夢卜アレキサンドライト
□2人の被害者
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店内は、突如として現れた男の一言に上がった悲鳴で騒然としていた。けれど次の瞬間には、男の持つ拳銃に皆が押し黙る。客たちは入り口から距離を取るように、店の奥へと自然と集まっていた。
どうやら先程の男の言葉を理解できたのは、私と伊達さん、ナタリーさんの3人のみのようだった。2人だけは男の言葉通り、座っていた席から動かずに周囲を伺っている。
そしてカウンター付近にいた耕市さんと風子さんも、英語は分からないながらも、私のことを案じてかその場を動かずにいた。
そんな中、一番早く行動に出たのは伊達さんだった。席からゆっくりと立ち上がり、両手を上げてゆっくりとこちらへ一歩進む。
『……く、来るなっ!』
叫ぶように言って伊達さんへ銃を向ける男。その様子にピタリとその場に止まった彼は、諭すように穏やかな口調で話しかけた。
『抵抗するつもりはない。だが、その子は解放してやってくれ。代わりに俺が人質になろう』
横目で外を確認すれば、ガラス張りの向こうの通りで通行人が中を指差して話しているのが見えた。俺の持つ銃も見えているだろう。この店の立地的に人通りは少なくないから、すぐにでも誰かが通報してくれる筈だ。
伊達さんの行動は、警官隊が到着するまで男をこの場に留めるための時間稼ぎ。かつ、民間人を巻き込まないようにするため。
けれど、世の中そう上手くはいかないものだ。
『来るなって言ってるのが聞こえないのか!?』
男は更に語気を強め、その手に握った拳銃を振り回す。そして、伊達さんが近づくにつれ、その鼓動を加速させていった。
──もしかして、………。
そこでふと、1つの可能性に思い当たる。これが正しいならば、早急にこの場を収め、次の手を打つ必要がある。
円──オーラの自分の周囲へ円状に広げ、回りの様子を探った。円を展開することで、使用者はその円の内部にあるものを肌で感じることができるようになるのだ。
背後の男。彼の得物は、その手に握られた銃が1つのみ。店内、そしてガラス窓の向こうの通りにも怪しい動きを見せるものはいない。となると、後は……円を更に広げ、通りを挟んだ向かいのビルも範囲内に加えた。
──いた。
向かいのビル。その2階、カフェの窓際の席に大人が2人と子供が1人。大人の方は身長や体格からして十中八九男だろう。顔をこちらへ向けており、その口が交互に動いている。
それ以外には、この店の周囲で怪しげな動きをする影は捉えられなかった。
『……随分焦ってるのね』
『っ!?』
突然喋り出した人質に、男があからさまな驚きを示した。その証拠に、先程よりもその拘束が緩んでいる。
『最初より鼓動が早くなって、冷や汗の量も増えている。……つまり、この行動は貴方の意思じゃない』
『なっ、何の話を……!』
『別に、今更取り繕わなくても良いでしょ。……貴方は、2人組の男に子供を人質に取られて……そうね、この店の売上金を持ち出すように言われている』
まあベタな展開ではあるが、人質を連れてあんな近くで犯行を見学しているような人間の考えることなんてそんなものだろう。
『どう? 私の考察、間違ってる?』
『……そ、れは……』
男の体が小刻みに震え出す。その反応を見るに、私の推理は当たっているようだ。
彼の中では今、様々な葛藤があるのだろう。
私に自分の置かれた状況を言い当てられたこと。それにより、自分が成さなければならなかった行動に支障が生じたこと。結果、人質の身の安全が保障されないかもしれないこと。
そもそも、この行為自体が犯罪であり、そのことに対する罪悪感も襲ってきていることだろう。
動揺が言葉にも態度にも現れ、それを上手く隠すことさえできなくなっている男。それを見るに、彼は元来、善良な一市民であるということだ。
『……貴方を警察に突き出すつもりも、貴方の子供をあのままにしておくつもりもないわ』
『! ……証拠は、』
『今この場で、大人しく貴方に捕まっていること。……私、腕には自信があるの。貴方くらい、素手でKOできる程度にはね』
拘束されているこの状況でさえ余裕がある。自分が私を捕らえられているのは、単に、私が大人しくしているからなのだ。そう男に伝わるよう、極めて不遜な態度で堂々と言い切った。
『……わかった』
ちゃんと伝わったのか、男の体から力が抜け、私の首に回っている腕が離れていく……ことはなかった。
咄嗟に男の腕を掴み、さも首を絞めにくるその腕を必死に引き離そうとしているような絵面を演出する。ただし事実は全くの逆で、離れようとする男の腕を私が自分の首元へと押し付けているのだ。
『な、何を……?』
『忘れたの? 貴方の行動は監視されてる。今私を解放すれば、彼らに不自然に思われるわ』
『そ、それは……でも、どうしたら……』
『あいつらに見えないようにすれば良いのよ』
外から店内の様子を確認できないようにすれば良い。彼らの所持品に、赤外線カメラや盗聴器の類いはない。ならば、物理的に視界をシャットアウトしてしまえば済む話だ。
「耕市さん、風子さん。今日はこれ以上の営業は無理そうですし……店じまい、しましょうか」
「え……?」
唐突に話しだした私に、2人の当惑顔が向けられる。
「店じまい、ですよ。……ね?」
それに動じることなく、極めて笑顔で2人に同じ言葉を繰り返した。入り口の扉へ視線をやりつつ、店外からは死角である自分の体の前で持ち上げた手首をくるりと回転させる。
これは毎日、開閉店時にやっている動作──ドアプレートをopenからcloseへと掛け替えるものだ。
私のジェスチャーに2人はゆっくりながらも頷いてくれ、動いてくれた。
風子さんがドアプレートを裏返し、店内へ戻って来るのを確認して耕市さんが通りに面した窓の向こうへシャッターを下ろす。しばらくの後、店内はシャッターによって外界とは完全に遮断された。
『……もう良いでしょう。腕を放して』
『……ああ、』
男の腕が首元から離される。半分くらいは自分から拘束されたとはいえ、漸く体が自由になった。私の拘束が解けたのを見て、すぐさま伊達さんが近くにやって来る。
「怪我はないか?」
「ええ、大丈夫です」
「そうか。良かった……」
胸を撫で下ろし、長く息を吐く伊達さん。その姿に、心から私の身を案じてくれていたのが分かる。彼は、本当に良い人なんだろう。
「彼とは話が付いたのか?」
「具体的にはこれからです。でも、この人も被害者ですよ。お巡りさん?」
「! ……ああ、そのようだな」
私たちのやり取りを不安そうな表情で見つめる男の瞳には、もう最初のような攻撃性は見られなかった。