夢卜アレキサンドライト

□ひととせ
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今年も、あの日がやってきた。

11月7日。
それは、私の人生の分岐点となった日。1人の青年の、運命が変わった日。
私と彼らとの、はじまりの日。

「お、いたいた! 朱音ちゃ〜ん!」
「……萩原」

お昼を過ぎた時間帯。私服姿でカフェに現れたのは、すっかり顔馴染みとなった萩原だった。
私が案内するまでもなく、彼はお決まりのテーブルへと座りメニューを開く。

「朱音ちゃんはお昼は?」
「今日は早めにもらったわ」
「そっか。あ、日替りってまだ残ってる?」
「ええ。今日はアジフライ。……今月のケーキはモンブランシフォン」

萩原たち同期は、たいてい月替わりケーキの内容を聞いてくる。それが分かってから、来店時には聞かれなくても付け加えるようになっていた。
それだけ通ってくれているということで、お店としてはありがたいことだ。

「じゃあ日替りと、ミルクティーでケーキセット」
「了解」
「……ああそれから、朱音ちゃんも」

メニューをテーブルに置き、右肘をついて顎を支えた萩原が、左手で私を指差しながら言った。
ニッと口角を上げた萩原は、いつもの親しみやすい笑顔を私の向こうへ向ける。そして、その良く通る声を張り上げた。

「風子さーん! 朱音ちゃんレンタルお願いしまーす」
「はーい、どうぞー」

カフェの常連になっているおじさんやおばさん方から、いつもの光景だと言わんばかりの暖かな視線が注がれる。名を呼ばれた風子さんからも、当たり前のように是の言葉が返ってきた。

「はい。これは朱音ちゃんの分ね」
「……ありがとう」

萩原の注文品を全て運ぶと、向かいの席にミルクティーとシフォンケーキが差し出される。礼を言ってそこへ座った。
ミルクティーを飲み、シフォンケーキを一口。その間、萩原はアジフライに手を付けることなくこちらを見ている。その視線の意味に、気付かないほど鈍くはない。

「……今日で一年ね」
「……何だ、気付いてたの?」
「さすがに分かるわ。これだけ見られてたらね」
「ははっ、だよね」

やっぱりといった表情の萩原は、一息吐くと、しっかりと私の方を見据えた。

「……改めてありがとう。朱音ちゃんがいなかったら、俺は今ここにいないよ」
「私が勝手にやったことよ。……と言っても、萩原は言い続けるんでしょうね」
「さすが朱音ちゃん。俺のこと分かってるねー」

にこにこと笑顔の萩原は本当に楽しそうだ。

「それは喜んで良いのかしら?」
「もちろん」
「そう、ありがとう。……いい加減、食べないと冷めるわよ」

ピッと、手にしたケーキ用のフォークで萩原の前にあるアジフライの乗った皿を指す。
せっかく風子さんが揚げてくれたそれも、時間が経てば冷めてしまう。冷めても美味しいのだけれど、やはり温かい方が味は良い。

「そうだね。んじゃ、いただきます」
「……召しあがれ」

アジフライに齧り付く萩原。この姿が今ここにないことこそが本来の形だったのかもしれないと、あの夢はそう言っているのだろう。
萩原の一件からこちら、予知夢のようなあの夢を再び見ることはない。萩原が助かったから終わったのか、たまたま次の事故がないからなのかは分からない。去年も確か、ある日突然夢を見るようになったのだ。
もし、また誰かの夢を見たら、私はその命を救うために動くのだろうか。

「……陣平ちゃんから聞いたんだけどさ、」

萩原の言葉で思考が現実に戻される。

「通訳になりたいんだって?」
「ええ。色々な言葉を話せたら楽しそうでしょう?」
「なるほどなー」
「……それに、ほかの人に出来ないことってお金になるのよね」
「……なるほど。確かに」

思わずといった感じの苦笑を漏らす萩原。

「警察官とはまた違うけど、通訳者だってなくなりはしない仕事だと思うわ。AI何かの技術が進化しても、言語毎の微妙なニュアンスを表現できるのはやっぱり人間だけだと思うのよね」
「じゃあ、そういう会社に就職?」
「いいえ。最初はフリーランスで始めて、その内起業しようと思ってる」
「なるほどなあ……ちゃんと考えてて偉いわ。まあ、何か困ったことあったら言ってよ。俺、力になるからさ」
「……ありがとう」

そろそろ行くよ。
そう言って席を立った萩原は、またねと常連のおばさんたちにまで挨拶をして帰って行った。

そんな、節目の日の出来事。



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