夢卜アレキサンドライト
□ご褒美の約束
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季節は夏へと移り変わり、米花町も日に日に暑さが増してきた7月。
「いらっしゃいませ」
ドアベルの音に入口を振り返れば、初来店ながら見知った顔が2つ並んでいた。
「こんにちは、朱音ちゃん」
「お邪魔するよ」
「諸伏さん、降谷さん。空いてる席へどうぞ」
時刻はカフェタイムを若干外した午後2時過ぎ。2人は初めて訪れた店内を見回しながら、幾つか空いている中から奥側の4人掛けテーブルへ着いた。
「ご注文は? 因みに今月のおすすめは、白桃と塩キャラメルのタルトね」
今月の月替わりケーキは、タルト生地に塩キャラメルムースを重ねて旬の白桃を乗せたもの。塩キャラメルの塩っぱさと白桃の甘さがお互いを引き立てる、風子さんの力作である。
「じゃあそれと……俺はアイスコーヒーかな。ゼロはどうする?」
「僕も同じものを」
「……了解。少し待ってて」
耕市さんへアイスコーヒーを2つオーダーし、ショーケースからタルトも2つ取り出す。そこへ、私たちのやりとりを聞いていたらしい風子さんがニコニコしながらやって来た。
「朱音ちゃん、あの2人はお知り合い?」
「ええ、松田や萩原の友人だそうで。先日、カフェを宣伝しておきました」
「先日」と言っても、あれから既に数ヶ月経っているわけなのだけれども。ちょくちょく顔を出す松田たちと違って、彼らの部署は忙しいらしい。
最初、警察手帳の表紙のみを提示したことや名前を言わなかったことから、何となくその所属も想像はつく。
「まあ、松田くんたちの! それなら少し行ってらっしゃいな。お客様の方も落ち着いてるしね」
「ありがとうございます」
「はい、ミルクティーな」
タルトを乗せたトレイの上に、横から伸びてきた手がアイスミルクティーのグラスを乗せた。続けて、アイスコーヒーのグラスも2つ。
言わずもがな、犯人は耕市さんだ。
「……ありがとうございます」
全くこの夫婦は……私に甘過ぎる。可愛がられている自覚はあるので、素直に礼を言ってテーブルへと向かった。
「お待たせ」
「ありがとう。あれ、朱音ちゃん休憩?」
コーヒーとタルトを並べれば、トレイに1つ残ったグラスを見て降谷さんが問う。それにミルクティーのグラスを置きながら答えた。
「そうなの。お邪魔しても?」
「もちろんさ」
「2人が松田たちの友人だって話したら耕市さんが……松田や萩原が来た時も、良くそれに合わせて休憩くれるの」
「へえ、良い人たちなんだな」
良かったな。そう言いながら、諸伏さんがこちらまで手を伸ばして頭を撫でてくれる。優しく触れられたその手は暖かくて、いつかの両親の姿に重なった。
「……、」
「ご、ごめん! つい……」
ボーッとして言葉を返せずにいれば、不快に思ってのことと取ったのか、諸伏さんが慌ててその手を引っ込め謝罪を口にした。
「……ごめん、少し驚いただけ」
「そう、なのか……?」
諸伏さんが恐る恐ると言った風に訊ねる。萩原と松田をセクハラ警官認定したことがあるからだろう。
「ええ。誰かに頭を撫でれらるなんて久しぶりだったから。悪くないわね」
「そうか。なら良かった」
「僕たちで良ければいつでも撫でてあげるさ」
ホッとひと息吐いた心地の諸伏さんの向かいから、降谷さんの笑顔が向けられた。
「朱音ちゃんはいつも頑張ってるみたいだし、それくらいの権利はあるさ」
「ああ、確かに」
「……考えとく」
「わかった。待ってるよ」
降谷さんと諸伏さんへ報告を入れるなら……それこそ一つだろう。この冬、一般的に人生の節目となるイベントが待っているのだから。
帰宅後。一通りのルーティンを終えて目についたのは、ダイニングテーブルに広げられた入学案内のパンフレット。これは先月取り寄せたもの。
──何かやりたいことねえの?
思い出されるのは、桜の散るあの頃。萩原の運転する車の中で、松田に言われた一言。
「……やりたい、こと」
そんなもの──、あるに、決まってる。
今世の私は、前世の私と違って恵まれている。世界単位で見ても、ここは恵まれた世界。やらずに後悔するようなことは、あってはならないだろう。