夢卜アレキサンドライト

□対峙の時
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『お姉ちゃん、こんにちは!』
『……いらっしゃい。ミランダ、カーティス』
『お邪魔するよ』

奴からの手紙が届けられた翌日、来店したのはアディントン親子だった。何もこんな日に来なくても良いものをと内心思いつつ、一拍遅れて営業スマイルを返す。
もちろん、今日もいつもの席に奴の姿があった。耕市さんや風子さんはもちろん、できることならカーティスとミランダにも被害が出ない方が良い。

そんなことを考えながらオーダー品を運ぶと、ミランダが意を決したような表情で私を見上げた。

「おねえちゃん、」

その口から紡がれたのは、少し違和感はあるものの見事な日本語。

「何?」
「……わたし、少しだけドイツ語ができるようになったの」
「へえ……奇遇ね。私もよ」
「え?」
『これからはドイツ語でもお話しできそうかしら、ミランダ?』
『え、うそ!? お姉ちゃんすごい!』

早速、昨日覚えたばかりのドイツ語を使ってそうミランダへと返せば、予想外のことに彼女の脳内では、先程までの日本語を使うという決意が吹き飛んだらしい。思わずといった風に漏れた驚きの言葉はいつも通りの英語で、その微笑ましさに笑ってしまう。ミランダの向かいに座るカーティスも、堪え切れず笑っていた。

『驚いたな、君がドイツ語を話せたなんて』

娘の頭を撫でながら、そう言うカーティスの言語は英語だ。彼に倣い、私もドイツ語から英語に戻す。

『昨日、たまたま図書館へ行ってね。英語みたいに話すには、まだ実践が足りないわ』
『昨日……? まさか、一日で覚えたのか?』
『ええ、暗記は得意なの』
『僕も少しは話せるけど、彼女とはほとんど英語だったし……ミランダの言う通り、君は凄い人だな!』

カーティスの言う「彼女」とは、彼の妻であるミランダの母のことだ。ドイツ人の彼女が英語を話せたため、主に2人は英語でコミュニケーションを図っていたらしい。

『そろそろ仕事に戻るわ』
『ああ。引き止めて悪かった』
「おねえちゃん、またお話ししてね」
「ええ、もちろん」

ミランダやカーティスと話すのは、素直に楽しいと思えるが、平日の昼間で混んでいない時間帯とは言え、一応今は勤務中である。加えて今は、自分には理解できない言語で話に花を咲かせる私たちを恨めしそうに見る輩もいる。
今のところ、彼が親子に何かするとは思わないが……そろそろ切り上げて、ドリンクのおかわりの有無でも聞きに行ってあげるのが上策だろう。


夕方、シフトが終わる頃。今日も飽きることなく私を追っていた視線がなくなった。……否、これからの尾行に備えて裏口へ待機に回った、というのが正しいところだ。

「耕市さん、風子さん。お疲れ様です」
「お疲れ様、朱音ちゃん。今日もありがとうね」
「気をつけてな」
「はい。また明日」

簡単に店じまいをして、2人に声をかけてからカフェを出る。出て来た裏口の扉を閉めれば、通りの角からさり気なくこちらを見る彼がいた。
面倒なことは早めに片付けるに限る。ストーカーな彼とは、今日で縁を切るつもりだ。

この辺りで廃ビルがあった場所はどこだったかと思いながら、携帯片手に歩き出す。調べて見つけた幾つかの物件から、一番手近なところへ向かうことにした。

駅の近くと言っても、場所によってその賑わいは大分異なる。廃ビルがあるその場所は、周りの建物も比較的人気がない一帯だった。
後ろから彼が着いてきていることを確認して、ビルの中へ入る。見失うことを懸念したのか、私の姿がビル内に消えるとすぐに駆け出し慌てたように続いた。
そのまま階段で3階へ上がり、入口の真上にあたる部屋へと入る。扉を開けたままにすれば、彼は極めて慎重に部屋の中を見渡した。

「ずっと着いてきてたんでしょう? 普通に入ってきて構わないわ」

扉が開けっ放しになったことで廊下からは死角になる場所からそう言えば、彼は扉を更に開いて部屋の中へと入ってきた。
その顔は想定通り。毎日同じ注文をして、毎日こちらを穴が開くほど見つめてくる男性客。こちらとしてはそう……名前さえ知らない、ただの客だった。

「それで? 私に何の用?」

廃ビルの一室に2人きり。そのことをどう解釈したのかは知らないが、彼は随分と嬉しそうな顔をしていた。
こちらから促せば、嬉々として話し出す。

「用って言うか……僕はただ、君に危険がないように見守ってあげてるだけだよ。ほら、いつも帰り道は1人だろう? それに、一人暮らしみたいだし……心配なんだ。か弱い君にもしものことがあったらって……ああもちろん、僕の方はいつでも同棲できるよ。何なら今日から行ってあげようか? そのまま、君の家を僕たちの愛の巣にするのも良いよね!」

男は一気にそれだけ言って、さあ行こうとばかりに片手を差し出した。

……正直、ここまでとは思わなかった。
自惚れでも何でもなく、事実として好意を向けられることは良くある。異性から熱い視線を貰うことも同じく。けれど、こちらの意思を確認するまでもなく、ここまで話が飛躍した人間と出会ったことはなかった。
お前が一番危険だとか、か弱いって何だとか、愛の巣だとか……ツッコミどころばかりで何を言っているのか分からないのが本音だが、一つだけはっきりとしていることがある。それは私に、こいつの話をまともに聞く気がさらさらないということだ。

「盛り上がってるとこ悪いけど、一言言わせて貰って良いかしら……」
「うん、もちろん! 何だい?」
「寝言は寝て言え。このストーカー野郎が」

こんな奴ならもっと早くケリをつけておけば良かったと思うと同時に、苛立ちながらカフェを去って行った松田の姿が脳裏を過った。



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