夢卜アレキサンドライト

□黒い影と森の香り
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都内の2つのマンションに仕掛けられた爆弾。俺はその片方をバラし終え、もう片方をバラしているだろう萩原の元へ向かった。

「そん時は仇取ってくれよ」
「……怒るぞ」

萩原の方の現場へ到着するも未だ爆弾は解体されておらず、事もあろうに萩原は防護服を着ていないときた。死にたいのかと電話越しに怒鳴りつければ、返って来たのがこれだ。
もちろん、軽口の延長のノリで萩原が言っただろうことはわかっている。あいつだってまだまだ死ぬつもりはない筈だ。
警察学校を卒業してまだ数ヶ月、俺たちの警察官としての人生は始まったばかりだった。

「……萩原? おい、萩原!」

突然萩原の声が電話口から聞こえなくなり、思わずあいつがいるのだろう上を見た時──ドォンッという音と共にガラスが割れ、その向こうから炎と煙が吹き出していた。

「萩原……」

爆発した。爆弾が爆発した。今、萩原が解体中の爆弾が。
あいつは間違いなく、爆弾の目の前にいた筈だ。つまりあいつは、萩原は──。

その先のことは考えられなかった。
幼馴染で、共に警察官を目指した萩原。この秋、警察学校を卒業し晴れて警察官となった。在学中に見込まれた腕で、共に爆発物処理班へ配属になった萩原。
あいつとの別れが、まさかこんなにも突然訪れるなんて。誰が、想像できただろうか。

「救急車を早く! 念の為、負傷者は病院へ連れて行け!」

その声に、ハッとして意識が現実へ戻ってくる。マンションの入り口付近から、上階にいただろう隊員たちが運び出されるところだった。
もちろん、自分の足で歩いて。

「萩原!?」

その中にある筈のない姿を見つけ、俺は思わずその名を叫んでしまっていた。
なんでだ。萩原お前、今の爆発で死んだ筈じゃないのか。生きてるどころか、普通に歩いて話してる……なんでなんだ。

「お〜陣平ちゃん、お疲れさん」

状況が理解できずに言葉を続けられない俺に、萩原は軽く片手を挙げてそう言った。「お疲れ」とは、俺がもう片方の爆弾を解体したことに対してか。

「お疲れじゃねえだろ! ……お前、無事なのか」
「あー、うん。なんか分かんないけど、上手いこと爆発の勢いが削がれたみたいで……ほんとラッキーだったわ」
「ラッキーって、お前な……」

萩原が生きていた。死んでいなかった。たったそれだけの事実を理解し、今日一番の長く深い息を吐いた。
その時、視界の端に揺れる黒を見た。


時は過ぎて11月半ば。爆弾事件の後処理も終わり、テレビのニュースでもその話題が下火になってきた頃。
俺は、同じく非番の萩原に誘われてカフェにいた。

「で、何の話だよ」
「何ってそりゃあ、この間の爆弾事件。報道じゃあの程度だけど、当事者としてはやっぱ違和感あんだよね」

話がある、今度休みが重なる時に。そう言われて今日ここにいるわけだが、内容はまあ、想像通りだった。

「そりゃそうだろ。下から見てても、あれで生きてんのが不思議なくらいだったぜ」
「だろ? 警察(うち)の発表じゃ俺の判断と偶然が重なった結果、ってことになってるけど……あの時は正直、死を覚悟した」
「……ああ」
「爆発まで残り6秒。目の前には1フロア丸々吹き飛ばすほどの爆弾。まず、助からねえと思った」

それは俺だって同じだ。当然、伊達も。3日後、萩原のことを聞きつけただろう伊達が爆処へ駆け込んで来たのは記憶に新しい。
あの時のことを思い返しているのだろう。萩原の表情は何かを悟ったようなものだった。そして今までよりも少し、真剣な顔になる。

「真面目な話なんだけどさ、」

真面目な顔で、真面目な声色で、少し声を落としてわざわざ前置きをする萩原。俺も覚悟を決め、萩原に先を促す。

「爆弾から少しでも離れようと走り出した時……匂いを嗅いだ」
「匂い?」
「ああ。新緑の森の中にいるような、爽やかな植物の匂いだった。後、甘いような匂いもな」
「植物と、甘い匂い……」

あのマンションの廊下に、観葉植物はなかった筈だ。マンションの周りに植物がゼロというわけではないが、あの階で、森を彷彿とさせるほどの匂いを感じられるとは考え難い。それが、爆発数秒前に感じられた……これは、偶然なのか。
そこまで考えてハッとした。あの時、萩原がマンションから出てきた時。俺が視界に一瞬捉えた黒が、見間違えじゃなかったとしたら……。

「……お前がマンションから出てきた時、警察関係者じゃねえ奴がいた気がする」
「は? それマジ?」
「ああ。一瞬だったから見間違いかと思ってたが……お前の匂いの話がほんとなら、あの現場に誰かがいた可能性もある」

もし、あの場に誰かがいたとして。それで何とかなるレベルの爆発だったかと言われれば難しいが……可能性としては、偶然が重なったという警察の発表より信憑性がある。

「で、陣平ちゃんが見たのってどんな感じだったの?」
「あー……黒い影、だな」
「黒い影え? それ、服の色が黒だったってこと?」
「分かんねえ……けど、黒いもんが揺れてたんだよ」
「揺れてた、ねえ……」

警察がガッチリ固めてたあの場所に、まさか一般人が入り込んでるなんて考えるかよ。それが分かってれば、俺だってちゃんとあの影が何なのか確認してたさ。
今となっちゃ、もうそれが誰なのかを確認する術もない。

「あ、お姉さん! オーダーお願いしまーす」

お手上げだと息を吐く俺を尻目に、萩原は若い女性スタッフを呼びつける。

「えーと、ブレンドコーヒーとこのラフランスのケーキ2つずつで」
「は? 俺も?」
「良いじゃん。ほらこれ、期間限定だって。お姉さん、これ2つね!」
「……かしこまりました。少々お待ちください」
「お願いしまーす」

なぜか俺の分まで勝手にオーダーする萩原。期間限定だからって、それがなんだって言うんだ。しかし、オーダーしてしまったものは仕方ない。
少し間を空けてはいたが萩原の言葉に頷いた彼女は、1つに束ねられたその長い髪を揺らしながら振り返り、オーダーを通す為にカウンターに向かって歩き出した──。

「待って」

筈、だった。萩原が、その手首を掴んでいなければ。



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