海月の夢見た世界

□初めての事件
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携帯を買いに行こうと、安室さんと約束した日。昼過ぎまでのシフトだと言っていた彼との待ち合わせの為、お昼を食べてからポアロへ向かった。

ポアロの前には1人の男性が佇んでいた。ポアロのお客さんかと思ったが、よく見れば2階の毛利探偵事務所を見上げている。ここだな、と一言漏らして階段を上って行った彼は、毛利さんのお客さんらしかった。

ポアロの中には梓さんがいるだけで、待ち合わせたはずの安室さんの姿が見えない。

「いらっしゃいませ。あ、ルリアちゃん。安室さんなら、今、毛利さんのところだけど……」
「……え?」
「これから毛利さんが依頼人と会うらしくて、それについて行くんだって。簡単な探し物の依頼だから、そんなにかからないだろうって言ってたけど……どうする?」

安室さんは毛利さんに師事しているようだし、これが探偵の性、というやつなのだろうか。
もっとも、安室さんのシフト終わりにと話しただけで、具体的な時間を決めていたわけではないから、少しくらい待つことは構わないけれど。

「戻ってくるの待ってます」
「了解。じゃあこれ、安室さんからね」

安室さんから、と梓さんが持ってきてくれた紅茶とケーキを片手に、降りてきたらすぐわかるよう窓際の席で彼を待つ。けれど、30分を過ぎても誰も降りて来なかった。

食べ終えた皿をセルフでカウンターの向こうに片付けて、テーブルの上に、コナン君たちに貰ったひらがなの50音表を広げる。
手帳に書いて練習していたが、それも、待ち時間が1時間を過ぎる頃には手持ち無沙汰になってしまった。

「梓さん。私も手伝います」
「え、今日のルリアちゃんはお客様なのに……」
「安室さん、なかなか来そうにないし……ただ待ってるだけなのもあれなので」
「……じゃあ、安室さんが来るまでお願いしていい?」
「はい。エプロン着けてきますね」

結局、梓さんの手伝いをしながら待つこと1時間。トータルでは2時間近く待ってようやく、通りの向こうから安室さんがやってきた。毛利さんに蘭ちゃん、コナン君の姿も見える。
随分遅いなと思ってはいたが、どうやら依頼人と会う場所は事務所ではなかったらしい。
先程2階へ上がっていった男性が毛利さんの依頼人だと思ったのだけれど……彼ではなかったのか。あれから彼を見かけていないが、私が気づかなかっただけで、既に帰ったのかもしれない。

「安室さん、帰ってきたみたい。私行きますね」
「はーい。手伝ってくれてありがとう。楽しんで来てね?」
「? ……はい」

エプロンを奥のロッカーへ戻して梓さんに声をかけると、なぜか笑顔で見送られた。それに首を傾げつつ、4人がいるだろう探偵事務所へ向かう。

事務所のドアの前へ来ると、中から話し声が聞こえた。安室さんの声もする。
中へ入ろうとノブに手をかけると、それは力を込める前にひとりでに回った。そのまま奥へとドアが開かれ、私の体も引っ張られる。

「きゃっ」
「! おっと……すみません、大丈夫ですか?」

ドアにぶつかるか床に倒れるかと思った体は、誰かに抱きとめられて無事だった。
すぐに上から降ってきた声に、あれ、と動きが止まる。その声には聞き覚えがある。
私を支えてくれている人を確認すれば、予想通り、待っていた人の顔がそこにはあった。

「……安室さん」
「ルリアさん! 大丈夫ですか? どこか怪我とかは?」
「平気です。それより安室さん、毛利さんの用事は終わりましたか?」
「いえ。実は、これから依頼人の方と会うんです。すみません……だいぶ待たせてしまっていますよね」

これだけ時間がかかっていて、まだ依頼人と会えてもいないのか。
簡単な依頼だと言っていたにも関わらず、一向に安室さんが姿を見せなかった理由はそこにあったらしい。

「そうだ、ルリアさんも一緒に来てください」
「え?」
「僕たち、これからレストランコロンボへ行くところなんですよ。さ、毛利先生、行きましょう」

よくわからないうちに、安室さんによって今くぐったばかりのドアを再びくぐる。今度は、安室さんや、なぜかコナン君にまで背中を押された毛利さんと蘭ちゃんも一緒に。
全員が外に出てドアが閉まったところで、安室さんの雰囲気が変わった。

「皆さんお静かに」

口元に人差し指を立て、笑みを浮かべながら説明する安室さん。
こじ開けられた後の残るドア。慌てて拭かれたような、少し濡れたティーカップ。事務所を出る前に落とした灰が、綺麗に拭き取られたテーブル。
それらの全てが、誰かが毛利さんの代わりに、今日会う予定の依頼人と会った証拠だと言う。そしてその誰かは、まだ事務所の中にいるとも。

「そう、おそらくその誰かは、何らかの理由で依頼人を連れ込み、まだ隠れているんですよ。あのトイレの中にね」

──パンッ!

安室さんが言い終わるか否かというところで、トイレの方から大きな音が聞こえた。それはそう、銃声、のような。
弾かれるようにコナン君が。続いて、毛利さんと安室さんが。音の正体を突き止め状況を確認するため、それぞれトイレへと駆け出していく。その場から動くことはなかったが、蘭ちゃんもトイレの様子を伺う。
そんな彼らの隣で、私は、トイレの方を見ることさえできなかった。


しばらくしてパトカーが到着した。高木さんや、その上司で警部だという目暮さんたちがやってきて、トイレや探偵事務所の中を調べ始めた。
事務所のトイレの方から聞こえた音はやはり銃声で、男性が1人、亡くなっていたらしい。そして、手と口を拘束された女性が発見されたそうだ。

「……失礼します」
「えっ、あの、安室さん……?」

意識していても、同じ空間にいる限り警察の方の作業が目につく。それを眺めていると、かけられた声と同時に視界が何かに覆われた。
声と、その黒っぽい青の色彩で、視界いっぱいに広がるのが安室さんの服だと気づく。慌ててその体を押し返そうとするも、前から抱きしめられるように、私の背中と後頭部には彼の腕が回っていた。
その状態のまま、彼が続ける。

「突然すみません。……ですが、せめて遺体を運び出すまで、このままで」

安室さんの言葉に、フッと自分の腕から力が抜けるのがわかった。抵抗をやめ、されるがまま、彼の腕の中に収まる。
遺体……それを、私に見せまいとしてくれていたのか。
少しすると、安室さんの方から私の拘束を解いてくれた。広がった視界のどこにも、トイレにいただろう男性の姿は映らない。

「大丈夫……ではないですよね」
「…………」
「銃声が聞こえてから、貴女の顔色は優れないまま……すみません、僕が約束なんてしたばっかりに。すぐに解決しますから、少しだけ待っていてください」
「……はい」

安室さんの隣に立ったまま。私は、その捜査の様子を見守ることしかできない。
直接見てはいないけれど、目の前とも言える場所で人が死んだという状況が、いつかの記憶を思い出させた。
早く解決されるように。今願うのはそれだけだ。



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