海月の夢見た世界

□好意の裏側
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昼下がりの喫茶店。カウンターの向こうへ回り、買い物をしまい終えた彼女を呼ぶ。
笑顔と共に差し出した自分の右手に、彼女が右手で答えてくれる。それを両手で包み、その目をまっすぐに見つめた。

「……ルリアさん、僕と、付き合ってくれませんか?」
「……どこに?」

照れや驚き、さもなければ戸惑いか。そんな反応が返ってくると予想していた自分の言葉はしかし、意図した通りには彼女に伝わらなかったらしい。彼女の表情から読み取れるのは純粋な疑問だった。
一瞬呆気にとられそうになるも、それを表情に出すことなく、意図して少し照れを含んだ苦笑を浮かべて続ける。

「ああ、いえ、そういう意味ではなく……僕の恋人になってくれませんか?」

直接的な言い方に直したことで、今度こそ伝わったようだ。
純粋な疑問に、戸惑いが混ざる。僕の言葉を正しく理解した彼女の顔には、なぜ僕がそんなことを言うのかわからないと書いてある。

「……なんで、」
「理由ですか? 一目惚れ、では納得できません?」

これは本当だ。彼女を初めて見た時、僕は彼女から目を離すことができなかった。

「ひとめぼれ……」
「はい。 実は昨日、海岸で海を眺める女性を見かけまして」
「……っ!」

彼女の目が衝撃に見開かれる。
そこまで驚かせるようなことを言ったつもりはないが、少なくとも、これで彼女の興味は引けたようだ。
そして、昨日の女性が彼女、ルリア・ナイトレイであることの確証を得た。

昨日、結婚パーティーにスタッフとして参加する前、通りがかった海岸で1人の女性を見かけた。海水浴からは外れた時期に、砂浜ではなく岩場で、見たこともない真っ白な子イルカと戯れる女性を。
彼女の長く柔らかそうなクリーム色の髪は海風に揺れ、その間から赤いサンゴの髪飾りが覗く。サンゴ礁の広がる海を彷彿とさせる淡い緑の目が、どこか遠くを見つめていた。

「水平線を見つめる海色の目がとても綺麗な女性で、忘れられなかったんです。その貴女とバイト先が同じだなんて……きっと何かの縁ですね」
「……昨日、あそこに……?」
「はい。貴女にとっては、僕とは初対面で、いきなりこんなことをと思うかもしれません。けれど……僕は、この機会を逃す気はありません。ルリアさん、」

気持ちが伝わるよう、そこで一度言葉を切って、彼女の目をもう一度まっすぐに見つめ直す。
確かに、姿を見たのも二度目だけれど。直接言葉を交わしたこともなかったけれど。それでも、僕のこの想いが本物なのだと伝わるように。

「貴女が好きです。僕の、恋人になってください」
「……ごめんなさい」

しかし、彼女からの答えはnoだった。
目を伏せ、僕の告白を断った彼女の目には、自嘲にも似たものが浮かんでいた。まさか、僕の言葉に気持ちが伴っていないことを見抜いたとでも言うのか。

ああそうだ、彼女への本当の思いは、懐疑と警戒、それから興味。初めて見た時から気になっていたのは事実だが、そこに恋愛感情はない。
けれど、そのことに彼女が気づくとは、正直思っていなかった。彼女のことを深く知っているわけじゃないが、どちらかと言えば、彼女はそういったことを見分けるのが苦手に見える。苦手というよりは、得意ではないというべきか。
ポアロに入ってきてからの彼女の様子を見るに、彼女はまず間違いなく一般人だろう。少なくとも、組織のような裏社会に通ずる者ではない。ましてや僕のように、自らを偽ってどこぞへ潜入するような人間でもない。

「僕のこと、嫌いですか?」
「……いいえ」
「では誰か、想いを寄せる方でも? あ、お付き合いしている方がいるんですか?」
「……いいえ。誰かと、そういう関係になるつもりはないんです」
「……そう、ですか……」

断られた理由をだろうものを挙げてみるが、彼女はそのどれにも首を振る。極め付けは、恋人を作るつもりがないという、周りにはどうすることもできないもの。
ここはひとまず、引いておくべきか。

「……わかりました。では待ちます。いつか貴女が、僕の気持ちを受け入れてくれる日まで」

昨日、彼女を見た時のことについて知りたいことがあった。だから恋人になれば探りやすいかと思ったのだが、思いの外、彼女のガードは固いらしい。
これは気長にやるしかないかと気持ちを切り替えたところで、後ろから蘭さんが声をかけてくれる。

「……安室さん。実は、ルリアさん記憶喪失なんです」
「え? 記憶喪失、ですか?」

それは、思いもよらない言葉だった。思わず蘭さんのそれを復唱する。
続けて横から、日常生活に必要な知識にも時々欠陥が見られるとコナン君が教えてくれる。

「うん。ルリア姉ちゃん、2週間くらい前の事故で、それより前の記憶がはっきりしてないみたいなんだ」

確かに、そんな状況では恋愛云々をしている余裕はないかもしれない。
もっとも、彼女が僕を拒む理由が、それだけとは思えなかったが。

「そうだったんですか……では僕に、貴女の記憶を取り戻すためのお手伝いをさせてください。些細なことでも、貴女の力になりたいんです」
「……ありがとうこざいます」

笑顔と共にそう告げれば、今度は断る理由はないのか、その提案は受け入れられたようだった。何か含むところがありそうな表情だったが、彼女へ関わりに行く許可は取り付けたとみて良いだろう。
彼女との関係が予定よりだいぶマイナスからのスタートになりはしたが、まあ良いだろう。ここから少しずつ信頼を得て、彼女が隠していることを探っていけばいい。

昨日、僕は確かに見た。
あの白い子イルカが、棒のようなものを持った彼女の手元辺りから、突然現れたところを。それは一見白いもやのようで、その後、イルカへと形を変えていった。
そして見た。ひとりでに宙を舞い、再び彼女と戯れていたところを。彼女が、イルカが飛び立つ前に何やら話しかけていたところを。

人間の言葉を解し、もやから生まれた空飛ぶイルカ。
なんてお伽話だ。正直馬鹿げていると思う。常識で考えればあり得ない。けれどそれを、ほかでもない自分自身が見てしまっている。

手元からいきなり現れたのは、例えば、風船状かなんかのものを膨らませたから。宙を泳ぐように飛んでいたのは、例えば、ワイヤーか何かで吊るされているから。人の言葉を理解していたのは、そう見えるように彼女が話しかけていただけ。
そんな風に考えるのが普通で、それが真実のはずだ。なのに、僕の目には、あのイルカがそんなトリックで出来ているようには見えなかった。

だとするならば、僕が僕として考えなければならない次の可能性は、どこかの国や組織の新しい技術であること。それなら記憶喪失というのも、自身の素性を隠し、また相手の同情を誘う為の策という可能性が出てくる。
もし、彼女や彼女の持つものがこの国に悪影響を及ぼすものならば、彼女が行動に移す前に潰しておかねばならない。



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