夢卜アレキサンドライト

□面倒な客
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「お姉さん、森の香りがする」

まさか、そんな理由で私がその場にいたことが露見するとは思わなかった。


それは11月の半ば。爆弾事件の報道も落ち着いてきて、当然、私の存在なんてメディアには一切出ずに片付いた……そんな頃だった。

その日のお客さんの中にいた、若い男性の2人組。その顔を、忘れられる筈がない。萩原と松田だった。
先月、嫌というほど夢で出会い。そして今月、その命を助けた青年と、その友人らしき青年。平日の昼間、そんな2人がcafé sakuraへ現れた。
しばらく注文もなしに話し込んでいる2人。その内容は先日の爆弾事件のことのようだった。

普段、気を付けずとも、私の耳は店内の音のほぼ全て拾えてしまっている。オーダーの為にかけられる声や料理完成時の佐倉夫妻からの声はもちろん、料理を食べる音、席を立つ音。そして、お客さん1人ひとりの話し声まで。
けれど、耕市さんと風子さんにお世話になっている手前、お客さんの話し声など、個人的な内容は努めて聞かないようにしていた。もちろんボロは出さないつもりだが、何かの拍子にでも、店員と客という関係性を越えたやり取りをしないようにと。

しかし、である。この2人のことは看過出来なかった。
店内に入ってきた途端、「いらっしゃいませ」との常套句は何とか言いつつも、驚きを隠せなかった自分に気付かれてはいないだろうか。そんなことで、仕事をしつつ2人の会話を聞いていればこれである。

新緑の香りと甘い香り。揺れる黒い影。そんなもので特定されるなんて。

仮にも客だからと、掴まれたその手をすぐに振り解かなかったことをこれほど後悔したことはない。はぐらかしてみたものの、何とも言えないタイミングで現れた風子さんのカミングアウトで形勢は逆転。

「……チッ」

思わず舌打ちが漏れた。萩原と松田の洞察力に。それを甘く見ていた自分自身に。
カウンターの向こう、ニコニコしながらこちら見ている2人に聞かれていないことが唯一の救いだった。

「……あの場にいたら、何だって言うの」

耕市さんも風子さんも一般人。普通の声でも聞こえることはないだろうが、それでも一応声を落として問う。
私が認めたことに、萩原はその相好を崩した。

「君に……朱音ちゃんに、お礼を言いたかっただけ」
「……礼、」
「そう、お礼。あの場にいたから分かる。あの爆発で死ななかったことが、どれほどの奇跡かって」

それは……そうだろう。本来なら、あのマンションにいた警察官たちは全員が爆死していた筈だ。私の、念の壁がなければ。
次に来るのは、その方法についてか。妥当な判断だろう。私が逆の立場でも、どうやってあの爆発を逃れたのか気になるのだから。
けれど、2人はそれを求めなかった。

「どうやったのか、なぜあの場に来たのか。知りてえことは山ほどあるが……聞かねえよ。こいつが生きてる。今はそれだけで良い」

今は、というところが少し気になりはするものの……そんな屁理屈さえ忘れさせるほど、私を見る松田の目は真っ直ぐだった。思わず、私の方から逸らしてしまうほどに。


「いらっしゃいませ」
「ブレンドな」
「……了解」

それからというもの、2人はちょくちょくこの店を訪れるようになった。今日も今日とて、平日の昼間から松田が顔を出している。
常連が増えたと思えば店にとって嬉しいことだが、何かと話しかけてくる為、私としては面倒な客でもあった。

初めて来た日は一緒だったが、それ以降は基本的に別々に来る2人。どうやら、あの日はたまたま揃って休みだったらしいと知ったのは最近のことだった。
そしてもう一つ。命を救った萩原よりも、松田の方がカフェへ来る頻度が高いということも。

「はい、ブレンド」
「ああ。……お前、俺たちには敬語使わねえんだな」
「おあいにく。セクハラ警官に使う敬語なんて持ち合わせていないの」
「は? ちょっと待て、俺は何もしてねえだろうが!」
「似たようなものでしょ」

頼まれたブレンドコーヒーを持って行けば、客への口調を云々言われた。が、この2人相手に今更敬語を使う気になんてなれなかった。

「お願いしまーす!」
「はい」

お前を抱き込んだのも匂いを嗅いだのも萩原で、俺はむしろ止めに入っただろう。
なんて弁明する松田をあしらっていると別のテーブルでオーダーがかかる。
まだ何か言いたげな彼を横目に、私は仕事へ戻った。

面倒な客、だけれど。彼らとのそんなやり取りは、なかなかどうして、心地よく感じられるものだった。



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