海月の夢見た世界

□看過したもの
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彼は、なんて頭の回転が速い子供だろう。
レシートに綿棒とかゆみ止めであっという間に暗号を作り上げ、それを大尉に託した。それがうまくいかなかったとなると、今度はケーキの入っているらしいダンボール箱に細工を始める。

低体温症というのを起こしかけているらしい光彦君。要は体温の低下が著しいということらしいが、そんな彼を自分の体とコートで包みながらコナン君を眺める。
否、私には、ただ彼を見ていることしかできなかった。

死体の男性は除外するとして、この中で唯一の大人。本来なら私がみんなを引っ張って、ここから脱出する方法を考え、主導すべきだろうに。これではコナン君と、どちらが年上だかわからない。
今の私にできることは、光彦君を始めとして子供たちを温め、その身体機能の低下を防ぐことだけだった。

「ごめんなさい。私がもっと、頼りになったら良かったんだけど……」

何もできない自分が情けなくなり、そんな言葉が自然と零れる。

「そんなことないよ。ルリア姉ちゃんのおかげで、助けが来る前に凍え死ぬことはないんだからさ」
「歩美、ルリアお姉さんと一緒だから怖くないよ」
「ここ出たら一緒にケーキ食おうぜ」
「円谷君をよろしくね」
「みんな……ありがとう。寒くなったら遠慮せず言ってね」

なんて優しい子たちだろう。知れず涙が溢れそうになるのを耐えて、コナンが細工をする様子を見守った。

限られた物しかない冷蔵庫の中、必死に活路を見いだそうとする子供たち。それを見守るだけしか出来ない……否、しようとしていない自分はなんて卑怯なんだろう。

「あ……僕……」
「光彦君! 大丈夫?」
「ルリアさん……? あ、は、はい、大丈夫です」
「そう、よかった」

光彦君も意識を取り戻し、コナン君の新たな暗号も完成したようだった。
男たちがケーキの箱を持って行く。コナン君はそのケーキの箱を、隣の工藤邸に届くよう細工したらしい。

大尉に託した暗号の届け先は探偵の安室さんだったが、工藤邸にいる人も同じように頭の働く人なのだろうか。確かあそこは蘭ちゃんの幼馴染の家で、今はおき……なんとかと言う大学院生、つまりは学生が住んでいると言っていたはず。
その心配は杞憂に終わったようで、工藤邸から集荷したという小包を男たちがトラックへ乗せた後、コナン君は勢いよくその包みを開封した。どうやら中身は彼が欲しかったものらしい。

「……スマホ?」

中に入っていたのは1台のスマホだった。これでコナン君自らが警察へ連絡を取ることが、一番的確な解決手段。
今度のメッセージがちゃんと伝わったことにホッと胸を撫で下ろす。光彦君もだいぶ元気になったから、これならもう大丈夫だろう。

「そんなことさせるかよ……あの猫のほかにこんな泥棒猫が5匹も忍び込んでいたとはな」

男たちがトラックの扉を開け、私たちが見つかったのはその時だった。

「それにどうやらその女とも知り合いのようだし、ここに閉じ込めて仲良く凍死させてやるよ」

運び込む時に目撃した私はもちろんのこと、トラックの中にいたことで子供たちにも遺体を見られたと考えるのが自然。彼らが私たちを見逃す道理はない。
そうなれば、私に取れる道は1つだけだ。

「みんな下がって、」

杖を取り出し、男たちに向けて構える。人に向けて魔法をかけることは久しぶりで、ましてやマグルにそれを向けるなんて初めてだ。
そう、私が彼らのためにしてあげられることはほかにもあった。その最たるものがこの魔法。

魔法を使えば、トラックの鍵を開けることは容易い。なんなら姿くらましを使えば、鍵がかけられたままでもトラックの外のどこか安全な場所へ移動させられた。
トラック中に、それが無理でも子供たちの服に防寒呪文をかけてあげれば、光彦君が倒れることも、みんなが寒さに震えることもなかった。
目くらまし呪文を使えば姿を消すことができるから、彼らに見つからずその横を通り抜けられた。
安室さんにもその存在がバレてしまうが、届くかわからない暗号を大尉に託すより、守護霊の呪文(パトローナス)で私の声を直接彼に届ける方が確実だった。

そんな、いくつもの実現可能なたらればを、私は保身のために見ぬフリをしたのだ。
寒さに凍える子供たちの命と天秤にかけた時、子供たちの命を取ってその体を温めたけれど、それとこれとはまた違う。服が異様に温かい理由を問われることと、一見木の棒にしか見えないものから出た光が男たちを倒せた理由を問われることでは違い過ぎる。
マグルしかいないこの世界。目の前で魔法を見せることの天秤は、否応なく保身へ傾く。

彼の顔が脳裏を過った。

「ルリアさん何するの!?」
「彼らを黙らせるのよ」

杖を片手に男2人と向き合う私を咎めるように、後ろからコナン君の声が響く。その必死な叫びにも似た声は、私では彼らに敵いっこないのだと告げている。

大丈夫。敵わない力技での勝負はしない。私はただ、彼らの胸に失神呪文を当てるだけ。何度も使ったこの呪文を、今更失敗したりするはずがないのだから。
なのに、何でだろう。杖を握る手がどんどん感覚をなくしていく。初めて魔法を使った時のように、心臓がバクバクと大きく脈打っている。

「そんな、無茶だよ!」
「いいえ、大丈夫」

声に出したら、なんだか少しだけ治った気がする。うん、大丈夫、できる。
杖をしっかりと相手の胸元へ向けて構えた。

「ステュ……」

──パッパァー!

突如響いたラッパ音。
そのために、決意して紡いだ言葉は最後まで発されることなく、男たちに呪文が届くことはなかった。もちろん、杖の先から赤い閃光が出ることも。

「た、探偵の兄ちゃん!」
「助けてー!」

聞こえたのは車のクラクションだったようで、目の前の車から降りて来た安室さんに元太君と歩美ちゃんが叫ぶ。その声に気づき、2人組の元へ安室さんがやってきてからの展開は早かった。
あっという間に2人を制圧し、ガムテープで拘束する。一緒にケーキを食べようという歩美ちゃんの誘いに笑顔で断りを入れ、彼はなぜか私の手を取った。

「彼女は僕が送っていきますね。ちょうどシフトのことで確認したいこともありましたし。さあ行きましょう、ルリアさん」
「え……あ、はい。みんなまたね」

されるがまま手を引かれながら、これからケーキを楽しむのだろう子供たちに手を振る。あの阿笠博士ならきっと、凍えた子供たちのため、ケーキと一緒に温かいココアでも淹れてくれるだろう。



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