海月の夢見た世界

□観察者の見解
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館内図の書かれたパンフレットを片手に、安室さんがルリアさんをエスコートする。2人はルリアさんの歩みに合わせるようにゆっくりと、けれど順調に順路に沿って進んでいた。
昼近くになった軽食を片手にイルカショーを見て、水中トンネルをくぐり、また展示スペースを回る。これといって特筆すべきところのない、無難な水族館の回り方と言った感じだ。

「……普通だね」
「……そうですね。強いて言うなら、彼女がいつもより楽しそうだということでしょうか」
「うん」

ルリアさんは基本、穏やかで笑顔の多い人だけれど、心から楽しんでいるというようなことは存外少ないと思う。それは記憶を無くしているという彼女の境遇を考えれば無理からぬことなのかもしれない。
それが今日はどうだろう。いつも少し陰のある彼女からそれが消え、本当に楽しそうに魚たちを眺めている。
今のこの彼女こそが、本当のルリアさんなのかもしれない。

──ルリアさんはよく潜るんですか?
──ええ、最近はあんまりできてないですけど……
──それは綺麗でしょうね

遠くから観察しているため声は聞こえないが、2人の唇の動きを読む限り、安室さんとの会話も弾んでいるようだ。

「……彼女、ダイビングをするんですか?」
「そんな話聞いたことなかったけど……」

同じく、隣で会話を読んでいた昴さんに問われる。今までのルリアさんとの会話にはなかったが、可能性はゼロではない。
イギリスは日本と同じ島国。海へ入ること自体はそう難しくはないのだから。

「……時間的に、次が最高でしょうか」
「うん。後回ってないのは、スタジアム下のイルカプールだね」
「ええ。先回りしましょう」

館内を一通り見た2人。安室さんが徐に時間の確認をして、それからある方向へルリアさんを促した。
それはお昼頃、イルカショーを見ていたスタジアム。この米花水族館では、イルカショーのプールを真横から見られるようにとスタジアム下の空間が開放されている。水中トンネルの人気ぶりには敵わないが、スタジアム下も密かな人気水槽だった。

2人が向かっているだろう入り口。その反対の出入り口から、昴さんと先回りする。
少し待てば、予想通り安室さんとルリアさんが降りてきた。太陽光を受けて青く照らされた室内を水槽の前まで歩き──けれど、安室さんが何かに気づいたように立ち止まった。そしてポケットからスマホを取り出す。
ルリアさんへ数度頭を下げると、安室さんはスマホ片手に再び入り口へ戻って行った。階段を数段上がって……室内が──ルリアさんの様子がギリギリ伺えるところで立ち止まる。

間違いない。安室さんも、ルリアさんのことを見極めようとしている。
それは探偵の安室透としてか。それとも、組織のバーボンとしてなのか。どちらにせよ、その視線は鋭く彼女へ向けられていた。

しばらくイルカたちと向き合っていたルリアさん。彼女が片手を水槽のガラスへ触れさせると、イルカたちが代わる代わるガラス越しのその手に触れた。
ある種の儀式めいたそれに、その場にいた誰かから感嘆の声が漏れた。

「綺麗……」

確かに、青く染まったルリアさんはとても綺麗だった。イルカと並んだその光景が、至極自然なものだと言わんばかりに彼女に似合っていて。

──ありがとう、レイン

「! ……昴さん、今の見た?」
「ええ」

ルリアさんは、この空間に入ってきて最初に向き合ったイルカに対してそう言った。ありがとう、と。そして名前を呼んだのだ。
僕や昴さん、そしておそらく安室さんも、あのイルカが昼間のショーに出ていた内の1頭だと分かっている。その模様や体の特徴なんかが、ショーに出ていたそれと同じだからだ。
でもそれが、一般的な感覚でないことも理解している。普通の人間は、イルカの識別なんて出来ない。そう、よほど観察眼が優れていなければ。

なのに、彼女は──。

「ルリアさん、イルカたちの区別がついてるってことだよね?」
「ええ。失礼ながら、彼女が見分けられるような人間には見えませんが……」
「……うん。僕も同意見」

どういうことだろう。ルリアさんのことを知るために米花水族館へ来たのに、また謎が増えた結果になった。
今日一日一緒にいた安室さんに聞けばもう少しわかることもあるかもしれないが、バーボンである彼に聞くのもまた憚られる。

文字を教える時にでも、また少しずつ探っていくしかないかもしれない。



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