海月の夢見た世界

□日曜日のお客様
1ページ/1ページ


梓さんと2人の日。ポアロにかかってきた電話を受けた後、申し訳なさそうな顔で梓さんが言った。

「ルリアちゃん。悪いんだけど、今週の日曜日出て来れないかな?」
「日曜日?」

基本、日曜日はお休みをもらっている。家にいたところで予定はないのだけれど、強いて言うなら人工海水の素を買いに行って海水浴をする予定だった。

「うん。安室さんが風邪引いちゃったらしくて……どうかな? もちろん無理にとは言わないよ」
「大丈夫です。日曜日、来ますね」
「本当? ありがとう!」

今度、安室さんに埋め合わせしてもらっちゃいましょ。そう言って笑いながら、梓さんは仕事に戻って行った。
毎週日曜日の楽しみにしていた海水浴が出来ないのは残念だけれど、ポアロの仕事も楽しいし、これはこれで悪くない。


そうしてやってきた日曜日。普段休んでいる日ということもあってか、ちらほらと私の知らない常連さんもいるようだった。
梓さんを呼び止めたお客さんと、彼女の会話が耳に入る。

「梓ちゃん、彼女新入りさん?」
「ええ、ルリアちゃんって言うんです。と言っても、もう一月弱になりますけどね」
「へえ、そうなんだ。僕初めて見た気がするけど……あんな可愛い子、一度見たら忘れないだろうしね」
「ふふ。実は今日、特別にシフト変更で入ってもらってるんです」
「やっぱり。ところで彼女、ハーフか何か? 見た目はあれだけど、日本語めっちゃ上手いよね」
「いえ、純粋なイギリス人ですよ。日本語ペラペラなんで、私も初めて会った時はびっくりしました」

それには私もびっくりした。なぜ学んだわけでもない日本語が話せるのか、未だに理由はわかっていない。本来私が話せるのは、英語と古代ルーン語のはずだったのに。
けれどそのおかげで日本での今の生活は何とかなっているわけで、感謝しても疎むことはなかった。

いつもと少し違ったお客さんたちを迎えて見送って、そうして気づけば外も暗くなってきていた。今日の営業も後少しといったところで、店内には馴染み客が1人のみ。
そんな時間に、新たなお客さんがやってきた。

「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
「あ……」

入ってきたお客さんが、私を見て一瞬固まる。どうかしたのかと首を傾げるが、私がその答えに辿り着くより早く、彼の方が立ち直って席へ着いていた。
目が視界の端で、よくポアロに来る男性が片手を挙げたのを捉える。

「ルリアちゃん、注文良いかな?」
「はい。今行きます」

さっきのは一体何だったんだろう。
気にはなったものの、注文を取りに行くことの方に気をとられて、それは意識の中から外れていく。

「ご注文は?」
「今日のオススメはパスタだよね? それ1つと……ルリアちゃんの淹れてくれた紅茶をお願い」
「はい、パスタと紅茶ですね。ミルクかレモンは要りますか?」
「いや、今日はストレートで頼むよ。あー……砂糖はくれると嬉しい」
「ふふふ。はい、了解しました」

彼は元々ポアロの常連さんで、私の紅茶を気にいってくれた人の1人。歳は40前半と言ったところで、ポアロに慣れない頃から暖かく見守ってくれたような人。
顔は全然違うけれど、年齢だとか、その身に纏う優しそうな雰囲気だとかがパパを思い出させる人だった。もちろん、私だけでなくマスターや梓さんとも仲良しだ。

そんな彼は甘党で、紅茶には砂糖を3杯は入れないと飲めない人だったりする。それはまるで誰かのようだ。
私はさほど気にしていないのだけれど、せっかくの紅茶に砂糖を入れてしまって申し訳ないと、以前浮かない顔でそう告げられた。
砂糖を入れられることよりも、それで遠慮して飲んで貰えなくなる方が悲しい。それに、美味しく飲んで貰えるならそれが一番。
だから遠慮せずに砂糖を入れてくれと話した時のことを思い出して、つい笑みがこぼれた。

常連さんの注文を梓さんに伝えたところで、先程入店してきたお客さんに呼び止められる。

「あの、僕も注文良いですか」
「あ、はい。お待ちください。……ご注文をどうぞ」

メニューを見る彼の側に立ち、伝票に万年筆を滑らせる準備をする。時間的に、お腹にたまるものも頼むのだろうななんて考えるが、彼が一向に口を開かない。
確かに注文を頼まれたはずなのだけれど、気が変わったのだろうか。また後で聞く旨を伝えようとした時、それまでメニューに向いていた彼の顔がこちらへ向いた。

「……あの、」
「はい」
「……人工海水の素を、買いに来てくれた方ですよね?」
「え?」
「僕、駅前のホームセンターで働いてるんです。先週も先々週も来てたのに、今日は来なかったなと思ってたんですけど……お仕事だったんですね」

ホームセンターにいて、私が人工海水を買ったことを覚えている人……。レジにいた店員だろうかと一瞬考えるもすぐに、初めて人工海水用の塩を探しに行った時に場所を教えてくれた店員だと思い至った。
通りで、何となく既視感があるわけだ。

「……もしかして、先々週、売り場を教えてくれた店員さん?」
「はい。貴女はここの店員さんだったんですね」

聞けば、以前人工海水を探しに行った私のことを、外国人ということもあって覚えていたのだと言う。2週連続で同じものを買いに来た私の姿が今日は見えなかったと思っていた矢先、偶然入ったポアロで私に会い驚いたそうだ。

「あの時はありがとうございました。とても助かってます」
「大したことはしてないですけど……お役に立てたなら良かったです。あ、オススメとコーヒーお願いします」
「はい、お待ちください」

商品の場所へ案内するなんて、彼にとっては大したことのない出来事だったのかもしれない。けれど私には海というのは大きな意味があって、彼のおかげで、文字通り生き返ったような心地になれたのだから礼を言いたい。

その後は新たなお客さんも入らず、ポアロは静かにcloseになった。



次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ