夢卜アレキサンドライト

□追及
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萩原に呼ばれ、オーダーを取りにきた若い女性スタッフ。その手首は現在進行形で萩原に掴まり、彼女はその場から動けずにいた。

「……私に何か?」

怪訝そうに萩原を見る彼女。まあ、客とはいえ知らない男にいきなり手を掴まれたら当然の反応だろう。
萩原は、掴んだ手はそのままに彼女の体を手前へ引く。そして事もあろうに、バランスを崩して自分の腕の中へ来た彼女に鼻を近づけた。スンッと、その香りを嗅ぐ。

「萩原! お前何やってんだ!」

これは流石に、セクハラで訴えられたら反論できない。幼馴染の親友が、まさか猥褻罪なんてもので前科者になるなんて。しかも、自分たちは曲がりなりにも刑事。到底看過できるものじゃなかった。
このままではまずいと、咄嗟に立ち上がり拳を握る。視界の端で、彼女も構えを取ったような気がした。

「お姉さん、森の香りがする」

萩原がこの言葉を続けてくれなければ、彼女が訴える前にと、俺はこいつを殴り倒していただろう。


「……で、森の香りって?」

俺と萩原の前には、それぞれコーヒーカップとケーキの乗った皿が置かれた。
萩原の鳩尾に華麗に肘をかましその拘束から抜け出した彼女は、店主夫妻へオーダーを通した。4人がけのテーブルで向かい合うように座る俺たちの間から、そう萩原を睨め付ける。
セクハラ男相手に態度を改めたのか、仮にも客に対して先程までと口調が違う。

「イテテ……さっきはほんとごめんね。これだ、って思ったらつい体が動いてて」
「どうでも良いから質問に答えて」
「はいはい、仰せの通りに」

まずはと自分の行いを謝罪する萩原。口調は軽いが、それは本当に自分が悪いと思っている時のものだ。最も、彼女に正確に伝わっているかは分からないが。
対する彼女は、萩原の行動をそこまで気にしていない様子。どちらかというと、その発言の方を気にしているらしい。
まあ、「森の香り」ってのは俺としても気になるところであるわけだが。

「俺、この間、新緑の森の中にいるような匂いを嗅いだんだけど……そこ、どう頑張っても緑がない筈の場所なんだよね。で、お姉さんから、あの時と同じ香りがするわけよ」
「……、それで?」

爆発直前、萩原が嗅いだという匂い。それがもし、彼女ものもなら。それは、つまり──。

「あの時──11月7日にマンションが吹っ飛ぶ瞬間……俺の隣にお姉さんがいたんじゃないかって思うんだけど、違う?」

彼女が、あの場にいたということ。
改めて彼女を見てみる。今は束ねられているその長い黒髪を、当時は下ろしていたとしたら……俺が見た黒い影も、彼女であるのかもしれない。

「……何の話か分からないわ」

けれど彼女は、萩原の疑いを一刀両断した。まあ、話の流れとしては妥当だろう。
けれど、これくらいで諦める萩原でもない。

「あれから俺、植物系の香水とか洗剤とか調べまくったけどあの匂いはどこにも売ってなかったし、一度も感じなかった。今、お姉さんからする以外は」
「……あんた、この間の11月7日は何してた?」

俺も萩原に加勢するべく、彼女のアリバイを問う。彼女がマンションにいたのなら、当然、そのアリバイはない筈だ。

「11月7日? それって確か……朱音ちゃんが、お仕事中にお出かけした日よね?」
「風子さんっ!」

急に割り込んで来たオーナーの奥さんの横槍に、彼女──朱音というらしい──が焦ったような声を上げた。
「これ、一緒に食べなさい」と、彼女の前に俺たちと同じケーキと紅茶のグラスを置いて去って行く。それ以上は何も言わずに仕事に戻ったオーナーは、たまたま近づいた時に聞こえた「11月7日」という単語のみ拾ったようだった。

先程までの様子を見るに、彼女は間違いなく俺たちの追及をのらりくらりと躱す気でいた。思いがけないオーナーのアシストに俺たちは助けられたわけだが、彼女の機嫌は急降下している様子だ。

「……チッ」

見た目からは想像できない、清々しいほどに綺麗な舌打ちだった。それからカウンターの向こうにいるオーナー夫婦へ気遣わし気な視線を送って、それから大きなため息を吐く。

──勝った

「……あの場にいたら、何だって言うの」

先程までよりも、少し声を落とした彼女。オーナー夫婦に聞こえないように、ということだろう。彼女に合わせて、俺たちも少し声を落とす。

「君に……朱音ちゃんに、お礼を言いたかっただけ」
「……礼、」
「そう、お礼。あの場にいたから分かる。あの爆発で死ななかったことが、どれほどの奇跡かって」

そうだ。俺たちはあの日の真実を知って、そして礼を言いたかった。萩原が、今生きてこの場にいるという奇跡への礼を。ただ、それだけだった。

「どうやったのか、なぜあの場に来たのか。知りてえことは山ほどあるが……聞かねえよ。こいつが生きてる。今はそれだけで良い」
「松田……」

彼女の目を真っ直ぐに見て伝える。この気持ちが、確かに届くようにと。
俺を見つめる彼女の瞳が揺れて、揺れて。そして、ゆっくりと逸らされた。



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