夢卜アレキサンドライト

□覆された未来
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──ドォンッ……!

大都会の高層マンションから、真っ黒な煙と真っ赤な炎が上がった。それらは廊下一面を覆い尽くし、割れた窓のガラス片が鋭利な雨となって地上へ落ちる。生存が絶望的な廊下で、役目を終えた炎の壁をそっとしまった。

予定通りの時間に、予定通りの場所で。幾度となく見た通りにその爆発は起こった。ただし、予定された死者はおらず、あれだけ大規模な爆発であったにも関わらず軽傷者のみで済んでいた。正確に言えば「わざと軽傷者を出した」のであるが、その事実を知る者は誰もいない。
爆発のその直前まで救うことだけを考えていたのだが、この状況下で無傷は流石に警察も看過できないだろうと予定を変更した。私自身は完全に炎熱の境界線(バウンダリー)の影響下へ置き、萩原と警察官たちには薄めの炎を纏わせた。熱も、風も、それによる衝撃も。どれも死なない程度に感じられるように。

幾分か煙が収まってきたところで「円」を使って周囲を探る。このフロアにいる人間はみな私の後方に転がっていた。けれど、その誰もが自力で手足を動かし起き上がろうとしていることが確認できる。
良かった。少なくとも、誰一人として死んではいない。これで私の役目も終わりだろう。一応声をかけたとはいえ、休憩中に抜け出してきてしまったバイトに戻らなければ。

萩原たちのいる爆発場所とは反対側へ向かう。三々五々動き出した彼らと接触しないようその合間を抜け、彼らの全員が階下へと移動を始めたのを確認してから念を解除した。
防火壁が消えたことで、徐々に爆発の余波の煙と炎がこちらにも回ってくる。それに巻き込まれないよう、私も気配を消して非常階段を下った。

階下へ降りれば、先程の爆発に警察官たちが慌ただしく走り回っていた。物陰に身を潜めてその様子を伺う。
爆発階にいた警察官を救護する者、消火設備の準備をする者、そして消火の為に階上へと上って行く者。そんな中、状況確認を終え、この場の責任者だろう男へ報告する1人の警察官がいた。

「負傷者は!?」
「報告します! 解体に当たっていた機動捜査隊の萩原隊員以下、全員軽傷。死亡者はありません!」
「何!? あれ程爆発で、死亡者がいないのか……!」
「はい。爆弾が置かれていたのが廊下の端であること、爆発の衝撃で各部屋の扉が開きそれが僅かながら壁となったこと、また窓ガラスが割れたことで勢いがそちらへ逃げたこと……加えて、萩原隊員の早急な離脱の判断。これらの偶然が重なった為かと……」
「そんなことがあり得るのか……」

上官の男は信じ難いと言わんばかりだったが、事実、負傷者はいても死者はゼロなのだ。それを現実として受け入れるしかないだろう。
全員の生存。何より萩原の生存を確認し、私は静かにその場を離れた。


「耕市さん、風子さん、ただいま戻りました」
「朱音ちゃん! もう、急に出てくから心配したじゃない……!」

カフェへ戻るなり、カウンターの向こうにいた2人に声をかければ風子さんに抱きつかれた。仕事中に抜け出すなんて奇行は初めてだったから、よほど心配させてしまったらしい。

「すみません」
「あら、何かやんちゃしてきたの? ほっぺたが汚れてるわ」

「仕方ないわね」とハンカチを取り出して頬の煤汚れを拭ってくれる風子さん。苦笑を浮かべたその顔は優しさに満ちていた。
爆発後、念を解除してからも煙が届くところにいたからその時についたものだろう。

「朱音ちゃん、これ3番テーブルな」

ブレンドコーヒーとアイスカフェラテが乗ったお盆がカウンターの向こうから差し出された。そこにいたのはいつも通りの耕市さん。
私と風子さんのやり取りを何も言わずとも見ていただろうに、この件に関して、耕市さんから風子さん以上の言葉が出てくることはなかった。

「はい、すぐ着替えてきます」

エプロンを控え室に置いてきてしまっている。ドリンクを届ける為、私は急いで控え室へ向かった。


その日の夜を境に、あれだけ繰り返されていた萩原と松田と爆弾の夢を再び見ることはなくなった。それは偏に、本来失われる筈だった萩原の命が救われたからだろうか。
前世、あれだけの人間を手にかけてきた私が、まさか人助けをすることになるなんて。ましてや、助けた相手が警察官だなんて。一体誰が想像できただろう。

──先日、爆発物が仕掛けられたマンションの前に来ています。住民の避難完了後、警視庁の爆発物処理班が解体に当たりましたが、間に合わず爆発しました

テレビのニュースコーナー。たまに見る女性アナウンサーが先日の爆破事件の内容を伝えている。
使われている映像は、私が夢の中で見ていたものと同じ。爆発した瞬間、黒い煙と赤い炎が吹き出すマンションの外観だ。

──爆発自体は起きましたが、解体に当たっていた警察官たちは全員軽傷だったということです
──1フロア吹き飛んで死者が出なかったのは凄いですね。普通、こういった爆発現場では……

爆発時の映像を横目に、コメンテーターが死者が出なかったことがいかに低い確率であったかを解説する。ここ数日で、既に見慣れたやり取りだった。

──そうですね。警視庁の発表によりますと、爆発当時のマンションのフロアの状況や現場の警察官の咄嗟の判断など、様々な要因が死者ゼロという結果に繋がったということです。……それでは、次のニュースです

報道各社の発表は、概ねあの時の警察官の報告通りとなっている。放送局によっては「死者ゼロ。奇跡の爆発現場」などという見出しでタレントや大物芸人が討論を繰り広げているのも見受けられた。
「念」という概念がないこの世界の人間が真実に辿り着くことはあり得ないのだけれど、この報道を見る限り、その心配もなさそうで私は胸を撫で下ろした。



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