夢卜アレキサンドライト

□春の副産物
1ページ/1ページ


春。それは桜の季節。そして、新しい命が芽吹く季節。生き物、草花、様々なものが再び活動を始める季節。
また、ヒトの中にも気分が上がり、傍迷惑な言動をする者が現れがちな季節でもある。

「いらっしゃいませ」
「邪魔するぜ」

その日、昼からカフェを訪れたのは松田だった。
少し遅い時間なのもあってか、店内は満席ほどではない。だいたいいつも使っている4人掛けテーブルへも空いていて、松田はそこへ着いた。

「どうぞ。……ブレンド?」
「ああ。後飯だな。日替わりは?」
「今日は煮込みハンバーグよ」
「ならそれな」
「了解。少し待ってて」

風子さんへ日替わりランチを、耕市さんへブレンドコーヒーのオーダーを通し、水のグラスやカトラリーを持って松田の元へ戻った。

松田のオーダー品を運び、食後のデザートタイムを終えたおばさまたちの会計をしたところで、風子さんから声がかかる。

「朱音ちゃんも休憩に入って」
「……なら、お言葉に甘えて」
「今日の賄い、残ったトマトソースでリゾットにしようと思うのだけど……どうかしら?」
「美味しそうですね。是非」
「少し待っててちょうだい」

松田が注文した分が日替わりランチ最後の1セットだった。鍋に残ったトマトソースにご飯を合わせ、軽くチーズを効かせたリゾットに。風子さんが手際よく賄いを作る横で同じく余り物の野菜で軽くサラダを作り、ミネラルウォーターを添えて完成。
遅めのお昼となったそれをトレイに乗せ、松田がいるテーブル席へ向かった。

「休憩か?」
「ええ。ここ良い?」
「ああ」

松田や萩原が店へ来ると、それに合わせて休憩を取る。そんな流れが自然になっていた。

「美味そうなもん持ってんな」
「……食べる?」
「おう。……ん、美味いな」
「風子さんの料理は何でも美味しいから」
「だな」

向かいからスプーンを伸ばしてリゾットを浚って行った松田と、他愛のない話をしながら進める昼食。思いの外穏やかなこの時間を、私は存外気に入っていた。

「……で、さっきからこっち睨んでるあれは何なんだ」
「ああ、あれ……」

店内を見渡せる席から、その視線で射殺さんばかりに睨んでくる影がなければ。

「ただのストーカーよ」
「は? ストーカー?」
「そう、ストーカー」

ここ最近、毎日のようにカフェを訪れては同じ席に座り、その日のオススメを注文して長居する1人の男性客。
一応手元には本が握られているし、パソコンを持参する時もある。注文はしてくれているわけでお店としては追い返すようなこともしないが、彼は紛れもなくストーカーだった。

「……根拠は、」
「読書や仕事をしてる風を装ってるけど、店にいる間中視線を感じれば嫌でもわかるわ。他の男性客の対応をしてると睨んでるし……今みたいにね」
「実害はねえんだな?」

今のところ面倒なのは、常時向けられる視線で気が散ることと、帰り道の尾行を撒くために毎日寄り道して帰らなければならないことくらいだ。

「尾行は撒いてるし。今のところは何とも」
「尾行って……そりゃもう何ともなくはねえだろ!」
「ちょっと、声大きい」

ストーカー野郎に聞こえたらどうしてくれるんだ。
耕市さんも風子さんも、奴の行為には気付いてない。ただ、他より気持ち長居する常連客という認識。だからこそ、そんなことで2人や店に無駄な心配をかける気はないのだから。

「悪い……けど、この状況は見過ごせねえ。今日送ってくから、そこで決着つけるぞ」
「別にそんな急がなくても、」
「いや、奴がいつ実力行使に出てくるか分からねえ。その前に手を打つ」
「平気よ。何かしてきても返り討ちにしてやるわ」
「……相手は男だろ」
「関係ないわ。私の方が強いから」

奴が多少腕に覚えがあろうとも、私が負ける道理はない。松田の手を借りずとも、その内仕掛けてくるのを待てば良い。

「そういう問題じゃねえだろ!」
「じゃあ何だっていうのよ」

お互いの声量が上がり、その声が店内に響き渡る。耕市さん、風子さん、ストーカー男……店内にある全ての目が私たちに向けられていた。

「……被害者の私が平気って言ってるんだから、それ以上言われる筋合いはないわ。そもそも、松田には関係ないでしょ」
「……そうかよ」

これ見よがしなほどに大きく息を吐き出した松田が席を立つ。トレイに乗った日替わりランチは綺麗に空になっていて、テーブルの上に現金を置くと、そのままレジへ向かうことなく退店して行った。

「……お騒がせしてすみません」

私も残っていた最後の一口を口に入れると、2人分のトレイを片付ける為に席に立った。



次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ