミレーションを開始する。まずホテルの部屋についてからあのしなやかで細いウエストを引き寄せながらキスして…って違う!まずはちゃんと告白しなくちゃ、それとあのスウィートボイスで「マイケル」なんて呼ばれたいなあと妄想しながらユヅルの後を追った。

そしてその後は…ユヅルと幸せな一夜を過ごし、EXのフィナーレではユヅルの白鳥の衣装が美しすぎて我慢できずに熱烈ハグをしてしまったり、こっそりイタリア観光をしたりと2人のロマンスは続いていきましたとさ。
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