海月の夢見た世界

□主治医の診断書
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先日、ルリア・ナイトレイに安室透名義のスマホを渡した。これで彼女と連絡が取れるようになったと同時に、スマホに仕込んだ発信器と盗聴器から、彼女の動向を探れるようになったわけだ。
盗聴器が仕掛けられていると、電波が遮られ通話が聞こえづらくなることを彼女の前で話している手前、盗聴器には最新の注意を払う。周りの全ての音を拾うのではなく、通話時の彼女と相手の声のみを拾うものにすることで、その副作用とも言える現象をクリアした。

そんなルリアさんが、予め登録してあった安室以外に連絡先を交換したのは、安室として師事する毛利小五郎の娘、蘭さんだったようだ。電話帳を見ていないから何とも言えないが、梓さんやマスター辺りも既に登録されているかもしれない。
スマホを渡した次の日の夜、蘭さんから電話がかかってきたことで、僕はその事実を知った。

「……人工海水?」

ルリアさんと蘭さんの通話の内容は、俺が想像だにしなかった人工海水について。それが水族館で使われていることと、市販のものの入手方法についてだった。
普通に考えれば、ルリアさんが自宅で熱帯魚でも飼っているか、飼おうとしているかといったところだろう。彼女を初めて見たのも海であったし、海の生き物が好きなのだとしたら自然の流れでもある。あのもやもイルカ……海洋生物の姿をしていた。


ポアロが休みである今日。シフト終わりに登庁し、以前、彼女の調査を頼んだ風見と共にパソコンを眺める。
そこに映された発信器の記録は、件の電話で話題に出ていたホームセンターを示していた。十中八九、人工海水の素を買いに行ったのだろう。
どこへも寄らず自宅へ戻った彼女が、その日外へ出た様子はなかった。少なくとも、スマホを持っては。

「これは……彼女のスマホに、発信器を仕掛けたのですか?」
「ああ。それと盗聴器も。これで彼女が真っ白だったら、僕はただのストーカーだろうな」

なんて自嘲気味に言ったのは一瞬で、すぐに思考を切り替える。
これは、この国を守るために必要な行為。褒められたものではないかもしれないが、彼女のプライベートは正義のために必要な犠牲だった。

「こちらが彼女の調書です。イギリスからの資料と事情聴取の記録、所持品一覧、医師の診断結果……。それと、先日消えた戸籍の再登録が完了しましたので、新しい戸籍情報です」
「流石に早いな。彼女の元へは伝わってるのか?」
「明日、刑事部が本人へ通達に向かうそうです」

時と場合にもよるが、戸籍の登録には数週間ほどかかるとみて良い。元々彼女の戸籍があったことを差し引いても、それを1週間足らずで終わらせたのは刑事部の努力あってのものだろう。
明日はまたポアロの出勤日。前回と同じように、ポアロに高木刑事が来店するとみて間違いない。

戸籍のことはとりあえず良いとして、彼女の記憶喪失に関する部分を考える。
まずは、彼女を診たという杯戸中央病院の医師による診断書を見ていく。

会話は概ね問題ないが、時々通じない単語がある模様。読み書きは英語のみ、日本語不可、ひらがなカタカナも不可。
簡単な計算はできるが、四則演算程度。日常生活では問題ないと思われる。またイギリス以外の地理、歴史、その他世界単位の知識も少なく、概ね小学校中学年程度。
電化製品に関する知識の欠落が顕著。

自身と両親に関する記憶に事実との相違あり。両親は幼少期に死亡、入出国履歴を提示するもイギリス国外への渡航経験なしと回答。


やはり、記憶喪失は部分的らしい。観察していて感じていた通り、彼女は電化製品に弱い。だがそれより驚いたのは、彼女の知識が小学生以下だということだった。
確かに日常生活をする上では専門的な知識は必要ないだろうが、それにしてもまるで小学校へ通っていなかったような。親から必要なことのみを教えられたような。
もしくは危惧している通り、外界と遮断され、本来得られるはずの知識を得られなかったのか。

また医師により、彼女の入院中の様子について記された部分に気になる記述があった。

入院中、初めて彼女から呼ばれた際に「ヒーラー」と言われた。「医師、治療する人」を意味する「healer」のことと思われる。すぐに言い直し、また2回目以降は「ドクター」と呼ばれたため詳細は不明だが、「医師」を意味する単語として「ヒーラー」を普段から使っていた模様。

英語圏では医師は基本ドクターだ。意味的にはヒーラーであっても間違いではないから構わないかもしれないが、日常会話でどれほどの人がヒーラーを使っているだろうか。
おそらく、ほとんどの人がドクターだろう。

学力面と合わせ、彼女がどこかに隔離されて成長したと仮定した場合、「ドクターではなくヒーラーを日常的に使う」というのはその場所を特定する手がかりになるかもしれない。
あくまでも仮定の話だが。

「この程度の学力で、喫茶店の仕事はできているのですか?」
「ああ。今のところ問題ない。もっとも、僕やほかの店員がフォローすることも多いがな。日本語に関しては、例の毛利探偵事務所の小学生とその友人が教えに来ている」
「子供に教わっているのですか? 自分より一回りは下でしょうに……」
「まあな。だが感謝こそすれ、プライドを傷つけられたような素振りは一切見せない。元来、学習意欲は強いんだろう」

不定期に開催される子供たちの日本語講座はひらがな50音が終わり、今週に入ってカタカナが始まっている。彼女は意欲的だが、子供たちの方は1人を除いてそろそろ飽きてきた様子だった。
この分では、漢字へと移行する頃にはコナン君しか残っていないだろう。

「彼女の記憶喪失が演技という線はどうなりそうですか?」
「それについては正直、現段階ではまだ何とも言えない。見ている限りでは素直そうな人間だから、あれがもし全て演技なら相当な腕だな」
「……自分もさりげなく接触しましょうか?」
「……いや、まだ良い。時期が来たら頼む」
「了解しました」

ルリア・ナイトレイの調書に目を通してみたが、とりあえずはまだ経過観察が必要そうだった。

彼女のことも調べたいが、僕にはシェリーのことを探るという組織からの任務もある。急かして来ている向こうへ、そろそろ情報を掴んで伝えなければならないだろう。
彼女のことは一旦保留とするしかないか。

「君は引き続き、空いた時にルリア・ナイトレイのことを探ってくれ」
「はい。降谷さんは?」
「僕はしばらく組織の方で動く」
「わかりました」

ルリアさんのことも気になるが、今はシェリーの方に集中しよう。



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