飢えた獣をつなぐのは

□臆病者の暴走
1ページ/2ページ

 流魂街の外れに現れた虚を討伐するために向かわせた十一番隊の部隊が壊滅した、と報告が上がってきたのはもうすぐ昼になると言った時間帯だった。

 早めの昼飯をかっ食らっていた一角は口の中に詰め込んだ白飯を飲み込むとニヤリと口角を上げる。どうやら今日の自分はツイているらしい、と。

「一角、わかってるとは思うけど先に行っちゃだめだからね」

「わかってらぁ! 隊長、さっさと行っちゃいましょう!!」

「あぁ、隊長、今日はいないよ。技術開発局に行ったんじゃなかったかな」

 以前のような大虚まで出てくるような大規模な戦闘であることは保証できないが、切る相手がいるということは少なからず胸躍ることである。だから敬愛する隊長も少しは楽しめるだろう、と一角は声を上げたが弓親はそれを冷静に否定した。

 何をしにあんな気の合わない連中の集っている場所へ向かったのかは知らないが、後からやってくるかもしれないととりあえず書置きを残して一角たちは討伐部隊を率いて流魂街へ向かったのだった。
 

「なんじゃこりゃ」

 虚が現れたという流魂街の外れに到着した死神たちは困惑を強く表していた。目の前に広がるのは人気のない荒野に散らばる虚の死体、死体、死体。

「報告じゃ部隊は壊滅して虚は暴れまわってるって話だったんですけどね」

「あんだよ、俺の相手はどこにも残ってねぇのか」

 期待していたわけでもないが、それでも戦う相手がいると思っていた一角は落胆の声を上げる。ツイてねぇ、と空を仰いだ。

 と、隊士たちの何人かが虚の死体の群れの中のある個所を指さす。

「隊長! 誰かいます!!」

 おそらくはこの光景を生み出した死神だろう、と全員がそこへ視線を向けた。

「あいつは、副隊長の遊び相手の…」

「確か、度会って子だね」

 ひとまとめにされた髪が風になびく。全身を虚の体液に浸して沙夜はただ一人荒野の上に立っていた。棒立ちしていた沙夜はゆっくりと振り返る。一角は何となしにそれを見ていたが、ふと沙夜の目が自分を見ているような気がして目を凝らす。しかし、その目は閉ざされており赤く濡れていた。それを視認した瞬間、全身を駆け巡った電流に似た何かに斬魄刀を抜き出した。

「一角?!」

 隣で弓親が叫ぶがそんなことは意識していられない。血に濡れているせいか、光が閉ざされているからなのか。いつもの弱気で困ったような顔はどこへやら、冷たく凍った表情を張り付けた顔がなぜかはっきりと見えた。

「…本当に、あいつか?」

 記憶にあるやちると遊んでいる沙夜と顔は同じだが全くの別人にしか見えない。

 瞬間、沙夜の姿が消えた。目を見開く一角はとっさに斬魄刀を背後に回した。鈍い音がして重い衝撃が腕に走る。斬撃を防いだのもつかの間、またしてもふわりと気配が消えて今度は目の前に一瞬で現れる。振り上げられた直刀を鞘で防ごうと受け止めるとやっと凍り付いた顔に表情が浮かび上がる。

「…いい。あなたは、楽しそうだ」

 その顔があまりにも更木と似ていて、一角は息をのんだ。貴族連中が好きそうな腹の探り合いが得意な姑息で逃げ足だけが速い臆病者だとばかり思っていた。とても十一番隊には似つかわしくなく、すぐに死ぬか別の隊へ行くだろうと思っていた。

 しかしどうだ、今目の前にいるのは目をつぶされてなお戦いの気配をまとって笑っている獣そのものだ。

「なんだよ、そういう顔もできんじゃねぇか」

 どういうつもりなのかはこの際置いておいて、少しは楽しめそうな戦いの予感に一角もまた更木とよく似た性質の笑みを浮かべた。



 時は少しさかのぼって、その日の朝。やちるが更木とともに何処かへ出かけたため、沙夜は遊びに興じることなく溜まっていた仕事や雑用をこなしている。平の隊士に回ってくる仕事はたかが知れているが、いかんせんその量は多い。質はともかく量をさばききるのが地味にしんどい。

「はぁ、ていうか貴族にたいする対応の仕方なんて読む人うちにいないでしょ」

 貴族に対する礼儀及び対応の仕方について、と題のついた書類を流し読みながらこぼす。おそらくこの間、天原家の北の方が十一番隊舎に押し掛けてきたことから急遽つくられたものなのだろう。しかし、十一番隊の隊士がそんなことを気にかけるわけもないだろう。

 紙の無駄、資源の無駄だねと嘆きながら書類をさばいていく。十一番隊士が暴れた結果発生した傷害・破損に対する修繕費や慰謝料、始末書などから虚討伐任務の報告書、現世に遠征している死神からの報告書など様々だ。中には匿名で苦情が書き連ねられた髪も混ざっている。

「…いや、なんでよそ様の隊にまで出張って暴れてんのあの人ら」

 確かに彼らにとって戦いは楽しく暴力は心地いいかもしれないが、だからと言ってよそ様にそれを押し付けるのはどうかとも思う。いっそ流魂街の治安の悪い地区へ送り込んで治安改善・維持に勤めさせてはどうかとも思うがなんだか余計に悪化しかねない気もする。

 それこそ平隊士が考えなくてもいいことまで心配して案を考えようとしている自分の不毛さに苦笑して沙夜は書類をさばく仕事に戻った。いらない紙束は後でたき火にでも使わせてもらおう。いい感じに芋が焼けそうな量だし。

「十一番隊に出動要請が出たぞ! 流魂街の外れに虚が出たらしいぜ!!」

 聞こえてきた音がなんだか不穏な気がして沙夜はそっと部屋から退出しようとする。

「よーし、班目さんも綾瀬川さんもいねぇし俺らの班だけで行くぞ! 度会、お前も来い」

「あ、はい」

 が、時遅く一番に声を上げた班長につかまって出動することになってしまった。どうか敵が弱い奴でありますように、とやはり十一番隊にあるまじきことを心の中で願いながら出動準備を始めた。

 報告にあった地区につくと、早速虚閃の一斉掃射という歓迎を受けて体が自然と震える。周囲で好戦的に笑う班員たちの音を聞きながら沙夜は斬魄刀の柄に手をかけた。名前はわかったが、今まで戦場で一度も読んだことはない。少しの戸惑いと多大な不安を抱えたまま沙夜は戦場に突っ込んだ。

 結論から言うと、確認されていた虚は全て雑魚同然だった。席官に近い実力のものだけで制圧できたところからもそれは明白だ。しかし、部隊は壊滅した。残ったのは沙夜と彼女がとっさに助けられた数人だけ。

「伏せて!」

 彼女の指示に従って頭を下げた瞬間、すぐ上を鋭い風が吹き抜けていく。髪の毛が少しだけ切れたことを知覚して死神はひきつった息を吐いた。防御の指示を飛ばす沙夜の目はすでに血に濡れて閉ざされている。

「右から来ます! 斬魄刀をたてに構えて!」

 死神がとっさに右側に斬魄刀をたてに構えると重い衝撃と鈍い音が響いた。巨大な爪がぶつかってきたような感触にゾッと背筋に寒気が走った。

 彼らは今、目に見えない襲撃者に攻撃を受けていた。霊圧も感じられず、音も聞こえない。にもかかわらず即死せずにすんでいるのはひとえに沙夜が的確に攻撃を予測し、防御の指示を飛ばしているからだ。初めにそれを無視したものは息絶えて、残っている者たちはもはやその声が唯一の頼りであることをよく知っていた。
 
 生き残っている死神の一人は沙夜の指示に震えながら従っていた。敵はどういう仕組みでどのくらいの大きさで、どのくらい強くて、どんな形をしているのか、何もわからない。もしも初めの攻撃に沙夜が気づいていなければ間違いなく自分たちは全滅していた。隣に転がっている骸の存在感に浸食されて震える足を叱咤してひたすらに彼女の指示に従った。


(…音が薄すぎる)

 沙夜の耳はかなり特殊で、本来聞こえるはずのない音を聞き取ることが出来る。それは感情であったり、命の気配そのものであったり、意志であったりと様々であり世界を構成する語彙では到底表すことのできないものだった。

 音の種類も、内容も、ただ聞こえてくるだけでありそれから情報を読み取るのは沙夜の努力の結果だった。その努力の結晶が叫んでいる。この敵はおかしい、と。空間の向こう側に敵が潜んでいるわけではなくここにいるはずなのに、まるで空気と同化しているかのような音しかしない。下手をすれば確実に聞き逃す。そうなれば確実に自分も、生き残っている死神も命はないだろう。

「…っ、上から!」

 どんどん敵は速く鋭くなっていく。いくら音を聞けてもそこから防御の指示を出すまでのラグが狭くなっては間に合わなくなる。その予感は正しく、ついに指示と同時に死神の一人が切り裂かれた。

 途端、始まった殺戮はもはや沙夜一人の指示では防げない。沙夜の耳がとらえた敵は一体。にもかかわらずまるで複数の敵が同時に攻撃してきたのではないかと錯覚するほど、死神たちは呆気なく餌食となった。

 消えていく命の音があまりにもあっけなさ過ぎて、沙夜は自分のうちから一つの感情が沸き上がってきたことにも気づかなかった。ただ、はっきりと認識できたのは自分がまっすぐに斬魄刀を抜き取って、解号を唱えたことだけ。

「森羅万象ことごとく錆にせよ、布津御霊」

 瞬間、沙夜は自分の中の何かが引きちぎれるような音を聞いた。それと同時に自分に向けられた悪意も。

 鋭い攻撃の音を頼りに刀を振り下ろす。手ごたえはあった。しかしそれは空気を切ったようなあまりにも軽すぎる手ごたえだった。聞こえてくる現実の音ではない音を頼りに布津御霊を振り下ろす。

 あっけなく殺戮が始まったように、敵の最後もあっけないものだった。おそらく足元で転がっているであろう仲間だった死体の中で、沙夜は一人戦いの終わった戦場に立っていた。



「まさか、あの虚を感知できる死神がいるとはね」

 それをはるか遠くから監視していた男は、思ってもみなかった拾い物だと楽しそうに笑った。

 彼が施した改造は特殊なもので、本来であれば隊長レベルが神経を研ぎ澄ませて初めて感知できるはずだった。そのためこの十一番隊の部隊は一方的に虚の餌になるはずだったというのに。

 目をつぶされた沙夜の顔がスクリーンに大きく映し出される。と、沙夜が男を見た。たまたま監視用の目に気づいたわけではない。明らかにこちらに気づいている。

 男は軽く目を見開いた。実際に見えているわけではないことはわかっている。しかし、彼女は自分に気づいている。そう気づいたとき男は少しだけ少女に警戒心を抱いた。隊長格が全力で捕捉しなければならないほど希薄化していた虚に気づいてこれを切り、あまつさえ男にさえ気づいた節を見せるこの女は円滑な計画遂行には邪魔かもしれない。

 冷たい光を浮かべて男は静かに笑っていた。
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ