海月の夢見た世界

□否定していた可能性
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目が覚めて、最初に見えるのは白い天井。それから、水色と白を基調とした家具たち。
ここが、日本での私の家の私の部屋だ。

顔を洗って、パジャマのままキッチンへ。昨日の夜仕込んでおいたクランペットを焼いて、紅茶を淹れる。そうして朝食を取っていると、ふと海へ行きたくなった。
これは今が初めてのことじゃない。ポアロが休みの日、朝や夜、時には休憩時間でさえも、特に1人でいる時にどうしようもなく行きたくなる。
行こうと思って、でも諦めて。それを繰り返していたけれど、今日こそはもう、耐えられそうにない。

「……行こう」

そう決意して着替え終えた鏡の前、両耳の上辺りにママの形見をつける。髪に赤いサンゴのある自分の姿はもう見慣れたもので、より、海を見たい気持ちが強まった。
後は、パパの形見の杖も忘れずに。

昨日子供たちから教えてもらったひらがなは、まだまだ読めるようになったとは言いがたい。駅や町で人に何度も道を尋ねながら、ようやく海岸へとたどり着いた。
季節を少し外れた海には、ほとんど人影がない。少し岩場のある方へ行けば、それは全くなくなった。
靴を脱いで足を海へとつける。太陽の光で暖められたとはいえ冷たさの残る水に触れ、無意識のうちに深く息をついていた。

「ふぅ……」

目を閉じ、神経を海へと集中させれば、聞こえるのは波の音のみ。それで思い出すのは、幼い頃、パパとママと眺めた海のことだ。

「私、海好き。とっても綺麗だもの」

そう言って仰ぎ見た私に、ママは笑顔で返してくれた。

「でしょう? ママは、この海で生まれたの。そしてルリア、貴女も海で生きることができるのよ」
「海で生きる……」

目の前に広がる真っ青な海はどこまでも広がっていて、太陽の光をキラキラと反射させている。そこで生きていけるなんて、私はなんて幸運なんだろうと胸が高鳴った。

「あれ、じゃあお家は? お家はダメなの?」

けれど今、私たち家族が暮らしているのは、人里離れた森の中。滅多にほかの人間には会わず、会う人間といえば、パパを訪ねてくる友人くらいだ。

「もちろん、パパと同じように、森の中のお家でも暮らせるわ。貴女は特別な存在。どちらも自由に選ぶことができるのよ」
「うーん……パパとも一緒にいたいから、今はお家がいいな」
「そうか。ありがとうな、ルリア」

ママと逆隣に立つパパは、私の答えを聞いて頭を撫でてくれた。


目を開ければ、そこにあるのはあの日と同じ海。けれど、何もかもが違って見えた。

その時ママは、私を特別だと言った。その意味を当時の私はあまりわかっていなくて、知ったのは、ママがいなくなってからだった。
もっと早く、私が自分の存在価値に気づけていたら。そうしたら今でも、ママは私の隣で笑ってくれていただろうか。
そしてもっと早く、私がパパと同じ力を身につけていたら。そうしたら今でも、パパは私の手を引いてくれていただろうか。
今となっては、もう、考えても仕方のないことかもしれない。けれど……海を見る度、思い出してしまう。

もう一つ、この国へ来てから気になっていることがある。
この海の向こうに、私の同族はいるのだろうか。最も、生まれてから今まで、ママ以外の同族に会ったことはないのだけれど。
ママの方は無理でも、パパの方の同族はこの国にもいるかもしれないと。

パパは、魔法使いだった。パパも私も、魔法学校・ホグワーツに通って、その力を磨き上げた。

基本的に、マグルの面前で魔法を使うことは禁止されている。私たち魔法族の存在が非魔法族に露見するからだ。
今、ここで魔法を使ったら……魔法省が私を見つけて、イギリスへ連れ帰ってくれて、そして。……そしてまた、追われる生活に戻るのか。

「……怖い」

周りが全て敵に見えたあの感覚を、もう二度と味わいたくない。誰も彼も信じられなくなっていったイギリスに戻るより、日本にいた方が気は楽だ。それなのに、突然消えた私を探してくれているかもしれないなんて、都合のいい想像もしてしまう。

周囲を確認して、誰もいないことを確かめてから杖を取り出す。ここは外で、家の中とは違う。魔法を使うところを、マグルに見られるわけにはいかないのだから。
そうまでしても、結局、魔法界の彼らと連絡を取ることを選んでしまうのは、独りになりきれない私の弱さ故。

今使うのなら、その呪文は一つだけ。守護霊の呪文(パトローナス)だ。これで、イギリスにいる誰かと連絡を取りたい。

守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)

杖の先から溢れ出る白い光。それが少しずつ形を持っていって、そうして体長1メートル程のイルカの姿になった。
これが私の守護霊(パトローナス)。守護霊は、離れた場所にいる相手に、持ち主の声を届けることができる。相手の声を乗せて戻ってくることはできない一方通行の手段だけれど、梟がいない今はこれしかない。

「"これを見たら、連絡をください。"……行って」

明確な場所は伏せたけど、パトローナスはもちろん、私を探してやってくる梟たちは優秀だから大丈夫だろう。なにせ、相手の名前だけでも届けてくれる程なのだから。
私の元から飛び立ったイルカは、しかし、頭上をクルクルと数回回った後、私の前に降りてきた。

「……どうして?」

私に擦り寄る仕草をするイルカを呆然と見つめながら、病院で目覚めてから、ずっと頭の片隅にあった可能性と初めて正面から向き合った。
記憶と異なる自身の経歴、両親の死因……そうだと思えば思うほど、それ以外の可能性が考えられなくなってくる。
魔法使いもいない、私を知る人も誰もいない。けれど当然、私の居場所もない。
そんな、今まで生きていた場所と似ているようで、全く違う場所。

「……ここは、別の世界なの……?」

魔法が存在する世界で生きていても、非現実的だと思う可能性。けれどそれなら、納得できることもある。
私は、確かに覚えているから。病院で目を覚ます前の最後の記憶が、自ら命を絶ったことだったと。



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