飢えた獣をつなぐのは

□大罪人の帰還
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 雨が降っている。

 赤い雨が私に降り注いで、全身を濡らして染めていく。


 斬って、斬って、斬り続けて。

 ふと思った。

 望むものすべて。世界のすべて。森羅万象のすべてを斬った後、いったい何が残るのだろう。

 斬った後に残るものは一体なんなのだろう。

 それは漠然とした恐怖。

 それは明確な拒絶。

 …それは、絶望への予感。


 気づけば雨はやんでいた。

 私は、何も斬れなくなっていた。


 森羅万象、世界のすべてを斬ることを望んだ私は、けれど己自身の内側に生まれたものに殺された。

 斬ってしまうことへの興奮と怯え。

 斬った後に残るものへの興味と憂い。

 斬って、斬り続けた先にたどり着く果てへの憧憬と羨望、そして恐怖に不安。

 けれど、その果てに君にであう。

 私のすべてを壊した君に。


 雲が割れて空が赤く染まった。







 瀞霊廷内に旅禍が侵入した。

 その報告はすぐさま全死神に通達され、大騒ぎになった。蜂の巣をつついたようなその様に誰もが嫌でも緊張感を高めていく。

 西流魂街に接している白道門へ迎撃に向かった市丸の手をかいくぐり、姿をくらませたという。すぐさま隊首会が招集され、一番隊の隊舎に十三隊の隊長たちが集まっていた。

「あらら、隊長さんたちがようけ集まってどないしたんです?」

「とぼけてんじゃねぇぞ市丸。テメェ一人だけ先に旅禍と遊んだらしいじゃねぇか。しかも侵入なんざされやがって」

「…ほんま、申し開きの使用もありませんわ。何せめっちゃ意外というか、どう反応したらええのかわからん人やったもんですから」

「あぁ?」

 蛇のような、怪しげな笑みを崩すことなく言ってのける市丸に他の隊長たちも白い目を向ける。しかし、市丸が戸惑ったという旅禍が一体誰だったのか、ということに興味を持った者も少なくはなかった。

「まぁまぁ落ち着いて。それで、市丸君。その旅禍ってのは誰だったんだい?」

「皆さんもよう知ってはる子ですよ。度会沙夜です」

 瞬間、その場にのしかかるようにして満ちた凶悪な霊圧に誰もが押しつぶされるのではないかと錯覚した。鈴の音をさせながら更木が部屋を出ていこうとする。

「待て、更木。どこへ行く」

「元は俺の部下だ。始末は俺がつける」

 物騒な面でそんなことを言っても説得力のかけらもないが、かといってなぜそんなことを言ったのかを知るものは誰もいない。

「ほう、野蛮人にもそういった思考はできるのだネ。感心感心。しかしだ、もうすでに度会沙夜はお前の部下でも何でもない。意味のない無駄な行為はやめたまえよ」

「…あいつとは約束がある」

「馬鹿かね? そんな理由で勝手な行動を許されるとでも? これだから規律も何もない戦闘狂は」

「やめい! 更木剣八には持ち場での待機を命じる。勝手な行動は許さん。…度会沙夜は身柄を拘束し四十六室の元で裁きを受けさせる必要がある。各自、持ち場につき捜索に尽力せよ」

 更木が不満げに声を上げるが誰もそれを援護する者はいない。こめかみに血管を浮かばせながら、それでも総隊長の命令を聞く気があるのか飛び出して行こうとはしない。

 さながら悪鬼の形相でありながらもなんとか自制を利かせた更木に密かに安堵しながら、京楽たちは部下たちへの指示を出すために動き出した。

「くそっ。…さっさと俺のところに来い」

 苦々し気に吐きだした言葉が求める相手に届くと信じて、更木は空を見上げた。



 西流魂街、白道門の前。

 旅禍の一人である一護が大音量で怒鳴っている。

「くそっ! あいつ一人で突っ込みやがった!! 道案内役じゃねぇのかよ!!」

「行ってしまったものは仕方がない。あやつのことは放っておいて儂らは別の方法で瀞霊廷内に入るぞ」

「仕方ないって…放っておいていいんですか?!」

 石田がしゃべる黒猫に問いかける。すると、黒猫は尻尾をぱたりとふってあごを少し上に向けた。

「あやつはこの儂らに鍛えられた精鋭じゃ。そう簡単にやられはせん」

 それは信頼している、ともとれる言葉だった。兕丹坊の腕を治療している織姫や、無言で周囲の様子をうかがっているチャドもその言葉を信じることに決めたようだった。

「さぁ、兕丹坊の傷を癒し終えたら瀞霊廷に向かう方法を考えるぞ」

 自分たちと共に尸魂界へ向かった仲間の無事を祈りながら、彼らは彼らにできることをすることにした。



 一番隊舎から移動する際、日番谷は近くにいた京楽に疑問に思ったことを聞いてみることにした。

「なぁ、京楽。一つ聞いてもいいか?」

「なんだい? 日番谷隊長」

「度会沙夜ってのは何者だ? 更木があれだけ反応するってことはなんかあるんだろうが、聞いたこともねぇ名だ」

 いぶかし気に眉をしかめる若い隊長の視線を受けて、京楽はかぶっていた笠を傾けて顔を隠す。

「彼女はね、当時の上流貴族の一つである天原家の当主夫妻と、度会の当主、そして自分の父母を惨殺して現世に逃げた極悪人なんだよ」

「な?! 馬鹿な、そんなこと」

「できたんだよ。彼女は」

 貴族街にはいる際には斬魄刀などの武具は全て没収される。そして上流貴族に面会していたということはその身辺には必ず警備がいたはずなのだ。

「あれはひどかった。彼女がどうしてそんなことをしたのかはわからないけど、裁きは受けさせなきゃいけない」

 憂いを帯びた目に日番谷は何かを感じ取ったが、それを追求する前に京楽はヘラリを笑って歩き始めてしまった。

(大罪人、度会沙夜)

 その裏には一体どんなおぞましいものがあったのか、思考をめぐらせようとしてやめる。どう考えても貴族がらみの厄介な話にわざわざ自分から首を突っ込む必要はない。

 ひとまずそれらのことを頭の隅にとどめるだけにして日番谷もまた歩き始めたのだった。



 旅禍が侵入した、という報告が入ってから数時間。十三隊が総出で探しているというのに、いまだに旅禍の影すら見つかっていなかった。

 総隊長直々に隊舎で待機しているようにと言明を受けた更木は凶悪な人相をさらに歪めて宙を睨んでいる。十一番隊の隊員たちのほとんども出払っており、残っているのは副隊長のやちると持ち場に旅禍がいないことを確認して戻ってきた一角たちだけだった。

「あーあ、ツイてねぇな」

「仕方ないじゃないか。あの逃げ足の速い子がそう簡単に見つかるわけない。今回は縁がなかったと思ってあきらめるんだね」

「ふざけんな! 俺はあいつに借りがあるんだよ。諦められっか」

 道場の入り口辺りに座り込んでだべっている二人は、ふと更木の部屋がある方へ視線を向けた。

 更木の部屋からは重々しく荒れた霊圧が容赦なくあふれ出していた。十一番隊の隊員たちが隊舎に戻ってこずに見つからない旅禍を探している理由の一つだ。誰だって怒り狂った獣に近づきたくはない。

「荒れてんなぁ、隊長」

 一角や弓親だって今の更木にはあまり近づきたくなかった。八つ当たりで死ぬのはごめんだ。いや、魅力的な話ではあるしそれはそれでいいかもしれないとは思う。が、やはりどうせ喧嘩するならちゃんと自分を見てほしいものである。

「隊長もあんな風に誰かに執着したりするんだね。それがあの度会沙夜なのがよくわからないけど」

 もとより更木剣八に理屈など通じるとは思っていないが、それにしても特に更木が執着する理由も思いつかない。

 確かに一度は更木と剣を交え生き残った運のいいやつであり、浅くはない傷を負わせた実力も持っている。が、そんなことでここまで荒れたりはしないだろう。

「副隊長が探しに行くってんならまだわかるんだけどね。ほら、かなり気に入ってたじゃない? 実際、副隊長の遊びにあそこまで付き合えるやつは彼女以外いなかったわけだし」

「いや、そりゃねぇだろ。あのチビはそこまで誰かに執着したりしねぇよ。相手が隊長ならともかくな」

「…それもそうだね」

 空を流れる雲を見上げながら弓親は一角の言葉に同意した。


 更木は執務室で横になっていた。探しに行くことはなぜか禁じられ、部下たちが見つけ出したという報告もない。いつもはうるさく話しかけてくるやちるも嫌に静かでどうにも落ち着かない。

 いっそのこと昼寝でもしてしまえば遅く感じる時間の流れを早められるのではと思うも、目を閉じても一向に眠れる気がしない。それどころかおおよそ百年ほど前にいなくなった部下と、過去の夢が重なって心をざわつかせる始末。

 舌打ちをして起き上がった。総隊長の命令だろうが何だろうがもうどうでもいい。そんなものに従ってやるのも限界というものだ。

 いらだった様子で立ち上がり、斬魄刀を持ち上げた更木の肩にいつの間にかやちるがのっている。

「剣ちゃん、さっちゃんを探しに行くの?」

「あぁ。籠るのも飽きたしな、じじいの命令なんざ聞いてられるか」

「わーい! それならさっさと行こうよ!」

「おう」

 楽し気な幼子の声に少しだけ心が落ち着くのを感じながら更木は執務室から出ようとドアに手をかける。その瞬間、コツコツと窓を叩く音が響いた。

「あん?」

 振り向けば窓の向こう側に誰かがいる。もう一度、コツコツと軽くたたく音がした後、小さな音を立てて窓が開かれる。

「どうも、お久しぶりです」

 そこにいたのは、今まさに探しに行こうと思っていた沙夜の姿があった。


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