夢卜アレキサンドライト

□夢語り
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カフェのシフトが入っていない日。こういう日は基本、自宅にこもっていることが多かった。
スクールからの課題が出ていればそれを片付ける必要があったし、前世で得意としていたITスキルの向上にも取り組んでいた。
ネット情報関連が前世より遅れているこの世界では、より高度なITスキルを身に着ければ確実に武器になる。あわよくばと、向こうにあってこちらにはないシステムの開発もしたいと思っていた。

けれども最近は出かけることが多い。その行先は図書館。その中でも学習本のコーナーだった。
長い日には開館から閉館まで、食事も忘れて没頭することもある。それだけ価値のあることだったし、そして興味を惹かれるものでもあった。

今日も今日とて、米花図書館へ向かう。少し蔵書が古いこともあるが、無償で利用できるという点を鑑みればそれも仕方のないこと。
誰にも邪魔されず、比較的静かな空間で1人知識の海に溺れる時間を気に入っていた。

──のに、なぜか目の前に見知った顔がいる。どうやってこの場所を嗅ぎつけたのだろうか。

「……何でいるのよ」

そこには、私が現れるのを待っていたかのように図書館の入り口に立ち、携帯を弄る松田の姿があった。

「あ? ミランダとかいうガキに聞いてな。最近、休みの日は図書館に通ってるっつー話じゃねえか」

漏洩元はミランダか。
確かに彼女には私が図書館通いをしていることは伝えていたし、何なら彼女の存在が図書館通いのきっかけになったといっても過言ではない。
まだ幼い彼女なら、松田に問われて素直に返してしまったとしても仕方ないだろう。

「それで、私に何か用?」
「いや、別に用はねえよ」
「は? 用もないのに待ってたの……?」
「良いだろ理由なんて。俺が来たかったから来た、それだけだ。今日非番だしな」

休みの日だったからと言って、用もないのにいつ現れるかわからない私を待っていたのか……。松田の思考がわからない。
ここ最近の行動からその可能性は限りなく低かったわけだが、今日、私が図書館へ来ない可能性だってあっただろうに。

「まあいいわ。私はやることがあるから」
「おう、邪魔はしねえよ」


そんな会話を交わしたのは、果たしていつのことだっただろうか。

学習本コーナーの一角でドイツ語の辞書や参考書を読み漁る私の横で、松田は専門書コーナーから持ってきただろう爆発物関連の本をめくっている。
確かに邪魔をしてくることはないが、松田の視線がたびたび感じられていた。私が自分の視線に気づいていることをわかっているのかいないのかは定かではないが、無言の圧力をかけられている気分だ。これはこれで鬱陶しい。

とりあえずと持ってきた中の最後の一冊に目を通し終え、次のを取りに行こうと席を立つ。この図書館においてあるドイツ語関連の本は全部読んでしまったから、次は……中途半端に知識がある英語で良いだろうか。
そんなことを考えながら、手近なところにあった辞典や英会話の参考書を手に取っていく。右手で取っては左手に乗せるを繰り返し、10冊ほど積み上げて戻った。

「……まさかそれ全部読むのか」

私の左手に積みあがった本の山を見て、自分の手元から顔を上げた松田が若干頬を引きつらせる。

「ええ」
「まじかよ。さっきも似たようなの読んでなかったか……?」
「さっきまでのはドイツ語、これは英語。中身が違うわ」

持ってきたものをテーブルに乗せ、一番上の辞典を1つ手に取って座った。
授業で使っている教科書や参考書、辞書に載っていたものは既に頭に入っているから、英語はかなりの部分を飛ばして読める。ドイツ語の方も重複する部分は飛ばしていたが、それを加味しても英語の読破は比べるべくもなく速いだろう。

「……何?」

相変わらず視線を感じるので、目線は手元の文字を追いながら、それでも松田と会話をすることにした。

「何か調べてんのか? それなら手伝うぜ?」
「いいえ。ただ覚えているだけ」
「覚える? 暗記してるってことか、」
「ええ」
「これを全部?」
「そうよ」
「さっき返してたやつは読み終わったってことか?」
「まあね」
「信じらんねえ……」

降谷かよ。そんな一言が聞こえた。

「……降谷さん、ドイツ語の本を読むの?」
「あ? そっちじゃねえよ」

松田の呟きを拾って尋ねたら、いささか不機嫌そうな声が返ってきた。

「……あいつ、記憶力良いからな」
「ああ、なるほど。私も記憶力は良い方よ」
「だろうな。その速さで読んで、けど、内容はちゃんと頭に入ってんだろう?」
「もちろん」

答える間にも文字を追う目は止めない。ページをめくる指も止めない。

「何でそんなにやってんだ?」

──何かやりたいことねえの?

内容は全く違うのに、なぜかあの時の問いが思い出された。まるで今、再び問われているかのように。

「松田が聞いたんでしょ?」
「何を?」
「……私の、やりたいこと」

やりたいこと。その一言を小さく繰り返して、そして松田も花見の時の自身の言葉だと思い出したようだった。

「私、通訳者になりたいの」

それは生まれて初めて語った、幼い頃に抱いた夢だった。まだ、両親にも誰にも話したことのない夢。

「この世界に生まれて、国や地域ごとに話す言葉や書く言葉が違うと知った時……とても面白いと思ったわ。同じ言葉を使っていれば便利なのに、なぜ、わざわざ違うものを使っているのだろうって」

言葉が違うから価値観に違いが生まれ、やがてそれらが争いの火種になる。そう言ったのは、誰の言葉だったか。

「せっかく幾つも言語がある世界に生まれたんだもの。可能な限り多くの言葉を話せるようになりたい」
「それが、朱音の夢か」
「ええ」

松田たちと出会って、あの時、松田からあの言葉をもらわなければ……きっと、こんなこと思いもしなかった。

両親の仇への復讐は既に終わっている。けれど、世の中には同じようなクズが多くいるから。
そんな奴らへ制裁を加えることしか考えていなかった少し前までの自分とは、今の自分は随分違った考え方をしていると思う。

それも全ては、──。

「……松田、」

貴方がいたから、なんでしょうね。

「何だよ」
「何でもないわ」
「はあ? ……ところで、いつまでここにいるんだ?」
「閉館までよ」
「は!? 後何時間あると思ってんだよ。本気か?」
「当然。問題ないわ」

結局、昼過ぎには休憩だと松田に図書館から連れ出されランチへ行った。その後、閉館までとはいかずとも夕方までは戻ってきて私の読書に付き合ってくれた松田。
何だかんだ言いつつ、面倒見の良いやつなのだ。



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