海月の夢見た世界

□消えた存在証明
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カランカランとドアベルが鳴り、新たなお客様の来訪を告げる。

「いらっしゃいませ。あ……高木さん」

ようやく意識せずとも出るようになった言葉。「お一人ですか?」と続けようとして、けれどその言葉が出ることはなかった。
入ってきたのが見知った人間だったからではない。その顔が、憔悴しきっていたからだ。

店の前の道に、高木さんが乗ってきただろう車が止められている。なのに彼の息は乱れていて、何やら急いできたらしかった。
彼は私の顔を見て、何か言いたそうに顔を歪めて、けれども言葉を飲み込んだ。それから一度深く息を吸って、そうしてようやく、まっすぐに私のことを見た。

「……ルリアさん、」
「はい」
「すみません! 大切なものをお預かりしておきながら、こんなことになってしまって……必ず探し出すので、少しだけ待っていてください!」
「……えっと、何の話ですか?」

私の顔を見るなり、開口一番、頭を下げて謝罪を口にした高木さん。けれど、彼に謝られるようなことをされた覚えもなければ、彼に何かを預けた覚えもない。
その言葉から、私が高木さんに何かを預け、それを彼がなくしたらしいことはわかったけれども。

「……あの、とりあえず頭上げてください」

店内には、数人だがお客さんがいる。そんな中、店の入り口で、明らかに年上だろうスーツ姿の男性に頭を下げられている店員というシチュエーションはいかがなものかと思う。
相当焦っていたのか、顔を上げた高木さんは、店内を見渡して苦笑を浮かべた。

「重ね重ねすみません……」
「いえ。それで、お話って?」
「えーと、僕が言うのも今更なんですけど……できれば、ほかの方に聞かれない方が良いのですが……」

言葉を濁す高木さんの目はとても真剣で。自分の失敗を多くの人に聞かれたくないと言うわけではなく、話の内容的に他人に聞かれない方が良いのではないかという配慮からのものだとわかった。
それなら、奥の休憩室が良いだろうか。小さい部屋だが、誰かに聞かれることはない。

休憩を入れるなら一声かけようと、カウンターの向こうで仕事をしながら聞いていただろう安室さんを振り返る。すると、スッと2人分のグラスが乗ったトレーが差し出された。

「そういうことなら、奥の休憩室を使ってください。ルリアさんも、ついでに休憩を入れたらどうですか? 今は比較的落ち着いてますから、こっちは僕だけでも大丈夫ですよ」
「安室さん……ありがとうこざいます。お言葉に甘えて休憩もらいます。何かあれば呼んでください」
「はい。さあ、どうぞ」

高木さんの様子を見るに、それが最善だろう。
途中で忙しくなったら呼んでもらおう。そう安室さんに断ってトレーを受け取り、高木さんを連れて奥へ下がる。
休憩室の折りたたみテーブルにグラスを置いて、高木さんと向き合った。

「先程はすみません。とにかく、早く伝えなければと思ってしまって……」
「いえ。それで、何の話だったんですか?」
「はい。実は……貴女が記憶喪失ということで、勝手ながら、ご両親のご遺体は警察の方で火葬させていただきました。また、辛うじて焼け残っていたご両親の所持品も、我々の方でお預かりしていました」

一緒に車に乗っていたらしい両親が、あの日の事故で亡くなっていたことは聞いていた。けれど、私にとっての両親の死はもうずっと前のことで、その事故で亡くなった2人が自分の親だとは思えなかった。
親不孝なのかもしれないけれど、それが正直な私の感覚で、彼らのことを今言われるまで忘れていた事実は否定できなかった。

「ルリアさんの生活の方も大分落ち着いたようですし、そろそろお返ししようと保管庫へ行ったんですが……ご両親の遺骨を収めた骨壷が、なくなっていたんです」
「え……」
「急いで遺留品の方も確認したところ、物自体はあったんですが……中身がこの状態で」
「これって……」

高木さんが両親の遺留品だと渡してきたのは、パスポートらしき手帳が2冊と、カードが1枚。
どちらも損傷が激しいが、辛うじて名前や住所、生年月日などの項目名を読むことができる。そこに載っていただろう内容ではなく、項目名のみが。
高木さんが、1枚の写真を差し出しながら続ける。

「これらは、ご両親のパスポートと、お父様の免許証です。研究資料のほかに唯一焼け残っていたものですが、この写真にある通り、事件直後は名前も住所も印字されていましたし、写真もありました」
「でも、今のこれは……」
「そうなんです。なぜか、項目だけを残して、ご両親の個人情報や写真が消えていたんです。それも、削り取ったというより、元から書いていなかったような消え方で……」

もう一度パスポートを見てみると、削り取った跡や細工をしたような跡は見られない。確かに、元々何も書いてなかったと言われた方が納得できる。
パスポートの発行がなかったことにされたのか。それとも、「私の両親」という存在そのものが、「この世界」からなかったことにされたのか。
同時に生まれた2つの可能性は、続く高木さんの話ですぐに1つになった。

「紛失させてしまった遺骨については引き続き捜索します。ただ印字が消えた遺留品については何とも。焼け方からみて、これがご両親のものであることはまず間違いないのですが」
「……はい」
「それで、実はここからが、一番お伝えしなければならないことなんです」
「まだ……何か?」
「はい……。パスポートの印字が消えた件で、イギリスの方へ再び問い合わせをしたのですが、ご両親と、そして貴女についても、その……一致する人間が、見つからないとのことで……」
「え……」

それはつまり、私や、私の両親という存在が、この世界にはいないという意味か。

「以前確認した時は、確かに該当者がいたんです。それは我々も、先方も認めています。加えて我々の手元には、調書という形でそのデータが残っています。パスポートや免許証に関しては、写真も残っています」
「……それでも、イギリスに、私たちのデータがない?」
「……はい」

高木さんは到底考えつきもしない事態に頭を抱えているようだったが、私の中では何かがストンと嵌るような感覚だった。
私という異物を、この世界に溶け込ませる。それが、両親とされる2人や今回の一件に関わった人たちの役割だったのだ。私がこの場所を理解し、この場所で生活できるようになった今、それらの役目は終わった。役目を終えたから、元々存在しなかったそれらが姿を消した。
つまりは、そういうことなんだろう。きっとこの先、高木さんがどれほどの探しても、消えたものは戻って来ない。

「……なくなったものについては大丈夫です。きっと、なるべくしてそうなったんですから」
「ですが……!」
「本当に大丈夫です。教えてくれて、ありがとうこざいました」

高木さんからしたら消化不良な状態なんだろうけれど、私はどちらかと言えばスッキリしている。
これで、ここが別の世界であることが、証拠を伴って証明された。元々確信してはいても、確証は得られなかったから。



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