海月の夢見た世界

□兼備の技術
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「ルリアさん、連絡先交換してもらえませんか?」

お客さんのいない時間帯。カウンターに並んで座り、少しばかり休憩を入れていた時のこと。
手のひらより少し大きな板のようなものを片手に、安室さんは私にそう言った。

「……連絡先?」
「はい、デートのお誘いをしようと思って」

……これは、教えるべきか否か。にっこり笑顔の安室さんに、私は考えを巡らせた。

安室さんから、自分の恋人になってほしいと告白を受けたのは記憶に新しい。つい4日前の話だ。
一昨日はシフトがズレていて、昨日は私が休み。何だかんだで、安室さんと会うのはあの日以来だった。

告白をされた相手に対して、断った側がどう接したらいいのか。そんなことが一瞬脳裏をよぎりもしたが、結局分からないまま出勤。蓋を開けてみれば、安室さんは何事もなかったかのように仕事をしていたし、その話題に触れることもなかった。

こちらの世界に来るまでは、子供の頃から常に、家に人避けや目くらましの呪文をかけていた。魔法使いもマグルも、できるだけ近づかないように気を張っていた。
けれど、今はその必要はない。なら、教えたところで特に問題もないだろう。

「……ダメですか?」
「いいえ。……今書きます」

なかなか答えない私に寂しそうな顔を見せたのは一瞬で、ペンに手を伸ばせば、一転、嬉しそうな顔になる。彼の視線は私の手元に注がれていた。
手近にあったメモに万年筆を滑らせる。但し、英語で。私の日本語の読み書き力は、ひらがなの50音がなんとかなってきたというところで、まだまだ日常的に使うには難しかった。

「はい」
「ありがとうございます。……って、えーと……これはジョークですか?」
「……ジョーク?」
「え? 連絡先、教えてくれるんですよね?」
「? 今教えたじゃないですか」

安室さんは私と、私が渡した手元のメモを交互に見て苦笑を浮かべる。その表情が意味するのは戸惑い、だろうか。
けれど、それに首を傾げたいのは私の方だ。ちゃんと教えたというのに、彼は何が不満なのだろう。

「……これ、ですか?」

安室さんが私へメモを掲げてみせる。それに「はい」と肯定して続けた。

「……米花町4丁目29番地、レジデンスシャイン305号室。日本語はほとんど書けないから、英語ですけど……」
「いえ、別に英語が読めないわけではないんですが……これ、住所ですよね?」
「……? 安室さん、手紙を書いてくれるんでしょう?」

今度こそ、安室さんが呆気にとられたように固まった。お客さんに見せる笑顔とは違う、ぽかんとした顔をしている。

手紙を出したいから住所を教えろ。
そう、安室さんに言われた通りにしたと思ったが、彼の言いたかったこととは少し違っていたらしい。
では、彼が知りたかったのは何だろうか。考えを巡らせるが、「連絡先」では私にはこれ以上わからない。

「……ごめんなさい。安室さんが知りたかったことと、違ったみたいですね」

彼が手にしているもの。おそらく、それはマグルの中では当たり前のものなのだろう。
そういえば、同じようなものをお客さんが持っていることがある。それを見ながら触っていることが多いけれど、時々耳にあてて話している人もいた。
あれを手に「連絡先」と言えば、マグルならば、これ以外にないという答えが出てくるのだろう。

「待ってください」

仕方なく仕事の続きに戻ろうとした時、パシリと手首を掴まれた。私が何かを言うより先に、安室さんが口を開く。

「謝るのは僕の方です。蘭さんやコナン君から、日常生活に関する記憶にも欠陥が見られると……貴女の事情は聞いていたはずなのに、配慮に欠けていました」
「そんなこと、」
「いいえ、はっきり言わなかった僕に非があります。……では、改めて。携帯の番号とメールアドレスを教えてください」
「……けーたい?」

そんなこと、ない。記憶があろうとなかろうと、私にはわからないのだから。
そう伝えようとした私の言葉を遮って、安室さんは言い直す。それに今度は、私が首を傾げる番だった。
再び安室さんが板のようなものを掲げたが、これが「けーたい」だろうか。

「……これです、携帯電話。わかりませんか?」
「けーたい、電話? あれ、でも電話って……あれとか、あんな感じのものじゃないんですか?」

店内にある電話と、続いてポアロの窓から見える電話ボックスを指す。私は使ったことはないけれど、魔法省のお客様用入り口はマグルの電話ボックスだ。

「ああ、公衆電話ですね。ポアロのこれも、もちろんあれも電話ですが、それらと違って、携帯電話は小さく軽量で持ち運びができるんです。ほかにも、手紙が送れたり、時計や計算機、辞書なんかの代わりになったりもするんですよ」
「へえ……」

電話がマグルの発明した通信手段だとは知っているけれど、こんな板のような形のものがあるなんて知らなかった。
こんな小さな機械が、パトローナスとふくろう便、両方の役割を果たすのか。そして、それ以外にも色々。
魔法はとても便利だけど、魔法がなくてもこんな便利なものを作れるなんて、やっぱりマグルの科学技術はすごい。

「……今度、一緒に携帯を買いに行きませんか?」
「え?」
「携帯、持っていないんでしょう? 貴女の反応を見ていればわかります。一人暮らしだと聞きましたし……何かあった時、すぐに連絡できますよ」

携帯。確かに、あれば便利なんだろうけど……私に使いこなせるかと言われればnoだ。

「……でも、私、使い方わからないから……」
「大丈夫、最初は誰しもそうですよ。あ、もちろん僕が教えますから、安心してください。明後日休みですよね。僕も昼過ぎまでですから、午後、ポアロで待ち合わせましょう」

結局この後、私は安室さんの提案に頷いた。この先、マグルの中で生きていく為には、いずれ避けては通れない道だろうから。
純粋に、私たちが持ち得ない、マグルの技術に興味があったことも否定できないけれど。



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