海月の夢見た世界

□彼女の素顔
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「……それ、何ですか?」
「え? ああ、味噌ですよ。ちょっと入れるとコクが出るんです」

お昼のピークを少し過ぎたポアロ。お客さんの注文品であるグラタンを作っていたら、隣で洗い物をするルリアさんがこちらを凝視していた。
何かやらかしてしまった記憶はないし、何だろうと思っていれば、ホワイトソースに混ぜるために調理台に出していた味噌が気になっていたようで。簡単に説明してやると、より彼女の興味を引いたようだった。

「みそ?」
「ええ、味噌です。大豆をペースト状にして発酵させたもので、日本食には欠かせない調味料ですね」

イギリス人である彼女は、日本食である味噌なんて使ったこともなければ食べたこともないのかもしれない。
ホワイトソースへ使う分を取った後、味見してみますか、と彼女の指先へ少しだけ乗せてやる。しばらく見つめた後、指を舐めた彼女は顔をしかめた。

「お口に合いませんか?」
「いえ。でもこれ、味が濃くて……ホワイトソースの味が変わっちゃいませんか?」
「ええ。ですから少しだけ、隠し味として入れるんです。この程度なら味に影響はありませんし、コクが出てむしろ美味しくなりますよ」

味噌の味を知って更に興味が湧いたのか、作っている間、再び洗い物に戻った彼女の視線を感じていた。

そんなに気になるなら実際に食べてもらった方が早いだろうと、今日の賄いはグラタンにした。先程お客さんに出したものと同じように、隠し味に味噌を加えたホワイトソースで仕上げる。
お客さんがいない店内、カウンターに2人で並んでグラタンをつつく。一口食べた彼女はどこか嬉しそうな楽しそうな顔をした。
喜んで貰えたのなら何よりだ。作り手冥利につきる。

「美味しい」
「ありがとうございます」
「……料理もちょっとしたことでこんなに変わるんですね。意外と複雑」
「……料理、も? ルリアさん、何かやられてるんですか?」

僕の料理を褒めてくれた彼女の言葉。感心したようなそれの言い回しに、若干の違和感を覚えて指摘する。
彼女としては全くの無意識だったのだろう。僕の指摘にハッとして、少し考えるように視線を彷徨わせて、それから漸く答えてくれた。

「……薬の調合をするんです」
「薬?」
「はい」

聞き間違いかと思って繰り返すが、彼女は間を置かず肯定する。
彼女は組織の人間ではないと思っていたが、まさか組織で開発しているという例の薬のことだろうか。もちろんただの薬剤師という線もあるが。これは上手く誘導すれば、かなり有益な情報を得られるかもしれない。

「どんな薬ですか? あ、風邪薬とか?」
「色々あります。風邪薬も作りました」
「へえ、凄いですね。もしかして、ルリアさんの将来の目標は薬剤師とか新薬の開発者とかですか?」
「やくざいし?」
「簡単に言うと、医師の指示に基づいて薬を調合する人です。でも、その反応だと違うみたいですね」

なるほど、薬剤師は知らないらしい。なら、やはり前者だろうか。

「では、新薬の開発を?」
「……はい。こんなこと言うと笑われてしまうかもしれないけど、私の夢なんです」
「そんな、笑ったりなんてしませんよ。素敵な夢ですね」
「本当ですか? ありがとうこざいます!」
「! あ、いえ……」

……びっくりした。僕の言葉に礼を言った彼女の顔が、今までに見たことがないくらいの笑顔だったから。
反応が遅れたことを悟られまいと、再び彼女に質問を返す。

「因みに、どんな薬なんですか?」
「……不治の病を、治せる薬です」
「え? 不治の病?」
「はい。私が生まれる前からずっと、パパが研究してた薬なんです。病に苦しむ人たちを助けたいって。私、子供の頃から側で見てて。だから、パパが作ろうとしてたその薬を完成させること、それが私の夢なんです」

話を聞く限りでは、組織との繋がりは薄いようだ。
それよりも今は、夢を語る彼女の顔から目を反らせない。とても嬉しそうなその顔に、僕の顔も自然と緩む。

「やはり素敵な夢ですね。それにしても、ふふっ……」
「……安室さん?」
「いえ、失礼しました。調合、よほど好きなんだと思って。凄く楽しそうな顔してますから」
「え? あ……はい」

僕の指摘で漸く自覚したらしい。照れたように両手を頬へ持って行って、けれど否定はしなかった。

「……はい、好きです。調合って奥が深くって。材料の切り方一つ、鍋の混ぜ方一つ違うだけで失敗することもあるんです。だからこそ、完成させられると凄く嬉しいし楽しくて。中には凄く難しいものもあって、調合に1ヶ月かかったりするんです。希少な材料が必要なものだと中々作れないし。でも、えっと、なんて言ったら良いのかな……」
「はい」
「一つひとつはなんてことないものでも、互いに掛け合わせることで全く新しいものに変わったり、驚くほどの効果が出たりするの。ほかの分野と違って、薬学は非魔法族(だれ)にでもできるものだから。この分野は文字通り、無限の可能性があると思うの!」
「! ……そうですね。僕もそう思います」

最後の方は彼女も気持ちが高揚していたのか、普段は外れない僕への敬語が消えていた。それをどうこう言うつもりはない。

そんなことより僕の意識を奪ったのは、自分の好きなものを語る彼女の表情。
普段は落ち着いているのと外国人というのが相まって実年齢より少し上に見えるけれど、今の彼女は年相応か少し幼くすら見える。好きなものの話題で形作られたこの笑顔こそが、彼女の素の顔なのだろう。

「……そういえば、この間はありがとうこざいました。シフト、変わってもらったみたいで」
「もう大丈夫ですか?」
「ええ、お陰様で」

治って良かったです。そう言って、彼女はまた僕へ笑顔を見せた。

その顔を、ほかの誰でもなく僕に向けてくれたこと。その事実が嬉しい、なんて。



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