海月の夢見た世界

□届かぬ指先
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彼女が言っていた5分を過ぎても樫塚さんが戻ってくることはなく、私たちは盗聴器探しを開始した。

蘭ちゃんが携帯から音楽を鳴らし、安室さんが黒い機械を部屋のあちこちへ向けて調べていく。コンセントへ機械を向けると、それまで鳴っていなかったピーッという音がした。これが、盗聴器発見の合図らしい。
余談だが、携帯とは音楽を聴くこともできる代物らしい。

蘭ちゃんが持つビニール袋の中には、既に発見されたいくつものコンセント型盗聴器。それでもまだあるようで、安室さんが廊下のコンセントへ機械を差し向けた。

「これもそうですね」
「……こんなにたくさんあるのに、樫塚さんは全く気付かないんですね」
「元々あったものに仕掛けられた場合、そういうこともありますよ」
「へえ……」

もしも自分の家に盗聴器を仕掛けられたとして、私は気づくだろうか。そんなことを自問してみる。
怪しいものがあったら気づかないはずがない。そう思うと同時に、これだけあって、かつ兄弟2人で住んでいるのに樫塚さんが気付いていないという事実が、その答えのようにも思えた。

「うわっ、何だこの部屋。かなり臭うぞ!」
「ほんと、何なの?」

毛利さんと蘭ちゃんが、突き当りの部屋のドアを開けるなり鼻を押さえた。確かに、ドアが開いたことで廊下まで届いた臭いは酷いもの。私も思わず、ウッと息が詰まって鼻を手で覆った。
この部屋には、正直入りたくないな。そう思ったものの、無情にも、安室さんの手元の機械はその部屋の中にも盗聴器があることを告げた。
入室は不可避らしい。臭いに顔を顰めつつ、毛利さんと蘭ちゃんに続いて私と安室さんも部屋の中へ入った。

「盗聴器はベッドの下のようです」

安室さんがベッドの下へ機械を差し入れ、そこに盗聴器があることを確認する。毛利さんも覗き込んだそこには、大きなスーツケースが納められていた。
毛利さんがスーツケースを引き出す。臭いが一層強くなり、意図せず顔が歪む。
毛利さんによってロックが外され、その中身が露わになった。

「ひっ……!」

中身を確認した途端、声にもならない声が己の口から飛び出した。
そこに入っていたのは、否、押し込められていたのは一人の男性。その、遺体。見えてしまったその遺体の頭部からは出血があり、撲殺されたのだということが嫌でもわかった。

殺されてから時間が経ち、既に乾いて黒く変色しているはずの血。実際は黒であろうそれが、私の目には赤く映る。身体が小刻みに震えだす。
血を流した遺体が、そこにある。その事実が、今の状況とは似ても似つかないあの日の記憶を思い出させた。

遺体について何やら考察しているらしい三人の声が遠くに聞こえる。
急激に色をなくしていく世界の中、そこだけが嫌に鮮やかに色づいて、意識をそらすことを許してくれない。見たくないのに目をそらせないまま、少しずつ足が後ろへ動く。
背中が堅いものに当たって、その衝撃でその場に崩れるように座り込んだ。

「……さん? ルリアさん!」
「っ! ……あむろ、さん……?」
「はい、僕です。大丈夫ですか?」

聞こえた大きな声にハッとして顔を上げれば、私に合わせてしゃがみこんだ安室さんが、覗き込むようにこちらを見ていた。
その身体は私の正面にある。安室さんに遮られ、その向こうにあるはずの遺体が見えなかった。
探偵事務所のあの時と同じ。きっと、彼がそう動いてくれたのだ。

「大丈夫。落ち着いて下さい。……少し、失礼しますね」

未だ呼吸が乱れ、言葉を返せない私を落ち着かせるよう、至極優しくかけられる声。一言断りを入れた安室さんが、言葉と同様、優しく私を抱き寄せた。
背中に回された意外にも大きな手のひらから温かさが伝わって、鼓動が少しずつ落ち着いていく。

「……少し、落ち着きました?」
「……はい」
「僕たちはもう少しこの部屋を調べますが……貴女はリビングの方で待っていてください。さあ、行きましょう。毛利先生、すみません。少し外します」
「ああ」

毛利さんの方へ声をかけた安室さんが、私をゆっくり立ち上がらせる。背中に回された腕はそのままに、促されるように私は部屋を出た。

リビングまで戻って来た安室さんと私。しかし彼は、そこで待つように私に言って元の部屋へと戻っていった。
先程言っていたように、彼には、まだあの部屋で調べなければならないことがあるのだろう。探偵として、毛利さんの弟子として。
それは、わかっているのだけれど……。

「あ……」

思わず伸ばした手は、扉の向こうへ消えた背中に届くことはなかった。その手を思わず見つめてしまう。

私は今、彼に、何を求めたのだろう。共にここに残り、自身の側にあってほしいとでも願ったのか。
安室さんの立場を、理解しているはずなのに。それに何より、何も話せない己の立場で許されることではないだろうに。

遺体を見るなんていう機会、確かにそうそうあることじゃない。けれどそれにしたって、先程までの自分の態度が異常であったことに自覚はある。そしてそのことに、探偵である安室さんが気づいていないはずなどない。

遺体を見たことで思い出した記憶はなりを潜め、今の私に強く残るのは安室さんのぬくもりだった。背中に、肩に、腕に……彼に触れられた部分が、まだ温かさを保っている気がする。

「安室さん……」

自分の口が紡いだ彼の名前が、たったそれだけのことなのに特別なもののように思える。
それは、生まれて初めての感覚で。けれど、その感覚を表す言葉を知らないほど幼くはなかった。それでも、そうだと決めるのには躊躇いがある。
これはそう、不安定な状態だからこそ生まれた、一瞬の気の迷いのようなもの。万が一、これが一過性のものでなかったとしても……私と彼の関係がその先へと進むことは叶わない。

忘れなければ。結局最後に傷つくのは、ほかならぬ自分自身なのだから。



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