海月の夢見た世界

□まっすぐな想い
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「あ、おはようルリアちゃん」
「……おはようございます」

異世界へ来たのかもしれないという可能性に気づいた翌日。私の気分は、昨日からの低空飛行を続けていた。
私の出勤に気づいて笑顔で声をかけてくれた梓さんにさえ、同じように返すことが出来ない。

「……どうしたの? 元気ないみたいだけど……もしかして、何か嫌なことでも思い出した?」
「……いいえ」
「……そう? 私でよければ話くらい聞くよ」

梓さんにも伝わってしまうくらい、今の私は顔に出ているのか。けれど確かに、それを取り繕えるほどの元気はなかった。

昨日の帰り、わざとマグルの前で魔法を使ってみた。もちろんそれと気づかれないように、違和感がない程度にカバンを浮かせるとか、夜道に杖の先をライト代わりに光らせてみるとか、至極簡単なものばかり。
けれど、それらに対して魔法省から警告文が届くことも、魔法省の役人が私のもとへ現れることもなかった。

マグルの面前で魔法を使えば、普通なら、その場で警告文が届き、下手をしたら法廷で裁かれることもある。なのにその気配が全くなくて、私はいよいよ、ここが別の世界の日本ではないかという答えに確信を持ちつつあった。

「……突然、今まで目を背けていたことを突きつけられて。それを信じたくないのに……なのに、それがきっと限りなく真実で、現実なんです」
「…………」
「自分がこれからどうしたら良いのか、どうすることが正解なのか、わからなくなっちゃって……。ごめんなさい。抽象的過ぎて、わからないですよね」
「ルリアちゃん……」

この世界のイギリスへ行ったとしても、魔法省はなく、魔法使いもいない。そして、私を知る人も。
それを好機と取って良いものかどうか、測りかねている。人間に紛れて、人間として生きていくことに希望を見出した初日。その時の気持ちを上回る不安が、今は心を占めていた。

「あ! そう言えば、昨日から新しいバイトの人が入ったの」

空気を変えるように明るい声を上げる梓さん。

「昨日から?」
「うん。今日もお昼頃から来るわ」

ルリアちゃんにも後輩ができるわね、なんて言って微笑む。
後輩……肩書きはそういうことになるんだろうけど、仕事の出来は確実に向こうが上。私はすぐに抜かされるだろう。その光景が容易に想像できる。
そこにこだわりやプライドはないから、別に構わないけれども。……いや、紅茶の淹れ方だけは自信がある。


そんな話をしたのは朝のことで、気付けばお昼を過ぎていた。今日のシフトはそろそろ終わり。
ピークの時間を過ぎ、最後にと、午後に足りなくなりそうな食材の買い出しに出かけた。もちろん、まだ満足に日本語の読み書きができないので、英語で書いたメモを持って。
スーパーでも店員に聞きつつその買い出しを終え、ポアロへ戻ってきた時、店の中から聞き覚えのある声が聞こえた。

「採用ー!」

あれは確か、毛利さんの声だ。コナン君の居候先である毛利探偵事務所の主で、名探偵として有名らしい。
中には毛利さんと、娘の蘭ちゃん、コナン君、そして彼らのテーブルの側にエプロンを付けた男性がいた。後姿しか見えないが、あの明るい金髪の彼が、梓さんの言う「新しいバイト」なのだろう。

ドアを開けて中へ入れば、すぐに梓さんが気付いてくれる。

「おかえりー、ありがとね」
「……ただいま。彼が?」
「うん、今朝話した安室さん。安室さん、毛利さんの弟子になったみたい。彼も探偵なんですって」
「ふーん……」

何やら盛り上がっている毛利さんたちを横目にカウンターの中へ回ると、梓さんが買い物袋を受け取ってくれる。

「それより、お買い物大丈夫だった? ごめんね、1人で行かせちゃって……」
「いえ。でも、結局わからなくて……ほとんど店員さんに教えてもらいました」

言いながら梓さんが作ってくれたメモを見せる。そこには梓さんの字で書かれた日本語と、その下に私の字で書かれた英語が交互に並んでいた。
梓さんが作ってくれた日本語のリストが読めず、何が書いてあるのか聞きながら、下に英訳を書いていったのだ。これがあったおかげで、店員さんに探してもらう時、わざわざ一つひとつ説明する手間が省けて本当に助かった。

冷蔵庫へ食材をしまい終え、今日はこれで上がりかなと時計を見た時。あの、すみません、と後ろから声をかけられた。
この声は、先程毛利さんと話していた人のもの。

「貴女がルリアさんですか?」
「……はい」
「初めまして、安室透と言います。今日からよろしくお願いしますね」

言って、安室さんは笑顔を見せた。
褐色の肌に金の髪、青灰色の目を持つ彼。この国ではあまり見ない色彩に、なんとなく親近感が湧いてくる。

「……ルリア・ナイトレイです。よろしく」

私へ向かって差し出された手に応えれば、なぜか両手で包まれた。

「……安室さん?」

私の右手を両手で包んだまま、まっすぐに見つめてくる安室さん。何をしたいのかわからなくて首を傾げる。

「……ルリアさん、」

すると、ギュッと包まれる力が強くなった。痛いようなものではないけれど、手を引こうと思っても抜けない程度の力だ。

「僕と、付き合ってくれませんか?」
「……どこに?」
「ああ、いえ、そういう意味ではなく……僕の、恋人になってくれませんか?」

苦笑を漏らした後、再度真剣な眼差しで彼はそう言った。
人との関わりを積極的に持とうとしてこなかった私にとって、それは人生で初めて、他人からまっすぐに好意を向けられた瞬間だった。

視界の端に、目をキラキラさせた梓さんと蘭ちゃん、ぽかんと驚いた顔をするコナン君と毛利さんの姿があった。



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