海月の夢見た世界

□3つの誓い
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フロアの照明が最小限に抑えられ、人の表情も読み取り辛いような薄暗い室内。イルカのプールが太陽光を取り込んで青い光を放ち、ホール全体に幻想的な雰囲気をもたらしていた。

「安室さん、ここって……」
「先程見た、イルカショーのプールです。ショー自体は上から見るものですが、米花水族館ではイルカの様子を横からも見られるように、このフロアが設けられているんですよ」

気に入りましたか。
そう言い笑う安室さんに、迷うことなく是と返す。その間も、視線はイルカの泳ぐプールから離せずにいた。
その理由は明確で──、

「……すみません、ルリアさん」
「……どうかしましたか?」

申し訳なさそうな安室さんの声に、不思議に思って視線をそちらへ向ける。彼は片手に携帯を持ち、この暗い中でもわかるくらい、声と同じく申し訳なさそうな顔をしていた。

「クライアントから電話が来てしまったようで……短時間で終わらせますので、少しここで待っていてください」
「はい」

ポアロのシフトは休みとは言え、安室さんは探偵としても活動している。そして、探偵という仕事におそらく決まった休日はない。こうして出かけていようと、連絡が来てしまうのは仕方のないことだろう。
すぐ戻ると言い置いて、先程降りて来た階段を登って行く安室さんを見送って、私は視線をイルカのプールへと戻した。

水槽のガラスの向こう。このフロアへ足を踏み入れた時から目が合っていたイルカが、真っ直ぐに私を見ていた。

《……姫、姫様》

私へ、そう呼びかけながら。
姫。それは彼らイルカが言うところの、セイレーンの娘を指す呼び名。今この場でその可能性がある者が、私以外にいるとも思えなかった。

私たちセイレーンは、テレパシーを使ってイルカとの会話が可能である。イギリス(むこう)にいた頃は、時々人気のない海岸へ会いに行ったものだ。
けれど、魔法が存在しないらしいこの世界では、もう二度と彼らと話せることはないと思っていた。思っていた、のに……それが当然であるかのように、彼は私へと話しかけてきた。

《……私の、こと?》
《はい、姫様。僕の声が、聞こえますか?》
《……ええ、聞こえてる。私がセイレーンだって、貴方には分かるのね》
《もちろん。僕らの姫様ですから》

私に自分の声が届いていることが分かると、彼は嬉しそうに「キュイッ」と鳴きながらその場で旋回する。その鳴き声と重なるように《みんな、本物の姫様だ!》という声がプール内に響いた。
すると、プールの中を泳ぎ回っていたイルカたち──目の前にいる彼のほかにも2頭のイルカがいた──が、揃ってこちらへとやってきた。
私の前に、プールのガラスを挟んで3頭のイルカが集まっている。

《僕はレイン。彼はルークで、彼女はメロウ。姫様のお名前は?》

話しかけてきたイルカがレインと名乗り、続いてやってきた2頭を順に紹介してくれた。

《私は、ルリア・ナイトレイ》
《ルリア姫……お会いできて光栄です。僕、というか僕たち、生まれて初めてセイレーンに会えました!》

喜色に染まった声色で話すレイン。その隣りから、メロウという名の彼女が感慨深そうに言う。

《言い伝えにはあるけど、セイレーンなんて伝説上の存在だと思ってたんです。だって、私たちの親も、そのまた親も、セイレーンに会った者はいないから……》
《ええ。だから僕ら、ショーの最中に貴女を見つけて本当に驚きました。驚き過ぎて、危うくお互いにぶつかるところでした》

そしてもう1頭の彼──ルークが、苦笑いを含みながら先程のショーの裏話を語ってくれた。見ている側としては気づかなかったので、ギリギリの距離で行われるパフォーマンスに見えたのかもしれない。

それはさておき、彼らが私のことをセイレーンだと認識しているなら、聞いてみたいことがある。

《……一つ、聞いても良いかしら、》
《もちろん! 何でも言ってください、姫様》
《……セイレーンでもあるけれど、私、魔女でもあるの。貴方たちはこの世界で、私以外の魔法族に会ったことはある?》

十中八九、魔法族はいない世界だという結論は出ているけれど、事情が分かる誰かにそれを聞いてみたかった。
レインはルーク、メロウと互いに顔を見合わせあって、そして首を横に振った。

《……いいえ。僕たち、魔法使いの存在は知りませんでした。おそらく、姫様だけかと……》
《そう。……なら、ハンターは?》

ハンター。それは、セイレーンを含む魔法生物たちを捉え、売り捌くことを生業とする者たち。セイレーンとしての私の天敵と言える。

《それも聞いたことがありません……ですが、人魚の血肉に不老不死の力があると信じている人間は一定数存在します。十分にお気をつけください》
《……ありがとう》
《いいえ、礼には及びません。姫様のお力になれたなら何よりです!》

嬉しそうにそう言って、3頭が揃って口先をこちらへ向けて揺らした。一瞬迷って、それから目の前のガラスへと右の手の平を当てる。

《また来てくださいね》
《……ええ、必ず》

3頭が代わる代わるガラス越しに私の手に触れる。それはさながら、忠誠を誓う口づけのようだった。



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